第14話 遠征隊 その 2 -ルカ-

 バレットの町。アヴァレス王国に属する辺境の交易拠点で、魔の森から運ばれた魔石や、獣骨・革・腱といった素材が集まり、街道へ散っていく。乾いた土埃の匂いに、鍛冶場の鉄と炭の匂いが混じり、朝の鐘が低く鳴るたび、門前の人波が少しだけ濃くなる。

 

 俺たちは、魔の森へ入る前に一度この町へ二年ほど滞在した。長い旅の途中で、ここに恋をして、ここに残ると決めた者もいた。彼らはミレナ様に願い出て、許しを得て、町の住人として根を張った。もちろん、旅を続けた者も多い。別れと合流は、この百年の間に何度も繰り返され、そのたびに俺たちは「別れても繋がっている」ための段取りを身につけた。

 

 町に残った仲間たちは、近隣の都市や村にも連絡の糸を伸ばし、符丁と手紙、夜明け前の合図で互いの無事を確かめ合う。困れば糸を辿ればいい。縁は細いが、切れない。

 

 今回も、その縁に助けられた。俺たち遠征隊六十名は、門前で検めを受けたのち、町の外れにある大きな邸宅の裏庭を借り受け、天幕を張って野営することになった。宿は狭すぎるし、費用もかさむ。広い庭なら焚き火と鍛冶の小炉を置けるし、馬車も横付けできる。地面は踏み固めれば十分に持つ。水は、井戸が一つ。雨樋の先に大きな水瓶も据えられていた。


 柵の影には、かつての仲間が残していった目印がまだある。小さな木札に刻まれた三つの斜線――「安全、静寂、信用」の符丁だ。俺は無意識に指でなぞり、深く息を吐いた。


 野営の配置を指示していると、庭の門が軋んだ音を立てて開き、商人風の男がひょいと顔を出した。


「おう、相変わらず用意が早えな、旦那」


 アルゴ。見た目は目立たない。背は平均、腹は少し出て、髪は後退気味。だがこの町で「商いのことなら右に出る者はいない」と言われる男だ。かつて俺たちとともに旅したときは物資の取りまとめ役で、数字に強く、人の顔と名前を一度で覚える天才だった。そんな彼がこの町で恋に落ち、ミレナ様に「残らせてください」と願い出た日のことを、俺はよく覚えている。彼は膝をつき、ミレナ様の足にすがり、「ありがとうございます」を涙の合間に何度も繰り返した。そのあと、彼は商人として町と俺たちの間に橋を架けた。恋と仕事、両方で。


「ここを貸すだけでも、かなりの金がかかっただろう。恩に着る」

「そんな小せぇこと気にするなよ、旦那。俺だって飯の種が増えるんだ。持ちつ持たれつってやつだ」


 アルゴは庭の端から端まで目で測り、井戸の蓋を軽く叩いて水量を確認し、さらに柵の杭を一本ずつ蹴って強度を見る。癖は昔のままだ。彼の視線は人の暮らしの動きに寄り添っている。


「しかしよ、旦那。驚いたぜ。まだ朝っぱらから、フードも被らず、日の下を堂々と歩いて来るとはな」

「……魔の森で御方に出会ってな。あの方のおかげだ」


 俺はそれ以上は口を閉ざした。ソラ様のことは、できる限り秘すのが取り決めだ。


「その御方、信じて大丈夫なんだろうな? この界隈じゃ“邪神”の噂が飛び交ってる。美味い話にゃ裏があるってのが世の常だからよ」

「ソラ様の気配に邪悪はない。ミレナ様も、あの方の傍らに仕えている。理由がなければ自室から出ない方だ。散歩をしても神社の周りだけ。……部屋で何をしているかは、俺にもわからん。だが、害はない」


 アルゴは眉を上げ、肩をすくめた。「わかった。旦那がそう言うなら信じる。俺は商売人だ、結果で判断する主義だしな」

 彼は腰の帳面をめくり、素早く要点を書き付ける。俺はその隣で、遠征隊の割り振りを口に出して確認した。


「買い付け班は二十。交渉班は六。警護は昼を人間、夜を吸血鬼で半々に分ける。鍛冶の小炉は一基、焚き火は二基。水番は三人ずつ、井戸のバケツは扱いに注意。弁の摩耗が早い」

