第7話 初めて見る笑顔

「……マティーナ・サルーティラース、マスティール。エアリー デスペルタラース」


 アルフィーレは朝の挨拶をしてくれるが、ひどく元気がない。


 いや。思えば、いつだって元気はなかった。


「アルフィーレ、君はちゃんと寝てるのか? ごはんはちゃんと食べてるの?」


「ソーリアラース。セレスティ クィアーレ ファールラース ネル グリプテ……」


 返事の意味はわからないが、おれの言葉がわからなくて困っているのは確からしい。


「えぇと、長く、寝る、してる? ごはん、食べてる?」


 ひとつひとつ単語を区切りつつ、身振り手振りで尋ねてみる。アルフィーレは首を傾げていたが、最後だけは伝わったようだ。


「グリプテ。スヴェルティ ミラーレ セタリススティラース」


 そうお辞儀して、台所のほうへ向かおうとする。


 いやダメだ。やっぱり伝わってない! 絶対食事を催促したと思ってるでしょ!


「待って違うんだ、アルフィーレ」


 とっさに彼女の肩に手を伸ばす。


「ヒ――ッ!?」


 触れた瞬間、アルフィーレは大きく体を震わせて、身を縮こませた。


「ナ、ナーヴェ。チェサーレ。バリタス ネルラース」


 おれは思わず手を引っ込めてしまう。


 なんだこの反応は?


 言葉が通じなくても分かる。明らかに恐怖への防御反応じゃないか。


 おれ、なにか怖がらせるようなことをしたのか?


 それとも……。


 ――もし言うことを聞かなければ、ご自由に処罰なさってください。あなたの所有物ですので。


 ヴォルテーノの言葉を思い出す。


 これが彼の言うなのか? こんなに怯えさせているのが?


「……アルフィーレ」


 おれは害意がないことを示せるように、手のひらを見せて、それを差し出した。


「マスティール……?」


「大丈夫だよ。大丈夫。怖くない。怖くない」


 できるだけ優しい声で呼びかける。


 あれ? なんかナウシカっぽくない? とか思っちゃうが、今はそんな場合じゃない。


 辛抱強く、微笑みを絶やさずにいると、アルフィーレはやがておれの顔と手を交互に見て、恐る恐る手を伸ばしてくれる。


「ディーモ、ラース……?」


 その様子におれは頷く。やがて安心して、彼女はおれの手に手を重ねてくれた。


「よし、じゃあ行こう」


 その手を掴み、引っ張っていく。


「マスティール? ロカーレ レイ ヴェイルラース?」


 アルフィーレは慌てつつも、抵抗せず素直についてきてくれる。


 たぶん、どこへ行くのかと聞いてきているだろう。


 そんなの決まってる。


 おれには、アルフィーレが疲労困憊で異常な睡眠不足に見えるんだ。このまま働かせるわけにはいかない。


 もしかしたら、本当にこの世界のエルフは目の下にクマがあって、普段から疲れてるみたいに動きが鈍いのかもしれないけれど……それがなのかもしれないけど、そんなの知るもんか。


 おれが間違ってたって、誰も損はしないはずだ。だったら、これでいい。


 おれはアルフィーレを寝室に連れてきた。おれの部屋の隣で、こちらにもベッドがある。アルフィーレが常に清潔にしてくれている。


 そこでおれは手を離し、アルフィーレにベッドへ行くよう促す。


 するとなぜか、アルフィーレは先程とは違った様子で、しかし、足をガクガクと震えさせていた。みるみる顔も赤くなっていく。


「セーナ……インクレディレ……ディーナ モメンティス カームティア……」


 なにかブツブツ言っているが、反応が意外すぎて推測もできない。


 とりあえず手でもう一度、ベッドで寝るよう促してみる。


 すると無言で、こくこくと頷いた。おずおずとベッドの上に座り込み、うるうるとこちらを見上げてくる。


 え、泣いてる!? なんで!?


 こちらが驚いている間に、アルフィーレは自分のメイド服に手をかけ……


 なんで、服を、脱ごうとするの!?


