自称魔法使い×借金まみれ青年の同居生活【1-5】露天風呂のおせっかいキス
(こいつ、俺をどうしたいんだろう?
心の方まで知りたいって言ってたけれど、真剣交際したいってこと?
のわりには態度がひどすぎね?
付き合うのなら甘い雰囲気ってものがあるでしょ?
あ~。わかんねえよ。空気読めない俺にはどうせ)
やがて、着いたのは、鄙びた味わいのある小さな建物だ。
アレクセイが中に入っていく。
「ここらにはいくつか温泉があるが、ここがジモ専と呼ばれる共同風呂だ。地域の住民しか入れない。ツバサの許可はもらっている」
入湯料は二百円だった。
東京の銭湯の値段は現在六百円近く。それに比べたらなんて安さ。
入湯料はアレクセイが払ってくれた。
今回は奢ってくれるという。
牛丼といいこれといい、成人した大人としては情けない気分。
脱衣所につくと、さっさと彼は服を脱いで「先に行っているぞ」と浴場に向かってしまう。
二人の他、客は誰もいない。
(くっそ。なんか、緊張する。あっちは何もなかったような態度なのに)
長い時間、脱衣所でもたもたしていたら笑われると思い、ツバサも服を脱ぐことにした。
大浴場にアレクセイの姿はなく、外に繋がる扉を開けると、満天の星。
「うわあ。露天か」
髪を上げてうなじを見せているアレクセイが、こちらに背中を向けて湯に浸かっている。
かけ湯をして、ツバサも湯に入る。
「贅沢だなあ。誰もいないなんて」
「この時間帯は貸し切り状態だ」
温かい湯で身体がほぐれてくる。
それから少し遅れて気持ちの方も。
連れてきてくれてありがとう、と礼を今、言うべきかな?
あと、その他、諸々の件も。
⋯⋯言いずれえ。
いきなり改まって礼なんて。
余計なことは言えるのに、肝心なことは素直に伝えられないのだ、自分は。
もたもたしていたら、逆にアレクセイに口を開かれてしまった。
「アールハウスの雰囲気はどうだ?暮らしていけそうか?」
「どうだって言われても、まだ数時間だし」
「なんとなくでも、住人にクセがあるのは感じ取れたろう?」
「まあな」
「いい機会だから教えておく。一番若い鳥越は、未熟さを盾にして大人を利用することにたけている。私に封筒を投げつけてきた小湊は、見ての通りの自己中だ。篠は質問攻めして、自分のことははぐらかすし、斜に構えたところがある」
「管理人がそこまで言っちゃっていいの?」
「早々にここが嫌になって、出ていかれたら困る。皆、癖はあるが、悪人ではないし」
ちらっとアレクセイがツバサを見てくるので、顔を反らした。
「出て行かねえよ。⋯⋯行くとこねえんだし」
「篠が喋っていた時、大野と向井がどんな風だったか、覚えているか?」
「あの二人?俺、篠さんの質問に答えるのにいっぱいいっぱいで」
「会話にまったく加わろうとしてこなかった。大野はかなり社交的な性格にも関わらずだ。つまり、二人は篠とは上手くいっていない」
「だから、篠さんも篠さんで部屋で食事をする?」
「そういうことだ。一番、まともなのは、うーん、向井かな」
「大野さんは?」
話しかけてくれたし、助け舟も出してくれた。
ツバサ的には好印象なのだが。
「せっかくだから、観察してみろ。あれはあれで、わかりやすい性格をしている」
「観察って、虫かよ」
隣で湯に浸かるアレクセイの白い肌が、ぽおっと赤くなり始めたので、ツバサはさり気なく側を離れた。
もう限界。
まったく違う話題を今していても、昨夜のことが生々しく蘇ってきて下半身が落ち着きを無くす。
それにさっき、一夜の過ちにはさせないみたいなことを言われたし、借金をカタに性の解消道具にするつもりもないと言われた。
でも、こいつと自分が付き合うとか、まったく想像が付かない。
じゃあ、お試しからお願いしますと軽くでも言えないのは、たぶん、ツバサがアレクセイに劣等感を感じているせい。
今の状態だと、付き合うんじゃなく、付き合ってもらう、だから。
それだと、負けた気がするからだ。
いや、見た目とか経済面とか社会的立場とか、ほぼすべてにおいてはっきり負けているけれど。
「言葉少ないな。場を凍らせがちなのを、気にしているのか?」
「嫌味な質問してくるよなあ、アレクセイって」
「お前、さっき、俺だけは発言しても許されないと言ったが、そんなことはない。言葉が過ぎれば、皆、しっぺ返しを受ける。その場でくらう者も入れば、忘れた頃にやり返されたりする者もいる。お前は反射で答えてしまうクセがあるようだ。会話は椅子取りゲームではない。一度、逡巡してから話してもいいんだ」
「できるんだったら、やっている」
これ以上、この話題を続けても無駄だとアレクセイは思ったらしい。
露天の向こう岸にすうっと身体を移動させる。
背中、腰、尻が湯の中で揺らめいている。
「身体は、平気か?」
「⋯⋯何だよ、いきなり」
「昨晩の件だ。ああ、ほとんど覚えていないか」
ツバサは湯面に顎まで付けて俯いた。
この話題を避けたい訳じゃない。
降って湧いた奇跡みたいな体験を施してくれた当人から真顔でされるのが恥ずかしくてたまらないだけだ。
「優しく丁寧に触ってくれたのは、覚えている。
でも、最後は激しかった気がする」
「頼まれたとはいえ、お前の身体がよすぎて無茶をさせた」
