第7話 回想:燃える屋敷を後にして
ロールブレア王国の西方に広がる肥沃な大地、ファーミスト。 かつてはただの荒野に過ぎなかったこの地に、運命の転機が訪れたのは一人の男の登場によってだった。
その名は――ルーク・バルデン。 彼が手にした莫大な黄金は、まるで魔法のようにファーミストを潤し、眠っていた大地を目覚めさせた。 資金は流れ込み、技術者たちが集い、農地は広がり、都市は輝きを増していった。 人々は彼を“黄金の開拓者”と呼び、バルデン家は一躍、王国随一の名門として名を馳せた。
だが――栄光は永遠ではなかった。
ルークの死後、バルデン家は急速に力を失っていく。 領地を治める才覚を持たぬ後継者たちは、他国の野心に飲み込まれ、やがて自らの手で滅びの道を歩んだ。
そんな混乱の中、突如として現れたのが――ハルト・ラスパル。 若き実業家であり、天才的な戦略家でもある彼は、巧みな交渉と資金力を武器に、他国の貴族たちを次々と退けていく。
そしてついに、ロールブレア王の信任を得て、ファーミストの新たな領主としてその名を刻んだ。
だが、運命はまたしても残酷だった。 ラスパル家の栄華も、長くは続かなかったのである――。
カツ、カツ、カツ――。
夜の帳が降りた屋敷の廊下に、ただ一人の足音が響いていた。屋敷の中にはシャルクスの足音以外、何も聞こえてこない。 人の気配はすでに消え、屋敷はまるで時間が止まったかのように静まり返っていた。
開け放たれた窓から吹き込む夜風が、燭台の蝋燭を揺らす。 その炎は、まるで何かを暗示させるかのように、儚く揺れていた。
シャルクスは一つの扉の前で足を止める。 ノックはしない。彼は迷いなく、静かに扉を開けた。
静まり返った屋敷の一室。夜風が窓から吹き込み、揺れるカーテンが月光を受けて淡く踊る。
その中で、ドナルドは窓辺に立ち、遠くの闇を見つめていた。
ドナルド:「……皆は、もう行ったのか」
背を向けたまま、静かに問いかけるドナルドの
シャルクス:「……ああ。もう、みんな出ていった。誰も残ってないよ。」
シャルクスは部屋の入り口に立ち、低く答える。言葉の端に、どこか寂しさが滲んでいた。
ドナルドはゆっくりと振り返る。その瞳には、疲れと覚悟が宿っていた。
ドナルド:「そうか。なら、お前ももう行きなさい。」
シャルクス:「・・・・・」
優しく促すような言葉。しかし、シャルクスは無言で立ち尽くしたまま動かない。
ドナルド:「どうした?」
静かな部屋に、ドナルドの低い声が響いた。窓の外では風が木々を揺らし、夜の静寂を際立たせている。
シャルクスは黙ったまま、兄の背中を見つめていた。やがて、絞り出すように言葉を漏らす。
シャルクス:「……ほんとに、ここまでやらなきゃいけないのかよ。」
屋敷の使用人たちはすでに解雇され、広い屋敷にはドナルドただ一人が残るという。その覚悟が、シャルクスには理解できなかった。
ドナルドはゆっくりと振り返り、鋭い眼差しを弟に向ける。
ドナルド:「言ったはずだ。これくらいやらねば、奴の目は誤魔化せん。」
――ガスパー・ラッズ。ラスパル家を破滅に追い込んだ貴族。
ガスパーはファーミストの交易圏を狙い、巧妙な策略を駆使して、じわじわと侵食してきた。ドナルドは領主として懸命に抗ったが、資金源を断たれ、ついには破産に追い込まれてしまった。
シャルクス:「……ガスパーめ……!」
シャルクスは顔を伏せ、拳を固く握りしめる。胸の奥で怒りと悔しさが渦を巻いていた。
ドナルド:「復讐なんて果たしたところで、虚しさしか残らんぞ。」
ドナルドの声は静かだったが、確かな重みを持っていた。
シャルクス:「だけど、兄さん……!」
シャルクスは思わず声を荒げる。胸の奥に渦巻く怒りと悔しさが、言葉となって溢れ出そうとしていた。
だが、ドナルドはその感情を受け止めるように、ゆっくりと首を振る。
ドナルド:「怒りは胸にしまっておけ。それよりも……お前には、先にやるべきことがあるはずだ。」
その鋭い問いかけに、シャルクスは言葉を失い、肩を落とした。
シャルクス:「……それなんだけどさ。兄さん……本当に残されてるのかよ。バルデンの黄金が。」
疑念と希望が入り混じった声でシャルクスは唸った。
ドナルドは困ったように眉を下げ、苦笑を浮かべる。
ドナルド:「そう言われると、私も……正直、半信半疑なんだがな。」
シャルクス:「今さら、なんだよ……」
シャルクスもつられて笑う。重苦しい空気が、少しだけ和らいだ。
だが、ドナルドの表情はすぐに引き締まる。
ドナルド:「だが、父さんは、バルデンから譲り受けた黄金のおかげで、今の地位を築いたんだ。その父さんが、私に教えてくれたんだ。だから、黄金は必ず、あるよ。」
その言葉には、迷いがなかった。シャルクスも自然と背筋を伸ばし、兄の瞳をまっすぐに見つめる。
ドナルド:「必ず黄金を見つけ出すんだ。そしてラスパル家を復興させてくれ。頼んだぞ、シャルクス。」
シャルクス:「わかったよ。」
短く、だが力強く答えるシャルクス。その瞳には、揺るぎない決意が宿っていた。
重い沈黙が、兄弟の間に流れていた。
言葉では語り尽くせない想いが、空気を押し潰すように漂っている。
やがて、ドナルドが静かに口を開いた。
ドナルド:「お別れだ。」
その一言が、沈黙を断ち切る刃のように響いた。
シャルクスは目を伏せ、少しだけ口元を歪める。
シャルクス:「ああ。さよならは言わないけどな。」
それだけ言うと、彼はドナルドに背を向け、静かに部屋を後にした。
ドナルドは弟の背中を見送りながら、深く椅子に腰を下ろし、ひとつ大きく息を吐いた。
ドナルド:「無事に戻って来い、シャルクス。」
その声は、もう届いていなかった。
* * *
屋敷の廊下は、まるで時間が止まったかのように静まり返っていた。
シャルクスの足音だけが、夜の帳に響く。
誰もいない屋敷。誰も残っていない家。
彼は迷いなく玄関を抜け、門を越え、一本道を歩き始める。
その背後――ドナルドの部屋のあたりから、突如として火の手が上がった。
炎は瞬く間に屋敷を包み込み、夜空を赤く染めていく。
だが、シャルクスは振り返らなかった。
その瞳は、ただ前だけを見据えていた。
シャルクス:(……必ず戻ってくるから。兄さん。)
心の中でそう誓いながら、彼は歩みを止めることなく、闇の中へと進んでいった。
――その背に、燃え盛る屋敷の光が、静かに別れを告げていた。
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