第2話 転校生、杉浦薫 後編
「なんだよ。薫。ボーっとしやがって!」
教室の自分の席に座った杉浦薫の肩を天野光太はポンと叩いた。それに対し、薫は作り笑いを浮かべる。
「なっ、なんでもない。そんなことより、光太って彼女いるの?」
突然の問いかけに光太は頭を抱えた。
「おいおい。10年ぶりの再会で最初に聞くことかよ。サッカー一筋だからさ。彼女なんてできたことない。ああ、かわいい彼女が欲しいよ」
「……そうなんだ」と呟いた薫は視線を感じ取った。顔を右に向けると、自分の席を包囲するクラスメイトの中に混ざったミディアムヘアの美少女と目が合う。
「その様子だと、私の出番はなかったみたいだね♪」
その少女の前髪は左に分けられており、紺色のヘアピンで止められていた。紺色のブレザーと同色のスカート。他の女子生徒と同じ制服に身を包む彼女を見て、光太が呟く。
「凛さん……」
「凛さん?」光太の隣で首を傾げた薫の元へ歩み寄った凛が、両手を1回叩く。
「ふふっ、呼び方に深い意味ないよぅ。同じクラスに佐藤って苗字の子がふたりいるから、紛らわしいってことで名前で呼ばせてるだけぇ」
「
頭の上にクエスチョンマークを浮かべながら、優輝と凛の顔を見比べる。だが、その容姿は似ても似つかなかった。
「それは違う。佐藤は日本で1番多い苗字だ。苗字被りなんて珍しいことじゃない。あと、呼び捨てでいいから」
優輝があっさりと否定する。それに凛も同意を示した。
「そうだよぅ。私、中1の時にこっちに転校してきてね。友達もいなくてすごく不安だったんだぁ。だから、杉浦さんも私と同じなんじゃないかって思ってたけど、幼馴染がいるんだったら安心だね♪」
凛が薫に笑顔を向ける。その表情はとてもかわいらしく、薫は思わず彼女の顔を見つめてしまった。
その直後、薫の身に異変が起きた。
(うそ、こんな時に……)
襲い掛かってくるのは、突然の尿意。一刻も早くトイレへ行かなければならないようだ。仕方ないと小さく頷いた薫は、光太の前で両手を合わせる。
「ごめん。トイレ行ってくる!」
「薫、場所分かるか? なんなら一緒に行ってもいいが……」
「うん。大丈夫」
慌てて席から立ち上がり、ドアの方へと歩き始める。そんな薫の右肩を光太が掴んだ。
「遠慮するなって。ちょうど俺も行きたかったんだ」
呼び止められた薫は、その場に立ち止まり、小さく呟く。
「試してみるか」
「ん? なんか言ったか?」
「ううん。なんでもない。じゃあ、一緒に行こうか」
後方に顔を向けた薫が、光太に視線を向ける。それに対し、光太は嬉しそうな表情を見せた。
「おお、そうか。じゃあ、早く行こうぜ」
そのまま、隣に肩を並べ、廊下を歩く。とは言っても、目的地のトイレは光太たちがいた教室のすぐ近くにあるので、1分以上歩くことはないのだが。
あっという間に目的地に辿り着くと、薫は深く息を吐き出した。
「じゃあ、行ってくる」と告げ、向かった先は女子トイレ。それを見た光太は、慌てて薫の右腕を掴んだ。
「おい、薫。お前、いつから方向音痴になったんだ? それとも、転校初日から女子トイレに侵入するヘンタイ盗撮野郎になっちゃったのかよ!」
「ごめん。間違えちゃった。それと、私はヘンタイ盗撮野郎じゃないから。少し方向音痴なところがあるだけ」
素直に謝った薫の前で、光太がクスっと笑う。
「もちろん分かってるって。俺が知ってる薫は、ヘンタイ野郎なんかじゃないってな」
「へぇ、信じてくれるん……だ」
突然のことに、薫は声を詰まらせた。光太が躊躇うことなく薫の右手を握ってきたのだ。
一瞬顔を赤く染めた薫の反応に気づかないまま、光太は薫と手を繋ぎ、トイレの中へと足を踏み入れた。
「んぐっ」
当然のように、トイレの中では男子が小便器の前に立っている。ズボンのチャックから覗かせたアレを見てしまった薫は、思わず目を伏せた。
「おい、大丈夫か?」と光太が心配そうに薫の顔を覗き込む。
「うん、大丈夫。ちょっと眩暈がしただけだから」
もちろんウソだが、光太はすんなりと薫の話を信じた。
「それならいいけどさ。おっ、丁度空いてるじゃん。じゃあ、あそこに並んでやろうぜ」
男子しかいないトイレの小便器を光太が指さすが、薫は申し訳なさそうに両手を合わせた。
「ごめん。そっちじゃなくて、個室の方でやるから」
「なんだ。デカい方か?」
「そうじゃなくて、あっちで座ってやりたい派」と薫が首を横に振る。
「そうか。あっちでやる派だったか。いるもんなぁ。そういうヤツ」と光太が納得の表情で腕を組む。その間に、薫は個室トイレの中へと駆け込んだ。
「はぁ」
トイレの中でひとりになった杉浦薫は溜息を吐き出す。
女子トイレへ向かおうとしていた薫を光太は呼び止めた。
この事実は、薫の疑念を確信に変える。間違いなく、天野光太は杉浦薫を男だと思っている。この現状では日常的にトイレへ行くたびに見たくないアレを見ることになるだろう。それだけはどうしても避けたいが、薫には真実を打ち明ける覚悟がなかった。
(ズボン履いてる私も悪いけどさ。光太のバカヤロウ!)
そう心の中で叫んだ杉浦薫の受難は、まだ続くのだ。
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