第51話 ただいまダッカール
午後を少し回った頃、
石畳を揺らす馬車の上から、
遠くに灰色の城壁が見えてきた。
「……おお」
思わず息が漏れる。
大きなアーチを描くその壁は、
旅の終点を告げる鐘のように静かに佇んでいた。
「おーっ! ついに来たっすねぇ、ダッカール!」
チョリオが身を乗り出して、両手を振り回す。
「落ち着け、チョリオ。まだ壁を見ただけだ」
ガイルが苦笑して言う。
それでも、皆の表情はどこか緩んでいた。
この長い旅の果てにようやく辿り着いたのだ。
しばらく石畳を進むと、
城門前に人々の列ができていた。
商人や旅人、馬に荷を載せた行商の姿……。
僕たちも馬車を止め、列に並ぶ。
「さて、まずは釣りギルドに行くか?」
ガイルが声を低めて問いかける。
僕は首を横に振った。
「いえ、その前に……
チョリオを僕のアパートに送ってからですね」
「そうだったな」
ガイルが頷いたところで、
チョリオが勢いよく立ち上がる。
「いよいよ――!
オレシーの新たなる伝説の幕開けっすよー!」
「わ、わわわ! 立ち上がるな、落ちる!」
慌てて僕はチョリオの腕を引っ張った。
周囲の旅人たちがくすくすと笑っている。
僕は顔が熱くなるのを感じながら、チョリオを座らせた。
「まったく……最後の最後まで騒がしいわね」
ミナが呆れ顔で肩をすくめる。
「でも、ちょっと安心しました〜。変わらないなぁって」
フローラがおっとりと微笑んだ。
ヒューは静かに目を閉じたまま、
「……幕開けも幕引きも、本人の心が決めることだ」
と、よく分からない言葉を残した。
そうして僕たちは、賑やかなままに列を進み――
やがて、重厚な鉄扉の下をくぐり抜けた。
眩しい午後の光の中へ。
ダッカールの街が、僕たちを迎えていた。
アムスさんが馬車の前に歩み出て、
きっちりとした姿勢で深々と一礼した。
「では我々は、この方向で失礼いたします。
このたびは実に……多大なお力添えを賜りました。
我がテルダム商会一同、心より感謝いたします。
何かございましたら、ぜひまたお声がけください。
商会の名にかけて、誠心誠意お応えいたします」
その口上は、まさしく商会長の貫禄だった。
その背後で、
フレッシュフォースの四人が順番に顔をのぞかせる。
「ほなウチらはここでお別れやな!」
ライズが両手をぶんぶん振る。
「寂しがる暇もないくらい、
またすぐ顔を出すんじゃない?」
ハンナがにっこり微笑んだ。
「次に会うときは、
きっとレベル百くらいになってるでありますぞ!」
ロウアーが胸を張る。
「……私は別に、会いたいわけじゃないけど。
……まあ、暇があったら顔くらいは出してあげる」
リーナが相変わらずの棒調子でぼそり。
「おおーっ! 出ました!
リーナさんのツンデレ宣言!」
ライズが叫び、四人が一斉に笑い出す。
涙どころか、むしろ楽しそうだ。
けれど、声の端っこに少しだけ名残惜しさが混じっていた。
「うむ、こちらこそ。また会おう」
ガイルが静かに頷く。
その声にはリーダーらしい落ち着きがあったが、
瞳には柔らかな光が揺れていた。
「寂しいけどよ、
再会ってのは別れがあるから成り立つんだろ?
だったら楽しみにしておくぜ!
次は一緒に大食い大会でもやろうぜ!」
バルクは明るい笑みを浮かべ、
まるで日差しのように言った。
「……うん。私はあなた達のこと、
嫌いじゃなかったから」
ミナがぶっきらぼうに言うと、
ライズが「え、じゃあ好きってこと?」
とすかさず食いつき、場が少し和む。
「……この道も……また重なることがある。
……偶然に見えて、……必然のように」
ヒューがぼそりと呟く。
ライズが「お、詩人来た!」と笑いツッコんた。
「はい! 次に会う時は、
私お菓子いっぱい焼いて持って行きますねぇ〜」
フローラが手を胸に当て、
ふんわりとした笑顔を見せる。
そして、僕は――
「また会えるの、普通に楽しみにしてます」
僕は小さく笑って言った。
「はいはい、チョリオを忘れんなっすよ!
オレシーがいちばん目立ってるってこともっす!
そんじゃチョレーっす!」
チョリオがちゃっかり口を挟み、全員が笑った。
フレッシュフォースの四人は最後にそろって手を振る。
「じゃーねー! 元気で!」
「絶対、また会おう!」
その明るい声を背中に受けながら、
彼女たちはアムスさんの馬車へと歩いていった。
アムスさんも小さく頷き、商会の馬車を進めていく。
僕はチョリオを連れて、
自分のアパートの前に立った。
石造りの小さな建物の二階。
狭くて古くて、とても人に誇れる代物じゃない。
「よし、着いたぞ。ここが僕の部屋だ」
扉を開けると、
チョリオがずかずかと入っていった。
「うわー!
