第9話 初詣で
大晦日、リリナが私の寺子の家に泊まってくれた。いつもなら、私が仙台の姉の家に行って、姉家族と年越しの夜を過ごすのだが、今年は我が家で二人で紅白歌合戦を見た。私なりにおせち風の料理を準備して、とびっきりの日本酒もいただいた。ところが年越しソバの準備を忘れて、福山とミーシャの歌が始まる頃に、どん兵衛にお湯を注いで三分待った。まっ、それも楽しかった。
元旦。習い性となって六時には目が覚めた。ペレットストーブで沸かした湯でコーヒーを淹れる。炎を見ながら今年初めてのコーヒーをすする。美味しい。七時が過ぎてやっと外が明るくなった。雲一つないいい天気である。どうかこの新しい年も良い年でありますように。
くっきりと見える茶臼岳と朝日岳に向かって手を合わせる。私は、何に手を合わせているのだろう。創造主の神か、山の神か、一足先に向こうへ行った彼の魂にか、自分の過去の思い出にか。分からない。ただ、手を合わせたい。
八時にリリナを起こした。一度目を覚ましても、すぐに枕に頭を戻して、二度寝体勢。若い。眠る力に満ちている。
ペレットストーブの天板に焼き網を載せて切り餅を焼く。そして焼いた餅にチーズを載せて海苔で巻いた。それに昨日の残りの黒豆煮。
やっとリリナが起きてきた。おはようと、私に抱きついてくる。最近、バグが多い。
おチョコに一杯だけ日本酒を入れて、お屠蘇代わりに乾杯をして、餅を食べた。
私、
「お天気がいいから出かけようか」
リリナ、
「いいね、初詣で」
リリナが続けて、
「ユゼン神社に行ってみたい。あの那須与一が屋島の戦いで、馬に跨り海の中に歩み出て、
『那須のユゼン大明神、願わくはあの扇の真中射させてたばえ給え』
と祈り、矢が波に揺れる扇に命中。
私も一発当てたいな」
リリナ、そんな講談いつ覚えたの。
私、
「今、一杯お酒いただいたばかりだから、車の運転は無理なの。いつもの寺子地蔵までの散歩よ」
リリナが不満げに、
「結構な距離だよね、行きの下りが二十分、帰りの登りが四十分でしょ」
私が、
「さ、準備準備」
とせかす。
放射冷却で空気は冷たい。毛糸の帽子にマフラー、手袋をして家を出た。朝日岳を遠くに見ながら坂道を下る。リリナが、同じ研究室の癖のある同僚たちが巻き起こす、いろいろな面白い事件の話をしてくれた。
生成AIが文章作成する時に、ネットで資料を探し出すわけだが、キイワードで探すだけでは玉石混交、信頼度に重みをつけて引用するために、重みを自動計算する変数を幾つも作り出さなければならない。学術論文なのか否か、引用数、発表年度、雑誌や会議などの発表媒体の信頼度、などなど。この重み変数の逆数を入力してしまう、いたずら実験をしている同僚がいるという。そうすると作られる文章が、奇妙奇天烈で落語になっちゃうというのだ。
別の同僚は、東北のいろいろな方言を聞き取る音声文字起こしAI の研究をしているのだが、方言から標準語への変換ソフトを逆方向に使って、教授の地方講演で使ってもらおうと思ったら、うまくいかず会場が大笑いになった話し。双方向変換はただの逆方向と考えたらうまくいかないんだよね、とリリナ。どれもこれもさっぱり理解できない話だが、ともかくリリナが幸せに生きていてくれて嬉しい。
余笹川を渡って、お地蔵さんに着く頃には、お天気の良さもあって、体が熱くなって来た。首元のマフラーを緩め、手袋も外そうかと思っていると、お地蔵さんの方から、シンレイ先生のご家族三人が歩いてくる。
私、
「明けましておめでとうございます。こんなところでお会いするなんて」
キャロルさん、
「ハッピーニューイヤー」
続けて、
「片山さんたちも、初詣でなの」
私、
「ちっちゃな初詣でです。お地蔵さんに。まさか、キャロルさんも初詣でするとは驚きです」
キャロルさん、
「私は、石なんかに手を合わせませんよ。ジーザスと三位一体の神さまだけが本当の神だと知ってますからね。この二人が元旦の散歩をすると言うからついてきただけです。そしたら二人で石に手を合わせちゃうから、困っちゃうんです」
シンレイ先生、
「キャロルの言う神様が本当の神だと思っていますよ。そして私は、その神様が万物に宿っていると思っています。ここも、神に祈る場所の一つだと、私は思いました」
