第四話 和解のレシピ
腹が、減っていた。
先日開かれた祝宴は、悲劇によって中断され、テーブルに並べられた豪華な料理のほとんどは、手つかずのまま地面に散らばっている。
エルフもドワーフも、数日間続いた緊張と混乱で、心身ともに疲れ果て、そして猛烈に空腹だった。
「…さて」
最初に沈黙を破ったのは、ドワーフの総監督官、バリンだった。
彼は、自らの大きなお腹をさすりながら、エルフの強硬派だったシルヴァヌスに向き直った。
「エルフの旦那。ちと、腹が減らんか?」
「…うむ」
シルヴァヌスも、バツが悪そうに頷いた。
「では、停戦協定の第一条として、まずは腹ごしらえと行こうではないか。なあ、ゴリン」
「はい、師匠!」
バリンの鶴の一声で、両種族は、再び祝宴の準備を始めることになった。
だが、そこで、第二の、そしてより深刻な問題が勃発した。
「よし、野郎ども!一番でかい猪を仕留めてこい!今夜は、友情の証として、特製の丸焼きだ!」
ゴリンが、高らかに宣言した。
その言葉に、ドワーフたちは「おお!」と雄叫びを上げる。
「待ちなさい」
その計画を、ライラのクールな声が制した。
「祝宴の席で、命を奪うなどと。森への感謝は、森の恵みをいただくことで示すべきよ。今夜のメインは、月の光を浴びて熟した『星降りダケ』のソテーにしましょう」
その提案に、今度はエルフたちがうっとりとため息をついた。
「キノコだと!?腹の足しにもならん!」
「なんですって!?あなたたちの、油と塩だけの乱暴な料理こそ、祝宴にはふさわしくないわ!」
「何だと、この葉っぱ頭!」
「あなたこそ、この石ころ頭!」
せっかく和解したはずの二人の間に、再び険悪な火花が散る。
「あ、あの!」
見かねたリィナが、おずおずと手を挙げた。
「お二人のご意見を合わせて、猪の丸焼きに、キノコのソテーを、こう…添えるというのは、いかがでしょうか!」
彼女のあまりに凡庸な、しかし真剣な提案に、ゴリンとライラは、ぴたりと口論をやめた。
そして、顔を見合わせると、同時に、深いため息をついた。
「…分かった」
ゴリンが、折れた。
「ならば、こうしよう。我々ドワーフと、お前たちエルフで、それぞれが最高だと思う料理を作り、互いに振る舞う。どちらが、より友情を深めるにふさわしい料理か、皆の舌で決めてもらおうじゃないか!」
「望むところよ」
ライラも、その挑戦を受けた。
こうして、大陸の未来を占う、史上最も奇妙な料理対決の火蓋が、切って落とされた。
◇
調理の光景は、対照的だった。
ドワーフの調理場は、戦場さながらだった。
ゴリンは、設計図を描くかのような精密さで猪の解体を進め、部下たちは、巨大な炉の火力を、ふいごを踏んで調整している。
飛び交う怒号、肉の焼ける香ばしい匂い、そして、時折響き渡る、石のように無骨な労働歌。
全てが、力強く、混沌としていた。
一方、エルフの調理場は、まるで神殿のようだった。
ライラたちは、森の奥深くから、朝露に濡れたままの、淡く光るキノコや木の実を、丁寧に摘んでくる。
調理は、歌を口ずさみながら行われ、その歌声に応えるかのように、食材の色はより一層鮮やかになっていく。
そこにあるのは、静寂と、調和と、そしてどこか神秘的な、甘い香りだった。
そんな中、リィナは、良かれと思って、両陣営の手伝いを申し出た。
「ゴリンさん!お肉を柔らかくするには、お花を入れると良いと、母から教わりました!」
彼女は、善意の塊のような笑顔で、ドワーフが煮込んでいた大鍋に、近くに咲いていた可憐な白い花を、一掴み入れた。
その花が、エルフが「根っこまで苦い」と絶対に口にしない『涙草』であることなど、知る由もなかった。
鍋からは、途端に、形容しがたい青臭い匂いが立ち上り、ドワーフたちが悲鳴を上げた。
「ライラさん!スープの味付け、少しだけお手伝いしますね!」
今度はエルフの陣営へ向かった彼女は、ゴリンからこっそり分けてもらっていた、ドワーフ秘伝の岩塩を、エルフが作っていた透き通った雫のスープに、親指一つまみ分、入れてしまった。
その瞬間、スープは淡い輝きを失い、ただの塩水へと成り果てた。
エルフたちの間に、静かな絶望が広がった。
◇
日没後、祝宴が、再び始まった。
テーブルの中央には、ドワーフが誇る「猪の丸焼き」と、エルフが誇る「星降りダケのソテー」が、湯気を立てて並んでいる。
リィナが台無しにした分は、なんとか予備の食材で作り直したようだ。
だが、両陣営の間に、まだどこかよそよそしい空気が流れている。
その沈黙を破ったのは、一人の、ドワーフの子供だった。
彼は、物珍しそうに、エルフのテーブルに近づくと、淡く光るキノコを一つ、つまみ食いした。
「…父ちゃん!これ、星の味がするぞ!」
その無邪気な一言に、緊張が、ふっと緩んだ。
今度は、エルフの子供が、おずおずと、ドワーフのテーブルに近づき、こんがりと焼けた猪の皮を、小さな口でかじった。
「…お母さん!これ、カリカリの音がする!」
それをきっかけに、堰を切ったように、両者の交流が始まった。
ドワーフが、エルフの果実酒の繊細な甘さに驚き、エルフが、ドワーフの黒パンの香ばしさに目を見開く。
やがて、ゴリンは、ライラが差し出したキノコのソテーを、ライラは、ゴリンが切り分けた猪の丸焼きを、それぞれ、少しだけ照れくさそうに、口へと運んだ。
「…悪くない」
「あなたの方こそ」
どちらが勝ったのか、もはや誰も気にしていなかった。
気づけば、彼らは、互いの皿に、自分の陣営の料理を取り分け、混ぜ合わせ、新しい味の発見に、子供のようにはしゃいでいた。
リィナは、そんな光景を、自分がしでかした失敗も忘れ、ただ、満面の笑みで見つめていた。
あまりにも大きな代償の末に守られた、脆く、しかし確かな真実。
その真実が、今、温かい料理と、屈託のない笑い声の中で、本当の意味での「盟約」として、彼らの心に、深く、そして温かく、刻み込まれていく。
こうして、彼らの断裂の危機は、満腹と、そして夜明けへと続く希望の匂いに包まれて、ようやく終わりを告げたのだった。
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