第二十三話 「深海への招待」


海岸に風が吹き抜ける。

波音の向こうで、チロが両手をぐるぐると回していた。


「クロ見て! チロ、泳ぎの練習してるの!

こうやって手をガッガッてして、足をバタバタ!完璧でしょ!?」


だが、チロの動きはただのジタバタだった。

クロは腕を組んで静かに言う。


「……チロ、そろそろ案内人が来る。油断するなよ」

「は〜い……」


すると、波間がざわめいた。

銀色の体が海中をくねらせ、海岸へと浮上してくる。──それは、リュウグウノツカイの魚人だった。長い胴体に人の腕、深海の冷気を纏って浜辺を歩いてくる。


「あなた方が……幸蔵さまのご友人で?

私はカイノと申します。海王国ポセイドンにて、No.2を務めております」


クロは一歩前に出た。


「俺はクロ。コイツはレイだ。そこの遊んでいるシロクマはチロという。よろしく頼む」


カイノは息を呑む。

(──なんだ、この三人……一人一人が、一国の王を軽く超える覇気を纏っている。

これは……もしや、本物か……?)


カイノは深く膝をついた。


「クロ様、これより私と、従属関係を結んでいただきたく存じます。我が能力をクロ様に捧げ、その力を仲間へと分配していただき、水中移動を可能とするためです」


だが、クロの目は鋭くなった。


「カイノと言ったな。……俺たちが進むのは地獄だ。仲間に弱者はいらない。

我らは魂を喰らい、太陽の使徒や人間王と殺し合う。国を守るための一時的な協力なら、契約はしない」


一歩、踏み出す。


「──お前に、国を捨てる覚悟はあるか?」


カイノは静かに目を閉じた。

そして、深く頭を下げる。


「……我らは、共同戦線のために、あなた方をお迎えしました。勿論、それは国を守るためです。ですが──もしも、私一人が国を捨てることで、ポセイドンが守られるのなら。喜んで地獄にお供します」


クロはふっとレイに目を向けた。レイが微笑み返す。クロはゆっくりと右手を差し出した。カイノはその手を取り──従属契約が結ばれた。従属力がカイノに流れ込む。身体が変化し、より人間に近い形へと進化した。


『……なんという力だ……これほどとは……

これなら、海底でも充分に戦える』


クロ一行は、海の底へと潜っていく。チロはクロの背に乗り、フワフワと揺れている。


「これから向かうのは海底都市ポセイドン。クジラの王が治める、我らの中心国です。この海には三つの大国が存在します。それぞれが互いを尊重し、平和を築いてきました。地上のような家畜経済は存在せず、皆、誇りを持ち、伸び伸びと生きております。


海王様は、人間王による戦争を危惧し、他勢力と共同戦線を張ろうとしておられました。そこで、クロ様に協定をお願いしたいと──」


クロは頷いた。


「もとより、そのつもりだった。海の総戦力を教えてくれ」

「はい。ポセイドンには、魚人化に至った民が約二十億存在します。他国では、シャチ族の国アトランティスが約一万、海竜王の国モサが約五十』

「少ないな」

「……ええ。海では進化に至る個体が少ないのです。ですが、その分──一騎当千の精鋭ばかり。アトランティスのシャチや鮫、モサの海竜族は皆、王に匹敵する強さを持っております。今後、彼らとも協定を結び、海底の防衛戦線を築く予定です。その時には、我々も全面的にクロ様の戦いに参戦いたします」



クロがふと背後を見やった。


「──ところでチロ、あれだけ泳ぐ練習をしてたのに、なんで俺の背中に乗ってるんだ?」


チロはクロの背の上で、くるりと丸まっていた。


「……えっと……泳ぐの疲れた。それに、ここが……チロの特等席だから……」


レイが笑い、姿を黒鴉へと変え、カイノの肩に降り立つ。


「さすがチロ様。クロ様の護衛ですね。では、私もカイノの護衛を務めましょう」


クロは呆れたように言う。


「……お前も、泳ぐの疲れただけだろ」


ふわりと笑う。


「……まぁいい。

──海王のもとへ急ぐぞ」

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