04.おばあちゃんのブローチ

 これは、魔法使い側の考えた苦肉の策でもあった。

 人を殺したり、自分の物ではない何かを持ち帰るなどの問題が起きた時、いくら手を汚したのが依頼人であったとしても、同行していればその魔法使いまで共犯とされる場合もありえる。

 かと言って、自分達には問題を完全にもみ消せるような力はない。

 そういった、何かやらかしそうな依頼人と少しでも顔を合わせなくて済むようにする、苦し紛れとも言える方法なのだ。

 手紙のやりとりしかせず、顔を合わせるのは魔法を使う時だけで、親密な関係ではない、と見えるように。

 もちろん、そういう依頼人ばかりではないのだが……。

 最近では、そこまで力のある貴族も減っている。過去に戻ってまで金に固執するのか、といった世間の目が厳しくなり、依頼件数もひたすら下降線をたどりつつあった。

 同時に、たとえ小さな物一つではあっても、過去に関わると現在に多少なりとも影響が起きるのでは? という声が強くなってきており、時駆けの魔法はもう完全に禁止した方が……などとささやかれている。

 今はまだ完全に禁じられてはいないが、少なくとも以前とは比べ物にならない程に規定を厳守するようになった。

 依頼件数減少に比例して、時駆けの魔法そのものを使える魔法使いも現在は減ってきている。

 魔法書にもちゃんと載っているし、知識として知ってはいても、実際に使える魔法使いは一つの国に一人いればいい、とまで言われるようになっているのだ。

 ……というような細かい事情など、リッシェはもちろん知らない。

 ウォイブに話していたように、噂話をしているおばさん達の横でたまたま、しかも「一部だけ」を聞いたに過ぎない。それだって、かなり前の話だ。

 この魔法のことを思い出したのは、三日前のこと。

 十日前、リッシェの幼なじみレミットの家で火事があった。火事と言っても、小火ぼや程度だ。

 幸いにも発見が早かったので、被害はレミットの祖母マーラの部屋だけ。家財道具や壁の一部を焦がしただけで済んだのは、幸いだった。

 火元は、焼けてしまったマーラの部屋。彼女はタバコを吸うので、原因はタバコの不始末だろう、と言われている。

 マーラは家族や周囲の人達に何度も謝り、周りも気にしないようにと慰め、すぐに部屋の修繕がなされた。

 五日も経てばほとんどが元に戻り、落ち着いたかに見えたが……。

 普段は気丈に明るく振る舞っていても、一人でいる時は大きなため息をついている、とレミットが教えてくれた。

 小火とは言え、自分が火事を出してしまったことにショックを受けているのだろう、と周りは、そしてリッシェも思ったのだが、少し違った。

 リッシェがマーラを励ましに行った時。

 ふっくらした身体が一回り小さくなったように見えるマーラは、大切にしていたブローチが焼けてしまった、と話してくれたのだ。

 マーラの亡くなった夫オルドワが、若い時にくれたものらしい。

 リッシェは、いつも明るいマーラおばあちゃん、くらいにしか思っていないが、昔の彼女はおてんば、言ってしまえばかなりの男勝りな性格だったらしい。

 そんな女性だから、同年代の青年達からは「仲間」と思われても、異性とは思ってもらえなかった。マーラも「それでいいや」と思っていたし、むしろその方が気楽だとすら思っていた。

 だが、ある年の祭りの日。

 そんな彼女に、オルドワはブローチを贈ったのだ。

 周囲が男前と思っている人ほど、実はものすごーく乙女な性格だったりするのはよくあること。マーラもまさに、そのクチだった。

 最初はからかわれているのでは、と思ったマーラ。だが、オルドワは真剣な気持ちでブローチを渡したのだ。

 そんな気持ちが伝わったマーラの中で、彼が特別な存在になるまで時間はかからなかった。

 田舎の村の若者が買う物なので、そんなに高価な品ではない。小さな宝石の一つすらも付いていない、木彫りのブローチだ。

 しかし、大切な存在になった人からの贈り物に、値段など関係ない。

 夫が生きている時も、亡くなってからも、マーラにとっては何よりも大切な宝物だったブローチ。

 それが自分のミスとは言え、失ってしまったのだ。落ち込みもするだろう。

 死んだら墓に入れてくれ、と普段から言っていたくらいだから、他人が想像するよりずっと深い思い入れがあるのだ。

 マーラはリッシェを、自分の孫のようにかわいがってくれる。リッシェもおばあちゃんが大好きだ。

 そんな彼女が、悲しそうな顔をしているのを見るのはつらかった。何とかしてあげたいが、どうにもならない。

 たとえ同じ形のブローチを見付けたところで、それを買って渡してもマーラにとっては何の意味もないのだ。

 オルドワからもらったブローチ。燃えてなくなってしまった、そのブローチでなければ。

 しかし、誰かに盗られたと言うならともかく、なくなった物、消失した物を取り戻すなんて、無理だ。

 取り戻すなんて……取り戻す?


