第3話  魔王、峠のカオスで世界救える気がしない

峠の手前、舗装が途切れた山道を歩いていると、ルシフェリアは道端の草むらに何か光るものを見つけた。

拾い上げると、それは派手なピンクの包み紙。ハート型のクッキー袋だ。

袋の中央には、勇者アルトのサイン。そして……濃い赤色のキスマークがべったり。


「……キスマークって……あやつ、本気か?」

「とても世界の救世主…勇者とは思えねえな」


ルシフェリアとお付きのモブ(シド)が眉をひそめた瞬間、どこからともなく現れたおばちゃんが――バチィン!と光速で袋をひったくった。

「ちょっと見せてねぇ……あらやだ、このキスマーク……」

「おばちゃん。すきだわあ。こういうの」

「やめんか! 自主規制じゃ!」ルシフェリアが慌てて取り返す。

「……知らないところで、勇者が汚れたのぅ」


シドは肩をすくめる。

「勇者、世界滅ぼす前に別の意味で終わってんな。」

「そういうことを言うでない」


そんな会話をしていると、山道の向こうから派手な横断幕を掲げた一団がやってきた。

〈魔王様ファイト!世界を救え!〉――応援隊だ。

村人や旅人が混じり、旗を振りながら声を張り上げている。


「救世主様! 勇者をやっつけてください!」

「……まあ、任せておけ」

ルシフェリアはとりあえず頷いた。

悪い気はしない。でもできれば、横断幕には、魔法陣とか紋章とかじゃなくて、猫を入れてほしかった。

猫鍋……あれはいい。


気づくと、反対側からは鎧姿の討伐隊が行進してきた。

「魔王ルシフェリア! 貴様をここで捕らえる!」


「救世主に何をするんだ!」

応援隊が即座に反発する。


両派の罵り合いが始まった。

「お前たちは洗脳されてるんだ!」

「そっちこそ脳みそまで筋肉なんだろ!」

「はぁ!? 言ったな!」

罵声はやがて魔王本人への悪口にシフトしていく。


「そもそも”魔王”なんて名前負けしてるんだよ!」

「あれが、魔王か?どこにそんな威厳があるんだ!!」

「見ろよ、あの胸……」

「「ぺったんこだな!」」

「妾の胸は関係ないじゃろ!……いや、少しは関係あるかもしれんが!!」

ルシフェリアが抗議するも、誰も聞いていない。


空気がヒリつき始めたそのとき、木立の上からマントがふわりと舞い降りた。

逆光の中、背の高いスレンダー美女――銀髪ロング、深紅の瞳。完璧美人が舞い降りてきた。


「月は雲を裂き、闇は道を示す……魔王ルシフェリア、貴殿を護るため参上した」


完璧美人の整った口から漏れ出てくる謎の言葉に、時が一瞬止まる。


「呪文か……」

魔法も使えないモブのシドが無駄な解説を入れる。


応援隊は「救世主にふさわしい護衛が来たぞ!」と歓声を上げ、討伐隊は「仲間だろ!」と警戒心を強める。


女は片膝をつき、恭しく名乗った。

「我が名はリゼット・ノクターナル・セラフィム・ナイトフォール。闇に咲く一輪の月影、月光を移す儚き湖、そして、さすらいの刃なり」

「……長い」

ルシフェリアは即答した。


「いや、お前、魔族じゃろ」

「魔族? 私は――」

「妾、魔王なんじゃけど」


「……」

一瞬、リゼットの目が泳ぐ。


シドが小声でつぶやく。

「すっっっげえ綺麗なのに、どうしてこんなに残念なんだろうな」

また無駄に解説する。

こういうポジションにつかせるため、作者がつくったキャラクターなのだ。仕方がない。


リゼットは何度もマントを翻し、決めポーズを取り直す。


「それにしても見ない顔じゃな。魔族なのに」

「……」

「ん? リゼット? もしかして……リゼットおばさん?」



「おばさんと言うなー! 私は独身だ!」

素が出た。


「おばさんなのか?」

シドが真顔で聞く。


「そうじゃな。妾の父親の妹じゃ。妾より五百歳年上じゃぞ。人間年齢で言うと……三十……」


「やめろおおお!」

リゼットが絶叫する。


その瞬間、討伐隊と応援隊、両方の動きがピタリと止まった。

峠の風がやけに静かに吹き抜ける。


「……おばさん、か」

だれかが呟く。


「……そうか……おばさん、なのか」

討伐隊の隊長がしみじみとうなずき、応援隊の旗持ちも妙に優しい顔をした。


「……おばさんなら、まあ……」

「……あまり責めてもな…」

「……人生、いろいろあるしな……」


一瞬、両陣営の間に奇妙な和解ムードが流れた。



「リゼットおばちゃん、たまには親戚に顔を見せんといかんぞ。みんな心配しとる。たしかに最近はおばちゃんを痛い目で見るかもしれんけれども……」


「もうやめろおおおお」


「リゼット、登場後30秒で崖っぷちだな」

モブが無駄な解説を入れる。


このやり取りが、討伐隊と応援隊の小競り合いに油を注いだ。

「やっぱ仲間じゃねーか!」

「独身おばさんの護衛が救世主なわけないだろ!」


「誰が独身おばさんだ!」

リゼットの怒声が峠にこだました。


次の瞬間、どちらともなく突撃が始まり、乱戦が勃発した。旗が飛び、鎧がぶつかり、横断幕が隊長の顔に巻き付く。


「……よし、行くぞシド」

ルシフェリアは地面を軽く叩き、魔法で土煙を巻き上げた。その隙に二人は峠道へと駆け込む。


山頂近くにたどり着いたとき、峠の向こうで見慣れた背中が目に入った。


勇者アルトだった。


岩場の上、風になびくマント。


両手を掲げ、何やら早大な呪文を唱えている。

背後では雷が走り、地面が震え――今にも世界が終わりそうな雰囲気だ。


「……あやつ、まさか、本当に――」


その瞬間


「ぶぇーーくしょい!」

盛大なくしゃみ。


構えていた必殺の魔法陣は霧散し、手にしていた素材袋が手元からツルリと落ちた。


袋の口が開き、中から飛び出した大量のハーブが宝石が風にのって舞う。

そして、そのまま一斉に谷底へ――


「あーーーっ!あの素材、二週間前にレアドロップでやっと集めたやつなのにぃ!!」

勇者の情けない叫びが響き渡る。


「……あいつ、本当に滅ぼす気あるのかのぅ」


ルシフェリアは、半ば呆れながらも歩みを進めた。

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