フィリオ先輩の部屋、狭くて汚い部屋っすねー!」
「おい!」僕は思わず声を荒げる。
「初めて来て開口一番がそれか!」
「いやいや、正直な感想っすよ。
ほら、この机の上、
紙くずと本とパンくずが仲良く共存してるっす」
「観察力は無駄に鋭いな……」
僕はため息をつきながら、椅子を引き寄せた。
「とにかく、部屋にあるものは好きに使っていい。
戻ってくるまで、ここで大人しくしてろ」
「えっ、大人しく……って、
オレシーにそれ無理じゃないっすか?」
「夕飯くらいは奢ってやるからさ」
その一言で、チョリオの目がきらりと光った。
「え? マジっすか?
さすがフィリオ先輩! 太っ腹っす!」
「まったく……ほんと調子がいいんだから」
僕は苦笑し、扉に手をかけた。
「じゃあ、少しの間よろしくな」
チョリオはベッドに寝転がり、
両手を組んで大げさに笑った。
「任せとけっす! この部屋、
オレシーが今からパラダイスにしてやるっす!」
「……壊すなよ」僕は念を押して扉を閉める。
部屋の中から「イエー!」という声が聞こえてきた。
僕は頭を振って笑い、
みんなの待つ場所へと足を向けた。
チョリオを部屋に押し込んだあと、
僕は急ぎ足で仲間の待つ場所へ戻った。
みんなは馬車のそばで思い思いにくつろいでいた。
「お、フィリオ戻ったか」ガイルが気づく。
「チョリオさんは大丈夫ですかぁ〜?」
フローラが心配そうに首を傾げる。
「まあ……あいつなりに元気にやってますよ」
僕は苦笑いで答えた。
「元気すぎる、の間違いじゃない?」
ミナが冷ややかに言う。
「……壊してないといいが」ヒューがぼそりと呟いた。
「ガハハ、
部屋一つでそれだけ騒げるのはチョリオだけだな!」
バルクが豪快に笑う。
「よし、それじゃあ予定通り釣りギルドへ向かうぞ」
ガイルの声に、僕たちは揃って歩き出した。
街の中心に近づくにつれ、
石畳は整備され、人通りも増えてくる。
魚を入れた桶を担いだ漁師、
活気ある呼び声をあげる商人たち……
久しぶりのダッカールの喧騒に、僕の胸も少し高鳴った。
やがて、青い魚の紋章が掲げられた建物が見えてきた。
釣りギルドだ。
扉を押し開けると、
カウンターの奥に見覚えのある人影があった。
「あら、お帰りなさい」
受付嬢のニーナさんが顔を上げ、にっこり笑う。
「無事に帰って来れて良かったですね」
「ただいま戻りました」僕は頭を下げる。
「ギルドマスターはいます?」と尋ねると、
ニーナさんは軽く顎に指を添えて考え、すぐに頷いた。
「いるわよ。今は来客もないし、大丈夫だと思うわ」
「じゃあ、ちょっと行ってきます」僕は仲間を振り返った。
「よし、行こうか」ガイルが頷き、
僕たちは一列になって奥の部屋へと向かった。
コンコン。
「失礼します」僕は扉を軽く叩き、声をかける。
「入っていいぞ」
低めで落ち着いた声が返ってきた。
扉を開けると、机に腰掛けたギルドマスター
――フィルネルさんが視線を上げた。
長い髪がランプの光を受けて淡く輝いている。
若々しくも気品に満ちたエルフの女性、
その姿はやはり絵になる。
「フィリオ、
エレレ村から取材を終えてただいま戻りました」
僕は姿勢を正し、きちんと報告する。
「うむ、ご苦労だったな」フィルネルさんは頷き、
細い指で書類の端をとんとんと揃えた。
「報告書は出来次第持ってくるように」
「わ、分かりました」緊張で声が少し上ずる。
「それと――ミドルガード、護衛ご苦労だった。
礼を言う。報酬は冒険者ギルド経由で振り込んでおく」
「いや、こちらこそ。良い依頼だった」
ガイルが一歩進み出て、堂々と答える。
背筋が伸びていて、本当に頼れるリーダーの雰囲気だ。
「また何かあれば連絡する」フィルネルさんが簡潔に言う。
「分かった。また何かあればよろしく頼む」
ガイルがしっかりと頷き返す。
そのやり取りを横で聞きながら、僕は心の中で
「やっぱりガイルは堂々としてるなあ」と感心していた。
と、そこでフィルネルさんがふいに僕のほうへ視線を向けた。
「それとフィリオ、明日は休みだ」
「え? 本当ですか?」思わず前のめりになる。
「うむ――午前中だけな。午後は出勤しろ」
「わ、分かりました……」
ぬか喜びさせられたような気がして、口の端がひきつる。
後ろから小さくクスクスと笑い声が聞こえた。
きっとミナあたりだろう。
「それでは失礼します」
僕たちは一礼して部屋を後にした。
廊下に出ると、閉じた扉の向こうからは
紙のめくれる音だけが聞こえてきた。
フィルネルさんはもう、次の仕事に戻っているのだろう。
――ああ、やっぱり僕はまだまだだな。
そう思うと胸の奥がじんわりと熱くなり、
僕はしばらく自分の手を見つめていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
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……押さなくても進行に支障はありませんが、
効率的ではありませんので、ご協力をお願いします。
by リーナ
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