 大切な物を一つだけ、過去に戻って取り戻せる。


 どうしてあげたらいいんだろう、と悩んでいたリッシェの頭に、ふと数年前に聞いた魔法の話が浮かんできた。

 本当にそれができるのなら、その魔法にすがりたい。

 同じ形をした別物ではなく、これまでマーラが大切にしてきた「宝物のブローチ」そのものを、もう一度持たせてあげられるのだ。

 リッシェは両親に話し、ダノセスの街へ行きたいとお願いした。何をしに行くのかと問われ、魔法使いに会いたいと話すと「何をくだらないことを」と、両親は相手にしてくれない。

「時をさかのぼる魔法なんて、これまでに聞いたことがないぞ。そんな昔に聞いた話で、しかも噂話なんだろう? だったら、なおさら信用できないじゃないか。そういう魔法が使える、とか何とか言って近付いて来た人に騙されたりするかも知れないぞ」

「そうよ。失ってしまった物は、そうなる運命だったんだって、あきらめるしかないわ」

 そんなことを言って、両親はリッシェにあきらめるように言った。

 ない物はない、と。

 しかし、リッシェは粘った。どうしてもマーラおばあちゃんを元気にしてあげたい、という一心で。

 両親はあまりにリッシェが頼み込むので、ついに根負けした。と言っても、リッシェの話を理解してくれた訳ではない。

 ダノセスの街へは、馬で一時間もあれば行ける距離ではあるし、これまでにもリッシェ一人だけで街へ行ったことはある。

 本当にそんな魔法を使えるような魔法使いがいるとは思えないし、もし騙されたとしても、さすがに命まで取られるようなことはないだろう。

 どんな結果であれ、世間を知らない娘には、多少つらくてもいい薬になるかも知れない。

 そう考えて、街へ行くことを許可したのだ。

 ただし、依頼料は自分の小遣いで払える範囲で頼むように、ということだけは何度も念を押した。

 あまり無茶なことをしてもマーラおばあちゃんは喜ばないよ、と娘が妙なことをしでかさないように、しっかり釘を刺しておく。

 リッシェの小遣い程度なら、何かあっても被害は最小限で済むだろう。十五歳の小遣いなんてたかが知れてる、と見向きもされない、ということも。

 両親はあれこれと心配していたが……街へ行く許可が下りた時点で、リッシェは両親の話なんてほとんど聞いちゃいなかった。

 ブローチを取り戻したい、という希望のどこに、そんな心配なことがあるのかしら、と心の中で笑いながらダノセスの街へ向かう。

 そして……リッシェは、ウォイブの店へと導かれたのだ。

☆☆☆

 次の日の、同じくらいの時刻。

 リッシェはまた、ウォイブ修理店へ向かった。魔法使いが依頼を受けてくれるかどうか、その返事をもらうためだ。

「こんにちは」

「ああ、お嬢さんかい」

 リッシェの顔を見て、ウォイブはすぐに立ち上がった。

「返事が来てるよ」

 後ろにある棚から一通の封筒を取り出し、リッシェに渡した。

「ありがとうございますっ」

 リッシェは顔を輝かせ、ウォイブから白い封筒を受け取る。

 表には「コルッグ村 リッシェ様」とあり、裏を見ればなめらかな筆記体で「ルーランス」と書かれていた。

 それを読むだけでも、何だかどきどきしてくる。封筒そのものも、書かれている文字も美しい。

 これまで自分の名前に「様」なんて付けられたことがないので、やけにこそばゆい気がした。

 昨日、書けたらいい、とばかりに汚い紙一枚(もらっておきながら何だが)に、達筆とは間違っても言えない文字を書いたリッシェ。

 この返事の手紙を見て、今更ながらに恥ずかしくなる。しかも、封筒にすら入れてなかった。

 まぁ、その分のお金を依頼料に回すつもりだったのだから、それはそれで仕方ないのだが。

 い、今は封筒より中身よ。ちゃんと依頼を受けてくれるのか、確かめなきゃ。

「え……?」

 赤い蝋で封がされていたが、リッシェが開けようとするとそれがあっさり取れてしまった。最初からなかったように、溶けてしまう。

「受取人が開こうとしたら、すぐに消えるんだ。逆に他人が読もうとしても、絶対に開けられないようになってる」

 リッシェの反応を見て、ウォイブは説明してくれた。

「すごい……」

 そういうことか、とリッシェはほっとする。さすが、魔法使いの手紙だ。

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