第11話 エルフメイドの日記②(アルフィーレ視点)

 新しい御主人様は、これまでの方々とはまったく違った方でした。


 お屋敷に滞在して最初の数日は、よほどお疲れだったのでしょう。ほとんど寝てばかりでした。


 何度か、以前の御主人様方ならわたしを叱って叩いてくるようなことをしてしまいましたが、新しい御主人様のタナカ様は、一度も手を上げることはなかったのです。


 ただ怖いと思う瞬間はありました。寝室に連れて行かれたときです。


 これまでわたしの貧相な体を求める御主人様はいなかったので油断していました。奴隷として仕えている以上、いつかは来ることだと覚悟はしていたはずなのに。


 なのにそれを拒絶されて、わたしは絶望しました。このまま行くアテもないまま捨てられるのだと思いました。


 ですがそれは間違っていました。御主人様はそのとき、確かに強引さを見せました。わたしを抱くためではなく、寝かしつけるために。


 その意図も、意味も分かりませんでした。ただ御主人様は、なぜか謝ってきたのです。ろくに知らないはずの、わたしたちの言葉で。


 謝られていること自体が不思議です。でも後から思えば、立場が上のはずの御主人様が、わたしのような下の者に言葉を合わせてくれたことが異常だったと思います。


 タナカ様の不思議なところは、それだけに留まりません。


 この世のものとは思えない美味しいものまで食べさせてくれました。


 わたしはてっきり、わたしがどこかに生贄として捧げられると決まったから、最後の晩餐に特別優しくしてくださっているのだと思いました。


 けれど、それも勘違いだったようです。何日も休ませてくださっただけではありません。これからの働いていく時間のことさえ、新しく決めていってくださったのです。


 生贄に捧げられる者に、そんなことするはずがありません。


 それだけに、どうして御主人様が、わたしなどに優しくしてくださるのか分かりません。どうして働かなくていい時間などをくれるのか分かりません。


 奴隷のわたしは、働けるだけ働くのが当然のはずなのです。


 なのに御主人様は、わたしがつらいと思ってしまう仕事を、まるで心を読んだみたいに減らしていってくださったのです。


 例えば、エール造り。必要もないのに作らざるを得ない、あの作業です。


 以前、わたしは水が綺麗な地方で仕えていました。生水を飲んでも平気なので、他の地方のように水の代わりとなるエールを造る必要はなかったはずです。なのに、急にエールを寄越せと怒鳴られ、常備していないのは無能だと罵られ、何度も体罰を受けました。


 当時の御主人様はワインを好み、その在庫はまだたくさんあったというのに。


 だから、必要なくてもエール造りは欠かせません。いつ御主人様が求めてくるか分かりませんから……。自分の身を守るためにも……。


 お掃除にしても同じことです。広いお屋敷をわたしひとりでお掃除するなら、優先順位を決めて何日もかけなければなりません。ところが、当時の御主人様は、それを許してはくれませんでした。


 お掃除が遅れれば遅れる分だけ、叱責と体罰がありました。体罰を受ける時間が長くて、そのためにお掃除が遅れても、やはり同じく罰せられました。


 食事や睡眠時間を削ってでも仕事を優先することが、身を守るすべとなっていったのです。


 ですが、今の御主人様は――タナカ様は、どれも、しなくていいと仰ってくれました。


 それは単に重労働から解放してくれただけではありません。


 今もわたしの心にいる、かつての御主人様たちの影をも取り払おうとしてくれたようにも思えます。


 どうして、こんな卑しい奴隷のわたしを気遣ってくださるのか分かりません。


 なにか裏があるのではないかと……期待しても後で落とされるのではないかと……恐ろしい想像をしてしまうときもあります。


 けれど、わたしに向けてくれるあの笑顔を見ると、そんな怖さもどこかへ行ってしまいます。


 これまではずっと、明日が来るのが嫌でした。僅かな眠りの時間が、いっそ永遠に続いてくれればいいとさえ願っていました。なのに今は、朝のご挨拶とともにあの笑顔が見られるなら、どんな明日でも来て欲しいと思えるのです。


 だからでしょうか。タナカ様が発たれるとき、こんな言葉が出てきました。


「おはやい、おかえりを」


 それに快い返事をいただけたとき、わたしは不思議と笑顔になっていたのです。





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 次回、日本に戻った田中は、同僚の村川ありさから、いつもより元気なことを指摘されます。どうやら異世界での休暇がいい影響を与えてくれたそうです。上司のパワハラ発言にも負けず、次の異世界休暇に思いを馳せ、準備するのでした。

『第12話 スローライフ効果、恐るべしですねー』

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