第21話 感情vs道理

翌朝早く、まだ日も上っていない暗いうちから、

昨日仕掛けたウナギの仕掛けを見に行った。

みんな昨日と同じスポーティーファッションに身を包み、

出発前にヒューが考案した軽い動きづくりを全員でこなす。

体を温めてから出発するのは、もはや恒例行事になっていた。


そして今日も――両脇をがっちりと抱えられ、

まるで囚われの宇宙人のような格好で現地に到着。

「……やっぱりこの運ばれ方、慣れないな」

そんな僕の小声をよそに、みんなは楽しげに笑っていた。


仕掛けを回収すると、だいたい三分の一ほどでウナギが取れていた。

残りはエサだけを取られていたり、別の魚がかかっていたりと、

成果はまずまずといったところだ。捕れたウナギは手早く網にまとめ、

僕たちは村へと持ち帰った。


そして待ちに待った朝ごはんだ。

ヘルガおばあさんとアンナさんが用意してくれていた食卓は、

想像以上に豪華だった。炊き立てのご飯に、畑で採れた野菜を使った味噌汁。

川魚の香ばしい燻製まで添えられている。


「すごい……朝からごちそうだ」

「えっとぉ~、おいしそうですねぇ!」フローラが目を輝かせる。


胃が受け付けないかもしれない、なんて不安は杞憂に終わった。

むしろ朝から食べすぎてしまったくらいだ。みんなも同じで、

モリモリと食べ進めている。


食後、僕たちはヘルガおばあさんの工房に案内された。

扉を開けると、そこはまるで異世界の魔女の工房のようだった。

「うわぁ……」思わず息を呑む

思わず僕は立ち止まった。

棚には大小さまざまな瓶や壺が並び、壁には古びた羊皮紙が貼られている。

天井からは乾燥したハーブや不思議な鉱石が吊るされ、

奥の作業台には魔法陣の刻まれた鉄鍋や小さな水晶球が散らばっていた。


「わぁ……魔女の隠れ家みたい〜」フローラが目を輝かせる。


「王都の工房でも、ここまで不思議な雰囲気はない」ガイルが低くつぶやく。


「へへっ、なんかワクワクするな!」バルクが大きな肩を揺らす。


「ヘルガおばあさん、これ全部お手製なんですか?」僕は問いかける。


「んだよぉ」

おばあさんはにこにこと笑って頷いた。

「ただなぁ、今は素材が足りねぇから、大したもんは作れねぇ。

昔はもっと立派なもんも手掛けたんだがな」


作業台の上には、片手鍋くらいの大きさの鉄鍋が置いてある。

「これ、なんですか?」ミナが首を傾げる。


「お湯がすぐ沸く鍋さ。魔力をちょいっと込めると、一瞬で煮立つべ」

「えっ、それめちゃくちゃ便利じゃないですか!」

「ティファー‥‥」僕がつぶやくと、誰にも伝わらなかった。


隣には、細長い筒のような道具。中に光の粒がふわふわ浮かんでいる。

「これは何に使うんですか?」


「……わしも忘れだ」

ヘルガおばあさんはあっけらかんと笑った。

「けど、夜な夜な光が勝手に増えたり減ったりするんだわ」

それ完全に怪しいやつだ。


さらに奥の棚には、黒い羽根が何本も挿さった奇妙な杖が立てかけられていた。

「……呪いの……道具」ヒューが眉をひそめる。


「いやいや! 村の子どもが転ばねぇように、風よけの護符を仕込んだだけだべ」

「ほ、本当に……?」僕たちは揃って後ずさる。


工房の奥には、まだまだ得体の知れない道具がいくつも眠っていた。

