第一章 転生と温泉
第2話 温泉を掘り当てたなら
……腹が減った。
転生早々、真っ先に突きつけられる現実。
そういえば俺、晩飯も抜いてエナドリだけで深夜二時まで残業をしてたんだ。
目の前の草原はどこまでも青々と広がるばかりで、コンビニも自販機も存在しない。俺の手に残されたのはスコップ一丁。
異世界にウー〇ーイーツなんてものもあるわけがない。
「いきなり飢え死にだけは勘弁してくれよ……」
思わず呻いた俺の耳に、ぴょこんと小気味のいい音が飛び込んできた。
白くてふわふわ。額に小さな角があるウサギ型のモンスター。
RPGなら絶対に最初の雑魚敵枠に入っているやつだ。
「ウサギって食えたよな……? いや、でもモンスターを食うのは大丈夫なのか……?」
そんな心配をよそに、俺の腹にとってはモンスターだろうがなんだろうが、今はご馳走に映った。
「まあ食ってから考えてみりゃいいか!」
俺はスコップを構えた。……構えた瞬間、自分でも笑ってしまう。
異世界にまで来て、剣でも槍でもなくスコップ。しかし妙に手に馴染む。
俺は草むらの影からそっとウサギに近づく。
その時、ウサギがびょんと跳ねた。素早い。
だが、無意識のうちに振り下ろしたスコップはまるで空気抵抗を無視したかのように滑らかに走り、その先から風の刃が飛び出した。
──ザクッ。
草地にウサギが沈む。
「え、強っ……」
スコップから放たれた一撃で、ウサギは一瞬にして絶命していた。
「こ、これが魔法……?」
そう考え込んだのも束の間、俺はとてつもなく妙な疲労感に襲われた。
これが魔力を消費した感覚なのだろうか。
とにかく、俺はなんとか初めての異世界ディナーにありつけた。
とはいえ焼き方も調味料も原始的。串に刺して焚火で炙るだけのウサギ肉は、正直かなりワイルドな味わいだったが、空腹が最高のスパイスとなり美味しくいただけた。
……そういえば、こうして自分で何か料理らしいことをするのも随分久しぶりだった。
──そして。
「ふぅ……。腹がいっぱいになったら急に眠くなってきたな……」
腹を満たしたら、次に欲しくなるのは休む場所だ。
空は茜色に染まりつつある。夜をモンスターが出る草原で過ごすなんて無謀すぎる。
せめて風が凌げる場所を……と思いながら、近くの森まで歩みをすすめ、俺はスコップを木陰の地面に突き立てる。
ザクッ。
「ん?」
次の瞬間、土を掘り返したところから、ぼこぼこと音を立てて水蒸気が噴き出した。
「な、なんだこれ!」
勢いよく立ちのぼる白い湯気。地面がみるみるうちに濡れ、温かな水が流れ出す。
鼻をくすぐる硫黄の匂い。
……これはもしや。
「温泉!?」
俺はしばし呆然とその光景を眺めていた。
しかし心の奥底に眠る日本人の魂のようなものが騒ぎ出し、考えるよりも先に人が入れる程度のスペースを掘り始める。
やがてその窪みに溢れんばかりの湯が満たされる。俺は靴と服を脱ぎ、飛び込むように浸かった。
──どぼん。
あああ……、最高だ……。
湯は程よい熱さで、身体の芯までじんわりと温まる。ブラック企業で擦り減らした心身の疲れが、一瞬で溶けていくようだった。
「はぁぁ……極楽……」
肩まで湯に浸かりながら、思わず声が漏れる。
すると、気のせいか、肌がすべすべになったような。
さらには体が軽い。視界が鮮明になり、心臓の鼓動まで力強く感じられる。
──もしかして、若返ってる?
手を見れば、荒れていた指先はつやつやしている。鏡がないから正確にはわからないが、十歳くらい若返ったような感覚さえあった。
しかも、胸の奥から熱い力が溢れ出す。
それは血流の勢いだけではない。もっとこう……全身に魔力が巡り、力強く膨らんでいく感じ。
「こ、これって……魔力が強化されてるのか!?」
先程まで感じていた妙な疲労感は消し飛び、むしろ活力で満たされている。自分の身体に流れる力の違いがはっきりとわかった。
これはただの温泉ではない。
魔力強化──この世界における戦闘力の根幹を底上げしてしまう効能があるのようだ。
「やべぇ……これ、すごい発見なんじゃ……」
月明かりに輝く湯を手に、俺は思わず独り呟く。
温泉好きの日本人として、まさか異世界初日で自前の露天風呂を持つことになろうとは。
しかもチート級の効能付き。
こうして俺は、異世界に転生して最初の夜を、湯けむりの中で迎えることになったのだった。
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