「いいわけないだろ、こんな身体。背も高くないし、顔だって」
「いい。全部が」
とアレクセイが言い切った。
「うちも外も」
⋯⋯過剰な褒め言葉だと、経験のないツバサでも分かっていた。
話を逸らすように、ツバサは言う。
「俺に親切にするのって、Mポイントが関係しているからか?頼み事をされると貯まるって。鳥越から聞いた」
なんとなくだが、アレクセイが昨晩の感想をもっとツバサに語って欲しいのは感じ取れた。
でも、意地になって言わなかった。
手軽に扱われてしまいそうで。
そして、自分も、好きだの愛してるだのアレクセイに囁かれたら、あっさり心を許してしまいそうで。
アレクセイは、ふうっとため息を付くと、ざばっと音を立てて露天から出ていった。
ツバサは追いかけず、そのまま露天に浸かり続けた。
現状維持ができそうで、安心してしまった。
「朝まで東京だったのに、夜には山奥の露天に浸かっているだなんて。
おまけにオヤジは死んでるし」
口に出したら、ようやく父親の死がリアルになった気がした。
「あ~。あの人、本当に死んじゃったんだなあ」
もう一度呟く。
「さっさと借金四十万円を返してここを去ろう。もう一度、東京でやり直そう」
そう決めた途端、腰を上げようとするが——
「あれ?」
湯から出るのも億劫。
這い上がろうにも身体に力が入らない。
「マジか。これぐらいで湯当たり」
足場に突っ伏していると、駆け寄ってくる足音がした。
湯から引き上げられて、次に目覚めたときは藤の長椅子に寝かされていた。
ゆるやかな風が来る。
腰にタオルを巻いたアレクセイが、別のタオルで風を送っていた。
喉元を冷たい物が通っていた感触が残っている。
「気がついたか、よかった」
「オヤジのことを考えていたら長風呂になって」
急に泣きそうになって腕を顔に載せようとしたが、痺れていて無理だった。
せめて、首だけアレクセイと逆側に捻る。
「さっき、勝手に水を飲ませたろ」
「お願い。アレクセイ。水を飲ませてとお前が」
「言ってない」
「まだ、いるか?たっぷり、飲んでおけ」
「人が来るだろ?!」
「今は大丈夫だ。女湯にしかいない」
アレクセイがペットボトルに入った水を口に含んで、ツバサの背中に手を当て、飲みやすいように支えてくる。
水が注ぎ込まれた。
「ぬるい。あんたの口の中の温度のせいで」
できるなら、彼の頬に両手を添えて、ごくごく飲んでみたかった。
でも、身体はまだ痺れていて、力が入らないのだ。
「ふふ。そうか」
「なんで、俺に構うの?俺がオヤジの息子だから?じゃあ、オヤジのことを好きだったってことでいい?」
「昼にも伝えたな?口を慎めと」
車の中では口の端を指で押さえつけられたが、今回は違った。
唇だった。
下唇をはまれるような、徐々に熱を帯びそうなキス。
恥ずかしい。
正気では、これがファーストキスなのだから。
「そういうのいいから、水」
「さあ。お願い。アレクセイ、と。
倒れると分かっていたら、自宅で水を汲んで持ってきたというのに。百五十円も無駄な出費を私にさせたのだから、言ってくれないと割りに合わない」
「言わない。いい。自分で飲む」
床のペットボトルに手を伸ばそうとすると、それをさっと奪われ、アレクセイが空にする。
顔が近づいてきて、また、唇が重ねられた。
まだ喉が乾いていたので、貪るように飲んでしまった。
「さっきの続きだ」
「もういいよっ」
「何、スケベ方向に思考を飛ばしている?
なぜ、構うという質問の続きだ。
理由は、そうだな。
一緒にいて、楽しいからだ。
ありえない反応ばかりする。
あと、素直になるべきところで素直になれなくて、屁理屈ばかりこねる。
それが、うーん、なんと言っていいのだろう、愛らしい?」
小首を傾げられた。
ツバサは、湯当たりをぶり返し、昏倒しそうだ。
「やめろ、やめろ、やめろっ!愛らしいとか」
「何故?」
「俺と一緒にいて楽しいなんて思う奴、いるわけないだろうぉっ?!
失言ばっかなんだから」
「ここにいる」
澄ました顔で、アレクセイが服の入った籠を持ってくる。
「帰れそうか?」
「一回したぐらいで調子に乗んな」
素直に嬉しいと言えばいいのに。
こんな奇跡、もう人生で起こるはずもない。
アレクセイはツバサの着替えを手伝い、荷物をまとめ玄関へ。
「まだ、少しふらついてるが」
「大丈夫だし。
あれ、俺のつっかけが、片っぽない?!」
アレクセイがクスクス笑う。
「狐の仕業かもしれない。
人間の履物を盗むのが趣味なのがいるらしくてな」
「ふざけんなよ。奥蓼科!!」
つっかけを履いたアレクセイが、ツバサに湯桶を預け、背中を見せてかがんだ。
「おぶって帰ってやろう」
「いいってっ!!」
「私は、お前の、恥と怒りがこもった“お願い。アレクセイ”が結構好きだったりするんだが」
「本当、あんた、最低!」
ぶつくさ言いながら、その背中に身体を預けてしまったのは、なぜだろう。
「よっ」という掛け声とともに、足がふわっと床から浮き上がる。
星空の下を歩きながら、大昔、父親におんぶしてもらったのを思い出した。
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