「了解。町の連絡衆にも回しとく。あぁ、そうだ。旦那、これ、門の通行札だ。俺の名で通る。今んとこ検めは緩いが、戦が近くなると締まる。首から下げておけ」


 木札には「ARGO」の刻印と、町の印章が焦げ付けられている。ありがたい。これがあると門の列で揉めずに済む。

 柵の外では、子どもが走る声と、行商の呼び声が交じり合う。油屋の前では樽が転がり、鍛冶場では槌の音が乾いた空へ飛ぶ。空気の底に、微かだが緊張がある。人は笑い、手は働いているが、背中のどこかに固い塊を一つ抱えている――そんな匂いだ。


「最近の情勢はどうだ。二年前には、アヴァレスとヂスリアが戦の準備を進めていると聞いた」

「良くねぇな。徴税は上がった。塩は二割高、油は三割高、釘は数が出すぎて品質が落ちてる。兵糧の買い占めも入ってる。早けりゃ今年、遅くとも来年には火がつくって話だ。……それと、逃げてくるのも増えた。別の町からな」

「……そうか」


 戦争。どの時代でも、どの土地でも、これだけは減らない。吸血鬼が表から消えても、残るものは残る。


「危険になったら、いつでもこっちへ来い。俺たちは受け入れる。ミレナ様もそのつもりだ」

「ありがてぇよ、旦那。いざって時は頼る。……それから、旦那。種はいるか?」

「種?」

「畑を起こすんだろ? 大麦、小麦、蕪、豆。あと、薬草の種。いまのうちに押さえておいたほうがいい。戦が始まれば真っ先に消える」


 俺はすぐ頷いた。「数を見積もる。明日の朝までに目録を渡す。鍬の刃も欲しい。柄木はこっちで用意する」

「任せろ。あぁ、それと、古い噴き玉(風車)の技師が一人いる。井戸の揚げ桶を軽くできる。紹介しようか?」

「助かる」


 話が一段落すると、アルゴは庭の隅に視線を滑らせた。井戸、便所、柵の隙間、鍵の癖。彼は町の事情だけでなく、人が生きる「段取り」を見ている。


「じゃ、俺は一足先に行ってくる。昼過ぎにまた来る。値段は勉強するが、今はどこも苦しい。分割も受ける。その代わり、森の物が手に入ったら回してくれ」

「あぁ、約束しよう」


 アルゴが去ると、庭はふたたび俺たちの音だけになった。杭を打つ音、布を張る音、縄を湿らせる音。人間は日中に動き、吸血鬼は日陰を選びながら力仕事を受け持つ。子どもがいる家族は天幕の端に寄せ、怪我人は井戸のそばに寝かせ、医療班が薬草茶を配る。


 昼過ぎ、買い付け班は三人一組で町へ入った。俺は警護の吸血鬼と二人で門の列を見回る。兵士の鎧は擦れているが、目は荒れていない。鍛冶場の前には欠けた鍋を抱えた女が立ち、塩屋の前では量りの針に人だかりができている。広場の片隅には神殿の布が張られ、司祭が祈りを捧げ、人々は黙って頭を垂れている。空はよく晴れ、影は短い。吸血鬼の俺にとって、その事実がまだ少し不思議に思える。太陽の下を歩くことが赦された――その感覚は、皮膚の内側でまだ新しい。


 夕刻、買い付け班が戻りはじめた。釘の束、鍋、粗布、塩、干し豆、油、針、糸、薬草の束に混じって、古布を詰めた大きな袋がある。天幕の隙間を塞ぐための詰め物だ。子どもたちは油紙に包まれた飴玉を一つずつもらい、指をべたべたにしながら笑っている。笑い声の向こうで、鍛冶の少年が割れかけの鍋底を叩き直す音が続く。


