第25話:孤独な王子の舞踏会
夜の帳が降りたアルバス・ノクス王城。その静寂を切り裂くように、窓の外には、二つの満月が、青白い光を投げかけていた。広大なホールに吊るされた巨大なシャンデリアは、無数の蝋燭の炎で煌々と輝き、まるで偽りの星を散りばめたかのようだ。天井の光が瞬き、床に揺れる影を歪ませている。ホールに満ちる香水の匂い、熱気で汗ばんだ人々の体臭、そして甘い酒の香りが混ざり合い、重くリグの鼻腔を満たした。
リグは、ホールの片隅に立ち、ただその喧騒を眺めていた。彼の心臓は、重く、鈍い音を立てて脈打つ。それは、舞踏会の音楽に埋もれ、誰にも届かない。隣には、護衛のグリムが立つ。燭台の炎が、グリムの銀の髪を、まるで金箔のように輝かせていた。彼の瞳は、その完璧な美しさで、ホールの華やかさを映していたが、その奥に、リグの心は、何も見出すことができなかった。
(ああ、グリム。君は、この喧騒の中で、何を思う?このシャンデリアは、偽りの星だ。だが、君だけは、俺にとっての真実の星。君の瞳に映るこの光は、俺を照らしているのか?それとも、俺の孤独を、さらに深く刻んでいるのか?君の影が、俺の足元まで伸びている。俺と君を繋ぐのは、この華やかな光ではなく、この暗く、冷たい影なのだろうか?)
リグは、グリムの隣にいることで、かろうじて、この喧騒の中で自分を保っていた。グリムの存在は、リグにとっての、唯一の静寂な空間だった。
その時、一人の若い貴族の娘が、リグに近づいてきた。彼女の目は、リグの王族としての地位に、きらきらと輝いていた。他の貴族たちの羨望の視線が、刃のようにリグに突き刺さる。その視線は、リグの完璧な「仮面」が、揺るがないことを確認しているようだった。
「リグ殿下。今宵は、殿下と踊ることを、夢見ておりました」
彼女の声は、蜜のように甘く、リグの耳に届く。だが、その声は、リグの心を、何の感動も揺さぶりもしなかった。リグは、彼女に微笑みかけた。その微笑みは、完璧な王子の微笑みで、感情のない、空虚なものだった。
(ああ、この笑顔は、俺の感情を覆い隠すための仮面だ。誰も、この仮面の下にある、俺の孤独な心を見てはくれない。だが、グリム。君は、この仮面の下にある、俺の心を、見ているのだろうか?君は、俺の孤独を、知っているのだろうか?)
リグは、彼女の手を取り、優雅に踊り始めた。彼女の手のひらは、熱く、わずかに汗ばんでいた。彼女のドレスの重みが、リグの腕にのしかかり、その裾が床を擦る音が、リグの耳には、雑音のように聞こえた。舞踏のリズムに合わせて、彼女の足音がカツン、カツン、と規則正しく響く。だが、リグの心臓は、そのリズムとは全く違う、不協和音を刻んでいた。胸が苦しくなり、呼吸が浅くなる。背中を流れる冷たい汗が、リグの孤独を、肉体的に実感させた。
リグの瞳は、グリムの姿を追っていた。グリムは、ホールの片隅に立ったまま、ただ、リグと貴族の娘が踊る姿を、無表情に見つめている。その無表情さが、リグの心を、ますます深く抉った。
(グリム……。君は、俺が踊る姿を見て、何を思う?嫉妬か?それとも、何も感じていないのか?君の瞳の奥に、もし、わずかでも、俺への感情が隠されているなら……。その感情は、俺のこの舞踏を、どう映し出しているのだろうか?俺がこの舞踏に感情を失くしたように、君もまた、感情を失くしているのか?もし、俺の存在が、君の感情を呼び覚ますのなら、この偽りの舞踏に、何か意味があるというのか?)
舞踏の終わり、リグは貴族の娘に、完璧な微笑みを見せた。彼女は、満足そうに微笑み、ホールの喧騒の中へと消えていった。リグは、再び、グリムの隣へと戻った。
「グリム……。君は、俺が、今、何を考えているか、分かるか?」
リグがそう尋ねると、グリムは、リグの顔色を窺うように、わずかに首を傾げた。その瞳は、相変わらず何も映していなかった。
「……私の職務は、殿下の思考を読み解くことではありません」
その言葉は、リグの胸を強く打った。それは、グリムが、リグの心を、どれほど遠い存在だと考えているかを物語っていた。だが、リグは、その言葉の中に、わずかな希望を見出した。
(そうか。君は、俺の思考を、読み解くことができないのか。それは、君が「理」だからだ。だが、その「理」の中に、わずかな感情の芽生えがあれば……。俺は、君のその芽生えを、いつか、俺への愛へと育て上げることができるだろうか?)
リグは、グリムの無知に安堵しながら、彼の瞳の奥に、永遠の孤独を見た。この舞踏会の喧騒の中で、リグとグリムは、まるで、互いの魂が、永遠に交わることのない、二つの星のようだった。そして、この孤独な舞踏は、いつまで続くのだろうか。リグは、グリムの瞳に、その答えを見つけようと、静かに見つめ続けた。
その時、グリムの瞼が、ごくわずかに、しかし、はっきりと遅れて瞬いた。リグは、その瞬間を見逃さなかった。それは、一瞬の、ごくわずかな、感情の揺らぎの証拠だった。グリムの浅い息が、一瞬だけ、微かに乱れたように、リグには感じられた。それは、まるで、グリムの心が、今、この瞬間、この偽りの喧騒の中で、何かを感じ取ったかのようだった。
リグの心臓は、激しく脈打つ。その鼓動は、もはや不協和音ではなく、グリムの心に響く、唯一の音を探し求める、確かなリズムへと変わっていた。そして、この孤独な舞踏は、二つの星が、いつか交わることを、静かに予感させるものへと変わっていた。
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