「ちょちょちょ、待って待って!」


 否定を示すように手をバタバタさせるが、アルフィーレは覚悟を決めたように目をつむってしまう。脱衣の手は止めずに。


 これ勘違いされてない!? メイドさんにエッチなお仕置きする御主人様とか思われてない!?


「違うよ、違うからね! そんなこと少しも考えてないからね!?」


 いや実は少しくらい、そういうイベントがあったら嬉しいなー、とか思いましたけどね!? こういう勘違い状態で進行していいイベントじゃないわけですよ!


 言葉や身振り手振りでは伝わらないので、おれはもう彼女の肌を見ないよう背を向けて部屋を出ていく。


「ヴィラ? マスティール?」


 扉を閉めた音に気づいたか、すぐ足音が近づいてきた。


「ソーリアラース、プアーラ フィジーレ! ドルチェ ネル リリアース! アルヴィ ヴァーリス ロークス ネル アーレ…! ドルチェ、フルティス ドゥリーテスティラース!」


 なにか必死に訴えながら扉を開けてくる。


 思わず、そのあられのない姿を見てしまうが……おれに湧き上がったのは劣情などではなかった。


 これは……冒涜じゃないのか?


 怒りにも似た、悲しみだった。


 アルフィーレの体は、服を着ているときの印象よりずっと……ずっとずっと痩せていた。同じ人間だと思えないくらいだった。


 こんなの普通じゃない。こんな扱いを人にするなんて、生命への冒涜じゃないのか。


 おれは衝動的にアルフィーレを抱き上げた。運動不足のおれにさえ、アルフィーレの体はひどく軽く感じた。


 戸惑うアルフィーレの様子は無視し、ベッドに寝かせて布団をかける。


「マスティール、ディス クィアーレ…?」


「ダメ。寝るんだ」


 起き上がろうとするのを阻止する。その際、両肩を押す形で触れてしまう。


 アルフィーレはまたびくりと震え、けれどそれを我慢するようにぎゅっと目を閉じる。


「あ、ごめん……」


 また怖がらせてしまった。違う、悪気があるんじゃない。


 それを分かってもらうには……。


「……ソーリアラース」


 アルフィーレが謝るときによく言う単語を使ってみる。


 すると、不思議そうにアルフィーレは目を丸くした。潤んだ緑色の瞳が、少しだけ輝いた気がした。


「クール マスティール ソーリア ファール?」


 なにか尋ねられたが、もちろん意味はわからない。


「あー……ソーリアラース。ソーリアラース」


 愛想笑いしつつ、謝罪と思われる言葉を連呼して誤魔化してみる。


「ふ……ふふっ」


 その様子がおかしかったのか。それとも言葉の使い方を間違っているのか。アルフィーレは小さく笑った。初めて見る笑顔だった。


「よかった……」


 おれも安心して笑みがこぼれる。


「ソーリアラース、マスティール。フィラリス アウディーレ シミーラ……」


「ごめん。なに言ってるのかわからない。けど、とりあえず君は寝るんだ」


 とは言っても通じないので、とにかくボディランゲージで伝える。


 苦労したが、やがておれの深呼吸の様子をアルフィーレに真似させ、それを繰り返すことで眠りにいざなうことに成功した。


「……ソーリア、ラース」


 最後まで彼女は謝っていたが、彼女にとって睡眠や休憩は、そこまで許されざることだったのだろうか?


 そのあたりは、また今度ヴォルテーノが来たときにでも問い詰めてみよう。


 さて、起こさないように静かに部屋を出て……。


 よし。腹も減ってきたし、今日の食事はおれが用意するか。


 なんて、面倒だからテキトーに腹に溜まりそうなお菓子を食べるだけだけどね。


 味の濃い食事は、とても久しぶりに思えてやたらと美味かった。


 でも……。


 こういうカロリー満載の食事って、アルフィーレにこそ食べさせてあげたほうがいいよね?


 よ~し。起きてきたら、驚かせてあげようじゃないか。面白くなってきたぞ。





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 次回、目を覚ましたアルフィーレに、田中は食事を振る舞います。遠慮するような態度をするアルフィーレでしたが、根負けして食事を口にしたとき、田中の期待以上の反応を見せてくれるのでした。

『第8話 人になにかしてあげるのって、結構楽しいよね』

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