ROUND20 ペインキラー イカれる男
目的地はまだ知らされない。カオサイ、アイちゃんと一緒にリキの運転する高級ミニバンに乗り込む。東京に着いたら先ずムーデンを迎えに行った。満兄貴も入れて6名でのコロッセオへの出陣だ。
その足でどこへ行くかと景色を見ていると、何と南青山の瀟洒なダウンタウンに連れてこられた。そこにある大手メジャーレーベル会社の一際目立つビルの地下駐車場へ入っていく。
「ねえリキ。本当にここで合ってるの。計量と試合もここでするわけなの。何でこんなおしゃれビル街で試合するわけ」
さすがに不安に思って尋ねる。
「何でってそりゃあ、ここのビルのオーナーもコロッセオの会員なんだよ。お抱えのボクサーもいる。‥そもそもイングランドの貴族なんかがスポンサーとして賞金を出してクリケットとかボクシングの選手を競わせ合ったのがプロスポーツの発祥だ。金持ち貴族同士が持ち駒を戦わせんだよ。権力のあるスーパーリッチマンは自分だけの強い奴が好きなんだよな」
確かに言われてみればその通りだ。古来権力者は余興として奴隷の戦士を殺し合わせた。それこそ古代ローマのコロッセオが最も有名だろう。日本も例外ではなく、例えば徳川幕府は士官登用試験と銘打って浪人同士を斬り合わせて高い身分の人間への見世物にした。人間の営みは昔も今も根源は全く変わらない。
「庶民だってソシャゲに課金して希少性のあるキャラを集めるだろ。それを自分だけのものにカスタマイズしたうえでウェブ上の誰かと競い合わせる。金と権力があるかないかの差だ。俗な輩に金や権力が偶然あるからといって、それに比例した徳を持ち合わせてるなんて勘違いはするなってことだ」
満兄貴が哲学を語る。なるほどね。しかし何だろう、この2人妙に教養がある。考えても詮無いことだろうけど。こんな生業をしているのは余程の事情があるのだ。詮索したって誰も得しない。
ちなみに移動中はリキとアイちゃんがめちゃくちゃな歌詞でオフスプリングの曲に合わせて歌って大笑いしていたのでそれを見ていてリラックスできた。めちゃくちゃ面白かった。
地下駐車場に車を駐めてみんなでエレベーターに乗り込む。満兄貴はナンバーの打たれていない空の階層のボタンを押した。エレベーターは大きくて6人と荷物が乗っても余裕があった。
リキと満兄貴には出発前に昨日アキラが来てお金とメモを置いていったことを伝えたが2人とも何も答えなかった。封筒に入っていた金をそっくり渡そうとしたが『要らねえ』と満兄貴が一言言って受け取ってはくれなかった。仕方ないのでカオサイとムーデンに半分ずつ経費と御礼として受け取ってもらった。
ナンバリングのない階層に着くと天井が高く開けたフロアが広がっていた。そういえば以前満兄貴に説明を受けたときに会場は2階分を吹き抜けにしてある。と言っていた。中にいると窓から採光は出来ている事が分かるが外観からは中の様子はまるで見えなかった。反射率の高い熱線反射ガラスで覆われているのだろうか。
天井中央にはまるでオペラハウスのようなシャンデリアがぶら下がっていて、壁部分には観劇席と思われるバルコニーが並んでいる。高級そうなフロアカーペットの上には計量の選手とそのパトロンやセコンドその他普通の格闘技会場ではお目にかかれない面々がうろついている。
中にはどうも見覚えのある選手も散見された。いますれ違ったのはフィンランドに亡命した元ロシア国籍のオリンピック銀メダリストだ。向こうで談笑しているのはアマチュア400勝の鳴り物入りでプロ入りしたスーパースターを迎え撃って体重超過と反則の連発で勝利したがベルトを失ったコロンビアの元世界チャンピオンだ。目眩がしてくる。‥いや、怖気づくな。何しに来たんだ。目的をしっかり思い出して堂々としていなくちゃダメだ。それにカオサイもムーデンもいる。ここにいる選手達と同等以上のスターだ。その2人に出場を否定されなかったんだ。恐怖(fear)と炎(fire)をコントロールしろ。ハートの転てつ器は『闘争』から動かない。戦うんだ。
「ねえケイちゃん怖い人ばっかりだよ。どうしよう」
アイちゃんが今にも泣き出しそうな顔で袖を掴んでくる。
「今は計量だから。それに観戦するときもセコンド席だからカオサイとムーデンといれば大丈夫だよ」
作った笑顔でそう答える。
「そうだヨ、アイちゃんマイペンライよー」
「アイちゃんいいコねぇ。コワクナイよー」
