第5話 有名人は大変なようです
ある日、ジャンヌは功と一緒に近くの神社を訪れていた。街中の喧騒から少し離れたその場所は、木々に囲まれ、澄んだ空気と静寂に包まれていた。鳥居をくぐると、空気が変わるのを肌で感じたジャンヌは、思わず足を止めて周囲を見渡した。
「……ここは、不思議なところですね。静かで、心が洗われるようです。」
「うん、日本では神様が住む場所とされているんだ。いろんなお願いごとをする人もいるけど、ただ静かに手を合わせるだけでも意味があるって言われてるよ。」
功の言葉に促され、ジャンヌは見よう見まねで手を合わせ、目を閉じた。祈る言葉は浮かばなかった。ただ、この平穏が続きますようにと、そっと願うように心を落ち着けた。
その帰り道、ふとした拍子に事件は起こった。
「フランスの国民的ヒロイン、ジャンヌ・ダルク! 本物か分かんねえけど写真撮ろうぜ! あっ、せっかくだから一緒に撮るか!」
神社近くの通りで出会い頭、フランスからの観光客らしき若者たちが、興奮気味にスマートフォンを構え、ジャンヌの写真を撮り始めた。彼らはジャンヌのことを冗談交じりに話していたが、その行為は彼女にとって決して軽いものではなかった。
「や、やめてください。私は……ヒロインなんかじゃありません……」
ジャンヌは声を震わせながら抗議したが、観光客の興奮はなかなか収まらない。どこか「伝説の人物」に出会った感覚で盛り上がっており、彼女の言葉は届いていないようだった。
それを見かねた功は、彼らの前にすっと立ちはだかった。
「君、プライバシーって知ってるかい? 君は目立ちたがり屋さんだから気にしないかもしれないけど、君の大切な人が今みたいに勝手に写真を撮られたら……どう感じると思う?」
観光客たちはその言葉に少し戸惑い、ジャンヌの表情を見てスマホをゆっくり下ろした。
「あ……ああ、悪かったよ。つい、興奮してしまって……」
功はその様子を見て語気を和らげながらも、しっかりと伝えた。
「有名人に会ってテンションが上がるのはわかる。でも、ジャンヌは今ここで新しい生活を始めてるんだ。彼女だって、普通の人と同じように日常を大事にしてる。写真を撮る前に、まず一言許可を取ってほしいんだ。」
観光客の一人が深くうなずき、「ごめんよ、ジャンヌ。君がどんな日々を過ごしてるのか、全然考えなかった。」と、申し訳なさそうに頭を下げた。
ジャンヌは少し落ち着きを取り戻し、小さな声で、けれどしっかりと彼らに答えた。
「ありがとうございます。私は過去を忘れることはできません。でも、今は新しい生活を築こうとしています。どうか、それを理解していただけたら……」
観光客たちは口々に「わかった」と言い、今後はもっと配慮することを約束してその場を離れていった。
ようやく静けさが戻った通りで、ジャンヌはふうっと深いため息をついた。心の中に押し寄せる不安と戸惑いを、吐息と共に吐き出すように。
功はそっと彼女の横に立ち、優しく声をかけた。
「大丈夫かい、ジャンヌ? 驚かせてしまってごめんね。でも、君はよく頑張ったよ。」
ジャンヌは安心したように微笑み、功を見上げた。
「ありがとう、功さん。あなたがいてくれて、本当によかった。まだ慣れないことも多いけれど、少しずつ、頑張ってみます。」
功は彼女の肩を軽く叩きながら、笑顔で言った。
「そうだね。何かあったら、遠慮なく言ってくれ。君はもう、私たちの家族なんだから。」
その言葉に、ジャンヌの胸の奥が温かくなった。神の声に従うだけの生き方から、自分の足で歩く人生へ。彼女は今、まさにその一歩を踏み出したところだった。
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