 夜。焚き火は二つ、鍛冶の小炉は赤く息をする。番は四交替。人間が二、吸血鬼が二。遠くで犬が吠え、さらに遠くで角笛が短く鳴った。城壁の上の兵士の影がゆらりと動く。俺は帳場で目録に目を通し、明日の段取りを木札に刻む。入城班、交渉班、護衛班、種子調達班、技師交渉班。端に小さく「旧友接触」と刻んでおく。町に残った仲間の顔が脳裏に浮かぶ。あいつは今、どこで何をしている。


 焚き火の反対側では、人間の司祭補のマルコが、子どもに祈りの言葉を教えている。言葉は柔らかく、声は低い。彼は神を信じるが、俺たちと同じ列に立つ。信仰は重なることができる。重ねた分だけ、揺れた時に支えが効く。


 そこへ、昼の約束どおりアルゴが戻ってきた。背には長い包み。開けば、古いが手入れの行き届いた鍬の刃が並ぶ。彼は一つずつ手に取り、光にかざし、刃こぼれと歪みを指で確かめる。


「明日、種の手当てに入る。大麦と小麦は押さえた。豆はまだいける。蕪は……ちょいと高ぇな。薬草は店によって値が倍違う。質がバラバラだ」

「必要なものだけを、必要な分だけ。……贅沢はしない。だが、生きるための贅沢は、許されるべきだ」

「言うねぇ、旦那」


 アルゴは焚き火に手をかざし、ふっと真顔になった。


「それと、これは耳の端にでも引っ掛けておいてくれ。役人の中に、ヂスリアの商会と組んでるのがいる。今はまだ顔を隠してるが、戦が始まったら悪い噂を流して裏で儲ける。真面目にやってる奴ほど損をする。……俺は、そいつらが嫌いだ」

 俺は黙って頷いた。戦は、人の腹の底を暴く。

「危なくなったら、こっちに来い」

「わかってる。……他の奴から聞いたが、奴隷になった仲間たちを買い付くがそちらに回していい?」

「あぁ、それはお願いする。」


 焚き火がぱちりと弾け、火の粉が小さな星のように夜へ昇る。俺は額に手を当て、短く祈る。誰に向けてか、言葉の形は定かではない。ただ、胸の底に落ちていく。

 ――驕らぬように。

 ――必要なものだけを、必要な分だけ。

 ――逃げ延びるのではなく、生きるために。


 夜は深く、しかし眠りは浅い。番の交替のたびに足音が砂を踏み、剣の鞘が腿に当たる音が規則正しく続く。天幕の端では、母が子を抱き、壺に入れた残り火で夜泣きを鎮めている。遠くで犬がもう一度吠え、静けさはそのまま戻ってくる。


 翌朝。まだ冷えの残る空気を胸に吸い込む。東の空が薄紙のように剥がれていき、白い光が城壁に触れて目を覚まさせる。俺は木札の束を革紐でまとめ、マルコの肩を軽く叩いた。


「今日も長くなる。……だが、怖くはない。俺たちは一人じゃない」


 列に加わる。踏みしめる土はわずかに湿り、車輪はきしみ、革は鳴る。門の前には、昨日よりも長い列。兵士の数も多い。戦の匂いは、たしかに濃くなる。その匂いの中でも、人は米を炊き、鍋を叩き、子どもに飴を渡す。生活は、戦の上に乗る。


 俺は空を一度だけ見上げた。太陽は眩しく、痛くない。皮膚の内側で、冷たい血が温められて動きだす。何度味わっても不思議な感覚だ。赦しは奇跡ではなく、約束の延長にある。約束を守る限り、俺たちは日の下を歩ける。


 ――畑を増やそう。今のうちに、種を手に入れ、土を休ませ、季節を刻む。どんな戦も、腹が満ちていなければ勝てないし、生きられない。

 そう決めて、俺は一歩、前へ出た。


 今日も、やることは多い。けれど、やることがあるのは幸いだ。胸の中心に小さな火種がある。その火は、月夜の酒でも、日の下の労でも消えない。

 俺たちは、ゆっくりと門へ向かった。広場の端では、油屋が蓋を締め、鍛冶場の槌が一打目を落とす。町は、今日も動く。俺たちも、その動きに加わるだけだ。戦の影が伸びても、暮らしの音は途切れない。途切れさせない――そういう約束を胸に、俺は列の歩みを進めた。


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