第13話 フォーメーションの代償
アルノワ王国の北東に、地平線を覆うように連なる巨大な山並みがある――チャド山脈。
朝日に染まる峰々は黄金の壁のようにそびえ、遠くから眺めれば息をのむほど雄大だ。
しかし、その美しさは一歩足を踏み入れた瞬間、牙へと変わる。
険しい岩場は道を阻み、足元の石は容赦なく崩れ落ちる。
切り立った谷は何十メートルもの深さで口を開け、風は容赦なく体温を奪う。
それほどに過酷で、気まぐれな自然が支配する世界。
人々はこの山脈を畏れと敬意を込め、“チャドの壁”と呼んできた。
今、その壁を六人の冒険者が越えようとしていた。
第一幕:朝の出発とフォーメーションの選択
二日目の朝。空は一面、薄い雲に覆われ、光はぼんやりと拡散していた。
風は弱いが、空気が重たくまとわりつくようで、
肌にはじっとりとした湿気が貼りつく。
昨日よりも気温は低いはずなのに、なぜか体は早くも汗ばんでいた。
僕らの足元には大小の岩が散らばり、その多くが微妙に不安定だった。
踏みしめればグラリと揺れ、時にはゴロリと転がって道をふさぐ。
山道はほとんど未整備で、場所によっては獣道のように細くなっている。
この先に待つであろうチャド山脈の真の険しさを、まだ入り口にすぎない
この道がすでに物語っていた。
そんな状況でも、ガイルは昨日の並びをそのまま維持することを選択した。
――つまり、先頭から順にこうだ。
1. バルク(先頭)
2. ガイル
3. ヒュー
4. ミナ
5. 僕(フィリオ)
6. フローラ(最後尾)
「ねえ、最後尾にフローラって危なくない?」
ミナがやんわりと口にする。確かに、この足場では後ろから
崩れた石や落ちた枝が転がってくることもある。
それに、最後尾は魔物が出たとき一番狙われやすい。
しかしガイルは首を横に振った。
「昨日と同じ調子で行ける。無理に変える必要はない」
その声音は冷静で、決断に迷いがない。だが、それが正しいかどうかは
――今はまだ分からない。
「おっしゃー! 行くぞ!」
バルクが豪快に声を上げ、肩に担いだ荷を揺らしながら進み出す。
先頭の彼は、時には枝を払い、時には転がる石を蹴り飛ばしながら、道を切り開くよう
に進んでいく。
その背中は頼もしいが、勢い余って小石の雨を降らせるのはやめてほしい。
「足元、気をつけてくださいねぇ~」
最後尾のフローラが、僕の背中に向けて声をかけてくれる。
「フローラさんこそ大丈夫? 滑って転ばないように」
「えへへ、大丈夫ですよぉ~」
軽口を交わしつつも、僕は後ろを振り返り、彼女の足元を確かめながら歩いた。
こうして、昨日と同じ並びで二日目の登山が始まった。
その判断がハプニングのきっかけになるとも知らずに――。
◆第二幕:事故の瞬間
道はやがて、細い尾根道へと変わった。
左右は切り立った斜面、谷底までは目が眩むほどの高さだ。
足元は岩と砂利が混ざり、踏み込むたびにシャリ、と乾いた音を立てる。
しかも、その岩が小さく揺れる感触が時おり足裏に伝わる。
ここでは一歩の油断が命取りだ。
先頭のバルクが岩を跨ぎ、ガイル、ヒュー、ミナ、僕、フローラと続く。
曇り空の下、息遣いだけが静かな尾根に響いていた
――その時だった。ヒューが、
「落……!」と鋭く叫ぶ。その声が言い終わる前に、
石が頭上からはじけ飛んだ。
カラン、カララッ!
頭上で乾いた音が弾け、拳大の石が二つ三つ、勢いよく転がり落ちてきた。
一つは僕の横をかすめて谷底へ消え、もう一つはフローラの肩を直撃する。
「きゃっ――!」
軽い悲鳴と同時に、彼女の体がグラリと揺れた。
肩を押された衝撃で、足元の砂利がズルリと滑る。
「フローラ!」
僕は反射的に振り返り、彼女の腕を掴んだ。
しかし、その引き寄せる動きがかえって足元のバランスを奪う。
ザザッ、と靴裏が岩の粉をかき、今度は僕の体が斜面側に傾いた。
「くっ――二人とも踏ん張れ!」
ガイルの声が、鋭く尾根に響く。
「慎重に行こうって言ったじゃないの!」
ミナの叫びは半分怒鳴り声、半分悲鳴だった。
でも、僕らの体はもう止まらない。
ヒューが片手を伸ばす。だが、あと十センチ足りない。
指先は虚しく空を切り、何も掴めない。
その間にも視界の端で、谷底がヌッと口を開けて迫ってくる。
「うおおりゃあーーー!」
背後から豪快な声。振り向いたバルクが、考えるより先に飛び込んできた。
「バルクーーー! 」
ガイルの制止も間に合わない。
その腕は僕とフローラを一気に抱き込み、巨体のまま斜面へ。
途端、世界がぐるりと回転した。
空と地面と灰色の岩肌が目まぐるしく入れ替わり、耳元では風が唸り声をあげる。
ガンッ! と肩が岩にぶつかり、鈍い痛みが背中に走る。
次の瞬間、ザラザラとした砂利が頬を削り、口の中にざらついた粉が広がった。
遠くでミナの叫び声が聞こえたが、もう輪郭が曖昧になるほど遠ざかっていた。
バルクの腕が、鉄のような力で僕らを包み込む。
その外側で、岩がバキリと裂け、拳ほどの破片が弾け飛んでいく。
体は重力に引きずり落とされ、跳ねるたびに視界が白く弾けた。
ゴロッ! ガラッ! ドドドッ!
転がる度に、体が勝手に宙を舞い、次の瞬間には岩肌に叩きつけられる。
腰の辺りがジンと痺れ、息が詰まりそうになる。
それでも、バルクの腕は一度も緩まなかった。
滑り落ちた距離は、感覚では永遠にも思えたが、実際には100メートル近く。
最後に大きな岩を避けるように転がり込み、ザザザ――ッと音を立てて
三人まとめて岩陰に止まった。
全身に残るのは、焼けるような擦過傷と、鼓膜を打ち続ける
自分の鼓動の音だけだった。
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