キャロルさん、
「さっきお地蔵さんの膝下のチリを払っていたでしょ、あなた。聞きますが、あのチリにも神が宿っているんですか」
先生、
「そうですたぶん」
キャロルさん、
「じゃ、なぜチリを払い落としたんですか」
先生、
「空に鳥がいる、魚は水の中にいる、チリの居場所は地蔵さんの上じゃない。神様の作った世界が、きちんとなるようにお手伝いしただけです」
私、
「それでは、私たちもちょっとお参りしてきますね。やり慣れて親しんだ行事ですから。悪しからず、キャロルさん」
キャロルさん、
「あとでお茶に来て下さい。フルーツケーキまだありますから」
私が初めて挑戦し、なんとか成功した黒豆煮を持って、リリナと二人でシンレイ先生の家を訪ねた。シンレイ先生は、朝からワインをいただいて昼寝しているということだった。
女四人でのお茶会。
マーガレットさん、
「この黒豆、甘すぎなくて美味しい」
キャロルさんも、
「片山さん、黒豆煮、上手に作ったわね」
とお褒めの言葉。もちろんフルーツケーキも美味しい。
私、
「フルーツケーキ何本作るんですか」
キャロルさん、
「最近は十本ぐらい。前はお歳暮用にも作っていたので二十本は作っていたけど、今は自宅用とお友達に分けるぐらい。カタヤマさんも、後で一本持っていって」
リリナが笑顔で、
「ありがとうございます。嬉しい。やったね、ニーちゃん」
と言う。本当に嬉しい。
キャロルさん、
「私たちお昼まだなの、ちょっと変わったグラタンに挑戦しているのよ。一緒に食べて」
と言いながら、両手に肘近くまで隠れるような大きな革手袋をして、ストーブの扉を開ける。ストーブの中に新鮮な空気が入り、真っ赤な熾火から急に炎が出る。五徳の上に蓋を開けたダッチオーブンが載っていた。マーガレットさんがワインのコルク栓を百個ほどくっつけた鍋敷きをテーブルに置いた。シンレイ先生のお手製か。キャロルさんが慎重にダッチオーブンを取り出し、鍋敷きの上に置く。焼けたチーズの匂いが立ち昇る。
キャロルさん、
「餅グラタンです。召し上がれ」
と言いながら、マーガレットさんが準備したお皿にスパチュラで取り分けてくれた。
まぶしたパン粉に焼け目の入ったチーズの下にはホワイトソースに包まれたミニトマト、オクラ、ホタテ、ベーコンがあり、その下にとろりと柔らかに焼けたお餅がある。まだ熱いので、フーフーしながら、一口食べた。なんと美味い。
リリナ、
「おいしい」
と奇声を上げる。みんなで大笑い。
いろいろおしゃべりしたあとに、リリナが、
「キャロルさんは日本生まれ、と言っていましたが、ご両親ともにアメリカ人ですか」
マーガレットさん、
「そうです。祖父も祖母もアメリカ人ですよ。祖父はノルウェー系、祖母はネイティブアメリカンの血が混じる白人です。二人とも日本でキリスト教伝道をした宣教師で、もう八十代なのでそのまま日本で引退生活をしています。私はしょっちゅう会いますよ。母も、私が生まれてから会うようになったみたいです」
キャロルさん、
「母も、って、まるで私が自分の両親に会いたくない変な人間みたいじゃない。いろいろ事情があるんだから。
私も自分なりに、神を信じジーザスと共に生き、日々聖書を読んで生きているんです。その私も自分の人生を生きたかった。両親が、娘も当然宣教師になるものと決めた通りの人生には耐えられなかった。十年以上悩んだ末に、二十七歳で親元を離れ、あっちこっちの英会話学校で働きながら何とか一人で頑張って生きていたんです。
そんな時に、ちょっと風邪を引いて入った病院で、待合室のみんなが病気で暗いのに、大きな笑い声で診察している医師に出会ったんです。新屋礼治医師、今の主人です」
いつの間にかシンレイ先生がやってきて、椅子に座っていた。
先生、
「今の主人、ここにいますよ。僕も餅グラタンいただけますか」
キャロルさん、シンレイ先生にもグラタンを分けながら、
「あなたですよ。
そんな風邪ぐらい、お祈りすればすぐに治りますよ、と言い出だして、私が祈るのはやめました、と言ったら、ありゃりゃ、もう一度これを読んでみたら、と言って聖書を私にプレゼントしてくれたのは」