便利そうなものもあれば、用途が分からないもの、そしてどう見ても怪しげなものまで――。

僕たちは半分怖がりながらも、その不思議な空間に心を奪われていった。


「んだば……特別に、とっておきの一品を見せてやっか」

そう言ってヘルガおばあさんが棚の奥から取り出したのは、掌ほどの大きさの黒い石。

表面には複雑な模様が浮かび上がり、まるで心臓の鼓動のように微かに脈打っている。


「……な、なんですかこれ」僕は思わず息をのんだ。


「名前はセイレーン石っちゅうんだ」

おばあさんは石を掲げながら、にやりと笑う。

「夜になると勝手に歌を奏でる。不思議な石さ。

……もっとも、何の役に立つかはわからんけどな」


僕たちは顔を見合わせ、改めてこの工房の奥深さを思い知らされたのだった。


昼は、朝とってきたウナギを食べることになった。

大きな桶から一匹を取り出すと、バルクがまな板に置く。

うねるように暴れる体を、左手でしっかり押さえ、右手で素早く包丁を走らせる。


「……おおっ、暴れるなコイツ! けど、慣れたもんだな」バルクの額に汗がにじむ。

うなぎの腹がぱっくり割れ、内臓を取り出すと、川の匂いと血の匂いが広がった。


「んだんだ、その調子だバルク。骨ぁ残さねぇよう、きっちりやれよ」

ガルボが腕を組んでうなずく。


骨を抜き、綺麗に開かれた身を串打ち用の板に並べる。

ガルボが無駄のない手つきで竹串を握った。


「串打ち三年、っちゅうが……ほれ、腹から背にまっすぐ通すべ。

芯がブレっと、焼きで身が崩れる」

ガルボはそう言いながら、ためらいなく串を突き刺す。

竹串が白い身をすうっと貫き、ぴたりと板に収まった。


「おお~……なんか剣の稽古みてえだな!」バルクが感心する。


「はは、剣よかずっと難儀だ。魚は斬られたくて待ってるわけじゃねぇからな」

ガルボの口調は淡々としているが、どこか誇らしげだ。


串が打ち終わると、炭火の前に座ったアンナさんが手を伸ばす。

「ほれ貸してみれ。焼きは時間との勝負だども、

焦げせねぇように根気も要るんだぁ」


じゅっ……と脂が炭に落ち、白い煙がふわりと立ちのぼる。

香ばしい匂いがあたりに広がり、思わず腹が鳴った。


「ん~……火ぃ強すぎっと、表面だけ焦げで中は生だ。

弱すぎっと、身が乾いでしまう」

アンナさんは串をくるりと返し、扇で炭をあおぐ。

「焼ぎ一生、っちゅうのはまんずその通りだべな。

何年やっても、まだまだ勉強だぁ」


煙の奥で、皮がぱりっと音を立てた。

その瞬間、全員の視線がウナギに釘付けになった。



炭の上でじゅわじゅわと脂が落ち、煙が白からこんがり色に変わっていく。

焼き台の前に陣取ったアンナさんが、うなぎの串を一本ずつじっくり返した。


「ほれ見れ。皮んとこからぷつぷつ脂が吹いでらべ? これが合図だぁ」

アンナさんの声は落ち着いていて、どこか楽しそうだ。


「……いい匂いすぎだ」ヒューが思わず口を押さえる。


「はは、まだ焼きの半分だべな。ここで食ったら腹壊すど」

ガルボが扇で炭をあおぎながら笑う。火がぱちぱちと弾け、

香ばしい煙がさらに強く立ちのぼった。


僕も煙を吸い込み、思わず目を細める。

――この匂い、完全に飯テロだ……!