カオサイとムーデンがふざけて頭を撫でたりキスをするフリをしてアイちゃんはキャッキャと笑って喜び始めた。安心したようで良かったのだが本当にこいつらに預けて大丈夫だろうか。
どうすれば良いか勝手が分からないのであたりをキョロキョロしていた。そんな中、満兄貴が会場の指揮をしている偉そうなディレクターズスーツを着た男を見つけて駆け寄っていった。満兄貴の初めて見る様子だ。最敬礼で何度も頭を下げて挨拶をしている。
そんな満兄貴を遠目で観察していたら目が合った。手招きをされたので近寄っていってディレクターズスーツの男に頭を下げた。
「よろしくサルヴァドール君。私はコロッセオの大会設営とプロモートを担当している王と言う者だよ」
「どうぞよろしく王さん」
妙な威圧感がある。やくざ者とも何とも言えない雰囲気だ。
「君程度のレコードでコロッセオに出るのは珍しいのだけれど、満くんのたっての願いでね。まあ楽しんでいってよ。本当なら10年前の後ろのお二人に出てほしかったのだけれど」
カオサイとムーデンをみて、王はハハハと笑ってインカムで何かを話しながらその場を離れた。いけ好かないな。何とも眼中にないって感じは気が楽で良いけど。
「結果出しゃ良いんだ。勝てよケイ」
満兄貴が熱の籠もった感じでそう言ってくる。メンツの世界なんだろうけどそのへんのしがらみはあまり分からない。けど勝つってのは当然だ。負ける気でこんなとこに来れるか。
「えー。サルヴァドール・ミヤオさん。計量です。お越しください」
若い女性のアナウンスが響く。計量の順番が来た。コロッセオは当日計量で午前中に測定してその晩に試合開始するようだ。
おじいちゃんが遺してくれたビデオでたくさん観た80年代のボクサーたちは当日計量のせいなのか体が締まり切った鋭さを感じさせた。今は安全のため前日計量がほとんどだ。コロッセオ主催者の意向としてはやはり昔のボクシングが持っていた危うさを再現させたいのだろう。倒し合いをしなければ勝負が決まらないというルールもスリルを増すためだ。どんな情報でも飲み込んで俯瞰した視野を持たないと、こんな得体のしれない大会で勝つことはできない。
1人で熱く考えながら計りの前に移動する。裸になってそっと計り皿の上に乗る。目盛りのついた棹がゆらゆら揺れて次第に上下の動きが収束する。枠上に振れずに棹が止まる。送り錘を微調整して正確なウェイトを調べる。
「121ポンド。オーケーです」
55kgキャッチウェイトは121.254ポンドだ。およそ115gアンダーでパスする。一安心だ。
皿から降りて服を着る。近くにはスダハルガが付き添い数名とこっちをじっと見ながら無言で待っていた。
「どうも」
頭を下げて挨拶をする。不機嫌そうな表情でスダが近寄ってくる。
「どうも。お前さ、そのメイクはなんなんだ。プロレスラー出身なのか。本当にボクシングマッチはできるんだろうな」
スダは目の充血と若干の縮瞳がある。顔の皮膚ツルゴールも年齢の割に低い。減量苦なのか。しかしもともとアマチュアのフライ級なのだから52kgで公式試合に出場していたはずだ。55kg指定キャッチウェイトの減量はこっちより楽に落とせると思うけど。不眠か緊張か。なんだろう心拍数も安静時には思えない。刈り上げた頭から見える浅側頭動脈の拍動から110回/minと判断できる。頻脈だ。
「ちゃんとボクシングマッチはできます。スダさんの試合何度かリアルタイムで観ましたよ。テレビのオリンピック放送でだけど」
そう言うとスダの表情が心なしか和らぐ。
「は‥そうか。そうなんだ。ちゃんとできりゃあ良いんだ」
勢いが尻窄んできた。
「スダハルガさん計量です」
名前を呼ばれるとビクッとした様子で計りへ移動する。裸になる様子も見る。全身のツルゴールがやはりやや低い。皮下脂肪のつき方を見ても減量苦もなさそうだか。
「121.250ポンド、オーケーです」
ほぼリミットでパスする。
「ケイちゃん怖いからもう行こう」
会場の雰囲気に圧されて居心地の悪そうなアイちゃんにそう言われた。こんなところに長居するものではないので皆にもとりあえず食事に行こうと声を掛ける。たまにはタイ料理以外のものをみんなで食べてみるのも良いかも知れない。
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