シンレイ先生、
「そうそうあの時は、私が持っていた日本語英語対訳の使い古した聖書を渡したんだよね。使い古しじゃ申し訳ないから、後で新品を買ってそれと交換して、プレゼントにしたんだよ」
キャロルさん、
「その後、結婚し、この子を生み、教会に一緒に通い、私は洗礼を受けたんだけれど、なぜかこの人もマーガレットもまだ洗礼を受けていないんです。
そして、この二人は、富士宮の鳥居では富士山はおがむし、安芸の宮島では海もおがむんですよ」
シンレイ先生、
「いいじゃないですか、硬いことを言わず、おがみたい時におがみ、祈りたい時に祈れば」
キャロルさん、
「本当にあなたは日本人ね。目を覚ましてほしい。最後の日は近いんですよ。私は神を受け入れ、この寺子の家を、何があっても生き延びられるノアの方舟のようにしようと思って、昨日だって玄米六十キロ買ったんですよ」
先生、
「あの米重かったね。キャロルには本当に感謝してますよ。一生懸命に家族のことや皆のことを考えてくれている。キャロルの隣で暮らせることは本当に幸せなことです」
続けて、先生、
「一つ理解していただきたいのは、私はノアになりたいとは思っていないということです。
皆が寒い冬には私も寒くていい。皆がひもじい時には私もひもじくていい。少し人より多めに持っていたら、周りの人に分けてあげられればいい。
ノアの時代に死に絶えた人々の中にも、幸せだった人々はたくさんいたと思うし、多くの隣人と黙って死を受け入れた人々もたくさんいたと思う。
私もその中のひとりでいたいと思っています」
キャロルさん、
「ノアの時代に人間の世界が堕落していたので、神様が大洪水を起こしたんだと言っている人もいますよ」
先生、
「わかりやすい解釈ですね。そうかも知れないし、そうでないかも知れない。さあ、お正月です。一杯いただきましょう」
先生がテーブルにワイングラスを並べ、冷蔵庫から半分あけた白ワインを取り出して、皆に注いでくれた。
先生、
「新年に乾杯」
先生の白ワインの趣味は甘口だ。遅摘みのブドウで作ったドイツワイン、なかなかに美味しい。
私、
「ノアの方舟のお話、先生はどう解釈するんですか」
シンレイ先生、
「私には解釈不能です。
どうも人間には、自分のちっぽけな頭で物事を理解しようとする悪い癖があります。因果応報とか、信賞必罰とか、勧善懲悪とか、単純で理解しやすいですからね。ところが神の御業は、人間の思いをはるかに超えているように思います。
東日本大震災がそれを教えてくれた。能登の災害も我々に語りかけてくれている。大災害の多いこの国に生きていると、生死を善悪で解釈することの無意味なことがしみじみとわかります。
死にゆくものにはただ手を合わせたい。そして、生き残ったことを誇らずにいたいと思います」
キャロルさん、
「日本教だ。あなたは、本当に日本人ね。
ジーザスを受け入れて、永遠の命を授かろうとは思わないの」
先生、
「ジーザスを受け入れてますよ。でも、永遠の命を求めようとは思いません。
『人間にとって最も良いのは、飲み食いし、 自分の労苦によって魂を満足させること、それこそが神の手からいただくもの』
このコレヘトの言葉が好きです。美人の皆様と一緒にこのワインをいただく、これに勝るものはありませんよ」
マーガレットさん、
「ダッディ、飲み過ぎだよ」
シンレイ先生は、テーブルに突っ伏して眠ってしまった。マーガレットさんとキャロルさんが、シンレイ先生を何とか起こして両腕を支えて寝室につれていく。シンレイ先生が振り向いて目を開け、私を見た。
先生、
「カタヤマさん、罪悪感なんですよ、生き残ってしまった。だからノアはワインで酔いつぶれたんですよ」
そう言い残して先生は出ていった。
なるほどと思った。私は、目の前のワインを飲み干した。生き残ってしまったものの罪悪感、それなのかもしれない、私が抱えているものは。
読者の皆様へ
ここまでお読みいただき感謝いたします。
引き続き、ご笑読をお願い申し上げます。
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