「もうちょっとでいけそうか?」

ガイルが待ちきれない様子で尋ねた。

「んだな、身の色がまだ白っぽいべ。

ほれ、焼き目が黄金色になったら食い頃だ」


アンナさんは串をわずかに持ち上げ、焼き加減を確かめる。

皮がぱりっと張りつめ、脂が透きとおった飴色に光っていた。


「見てるだけで酒欲しくなる」バルクがぽつりとつぶやく。

「おいバルク、まだ昼だぞ!」僕は即座にツッコミ。


「ははっ、フィリオ。うなぎ焼ぎの前じゃ、誰だって理性なんか吹っ飛ぶべ」

ガルボがにやりと笑い、もう一度扇を動かした。


ぱち、ぱち、と炭の音。

じゅわ、と脂が落ちる音。

香りはさらに濃くなり、僕たちの胃袋を鷲掴みにしてくる。


「んし……よし、いい塩梅だぁ。これ以上焼いだら固ぐなっちまう」

アンナさんが頷いた瞬間、僕たち全員の喉がごくりと鳴った。


焼き上がったウナギは、艶やかに光を放ち、

炭火の赤に映えてまるで宝石のように見えた。






食事を終えたあと、ガイルが「作戦会議をする」と宣言した。

議題は決まっている。――帰りのルートの件だ。


話は、やっぱり平行線だった。

僕は谷ルートを主張し、ガイルは尾根ルートを推す。

バルクとミナは「どっちでもいい」というスタンス。

ヒューは――谷ルート。未知のルートを切り開くことに

妙な探究心を燃やしている

のかもしれない。

フローラは……表情が硬い。何か心に引っかかるものがあるのだろう。


じゃあ、なぜ僕は谷ルートにこだわるのか?

考えを巡らせてみる。


――ああ、そうか。

あの時、僕が谷ルートを口にした時、ガイルは即座に却下するだろう、

と勝手に決めつけていた。

だから、ついカチンと来て、意地になって反論したんだ。

冷静に考えれば、ガイルはそんな人じゃない。

でもあの時の僕は疲れていて、思考よりも感情が先に出てしまった。

感情的になったのか? それとも、あの滑落のトラウマ?

……ああ、もう自分でも分からなくなってきた。


そもそも、ガルボさんが谷ルートの存在を教えてくれた時、

僕は「楽そうだから」と安易に飛びついたのかもしれない。

いや、それだけじゃない。

ウナギから谷ルートの存在を知ったという事実に、

僕は特別感を抱きすぎたのかも。

自分が何か新しい道を発見したんだ。だからきっと素晴らしいに違いない。

……そんな錯覚に囚われていたのかもしれない。


考えがまとまらず、場が静まりかけたその時だった。

ガルボさんが口を開いた。

「んだば、オラが途中まで案内すっぺよ。分岐がややこしとこまでは、

オラが先導してやっから安心せ」


ヘルガおばあさんは、それに続いて言った。

「シュンヘイも連れていぎなさい。おらは大丈夫だから心配すんでね」


最終的に――ガイルは折れた。

ヒューが「……俺の責任で守る」と言い、フローラはホッとした顔をしていた。


僕はというと……心の中で、ガルボさんの提案をずっと待っていた。

谷ルートを行くには、案内人が必要だ。

だから結局、僕はガルボさんの優しさに甘えるかたちになった。

結果的に、偶然を装って、ガルボさんがそう言ってくれる状況を演出してしまった。

故意じゃない。だけど……結果的には同じだ。


――ガルボさんの優しさにつけ込んだのだ。

そう気づいた瞬間、自分が嫌になる。


ガイルは優しい男だ。

いや……甘い男なのかもしれない。

そんな言葉が、なぜか頭に浮かんだ。



◇ガイル視点


俺は尾根ルートを選んだ。当然の選択だ。

理由は、一度通っていること。帰りは荷物も少なく、

行きよりは多少負担が軽くなる。

そしてまあ……油断はできないが、魔物は出ない。


最初はシュンヘイ君の件を信じられなかった。

だが、後に彼と接し、観察して確信に変わった。

つまり――安全ということだ。


それに、足場も悪いとはいえ、大きな問題はない。

今までこれより酷い悪路を、俺たちは何度も踏破してきた。

……もっとも、ミナとフィリオ、それにバルクが滑落する

というアクシデントはあった。

あれは俺がもっと細心の注意を払っていれば防げたはずだ。

いや、起きなかっただろう。


だが、現にアクシデント後は俺が気を引き締め、

バルクが背を見せてくれたおかげで、

みんなは勇気をもらい、無事に麓まで下りることができた。


そんな経緯があったからこそ、尾根ルートこそ最良

――そう思っていた。


だが、フィリオが「谷ルートを行きたい」と言い出した。

俺は「何を……」と思い、谷ルートのデメリットをつらつらと説明する。


……あとで考えて気づいた。

俺はつい「尾根ルートのメリットは皆も分かっているだろう」

と思い込み、きちんと説明しなかったのだ。


フィリオは滑落の恐怖を、まだ拭いきれていなかったのかもしれない。

滑落後の行軍では平気そうに見えた。

だが、時間が経つにつれ、恐怖が蘇ってきたのだろう。

気づいてやるべきだった。


フローラに目を向けると、やはり強張っている。

バルクは……まあ、こいつは大丈夫だ。


話は平行線をたどった。

俺はフィリオの感情をもっと汲んでやるべきだったのかもしれない。

だが、安全なルートがある以上、わざわざ未知のルートを

選ぶ必要があるのか

――そう思ってしまう。


そのあと、ヒューが谷ルートのメリットと

デメリットを整理して説明し、そして谷ルートに賛成した。

「……俺の責任で守る」とまで言い切った。


バルクとミナは「どっちでもいい」という態度のまま。

フローラは結局、口を開かなかった。


しばらくの沈黙の後――ガルボが口を開いた。

「んだば、オラが途中まで案内すっぺよ。

分岐がややこしとこまでは、オラが先導してやっから安心せ」


……正直、俺は内心でこの言葉を待っていたのかもしれない。

谷ルートを行くには案内人が絶対に必要だ。

商人が通る道なら目印はあるだろうが、

初めての道でそれを探すのは骨が折れる。


そして、シュンヘイ君もついていくと言った。

彼はあの歳で驚くべき身体能力を持っているが、

まだ子供だ。頼るわけにはいかない。


ミナとバルクも「それなら」と谷ルートに傾いた。


日程は二日ほど伸びる。

だが、この時期は雨も滅多に降らないらしい。


――結局、俺は折れた。

「道中問題があれば、有無を言わさず引き返す」

その条件をつけて、谷ルートを了承した。


……父によく言われたものだ。「お前は甘い」と。

現に、それで失敗したこともある。


俺はまだまだだ。未熟だ。

そう反省せずにはいられなかった。


◇ガルボ視点

そいづぁ、えらいこったなぁ……とおらは思った。

最初は彼らを普通の旅人くらいに考えていたんだ。

だが、しばらく一緒にいて分かった。

――あいつら、一流の冒険者だ。そうでなきゃ、

あんな道を越えてこれるわけがねぇ。


ただ、フィリオは別だな。あいつは普通の人間だ。

体力もそこまであるわけじゃない。

まあ俺ならトマの町まで、尾根でも谷でも

日が暮れる前に着いちまうが……。


見た感じじゃ、フローラが少し山歩きに慣れてないな。

でもまあ、そこまで足を引っ張るほどでもねぇ。

ガイルは硬いところがあるが、真面目でいいやつだ。

フィリオは少し捻くれてるけど、根は悪い奴じゃない。

むしろ面白いやつだ。

バルクは……いい飲み仲間になれそうだな。

ミナとフローラはイモリスをよく可愛がってくれたし。


――ここはやっぱりおらが一肌脱ぐしかねぇ。


話し合いは膠着して、しばらく沈黙が続いた。

そこでおらは口を開いたんだ。

「じゃあ、分岐がややこしいとこまでは、

おらが案内してやる」ってな。


シュンヘイも「ついていけ」とばっちゃが言ってる。

まあ、2、3日くらいならイモリスとばっちゃの世話は、

うちのおっかあが見てくれる。

おらんちもシュンヘイんちも大丈夫だ。心配いらねぇ。


雨もこの時期は滅多に降らないし、

ここは人がほとんど来ない場所だ。

商人だって年に一度か二度くらいしか通らねぇ。


……ここ何日か、一緒にいて楽しかった。

まあ、これも何かの縁だろう。案内してやるか。


イモリスはきっとついてきたがるだろうな。

……けど、それはダメだ。

ちゃんと、言い聞かせておかねぇとな。



……ここまで読んでくれて、ありがとう。

……ブックマークやいいねは……矢のようなものだ。

……放てば、必ず作者の心に届く。

by ヒュー








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