第3話 ほうれん草とナス

 那須は九月でも、日中はまだ暑い。

 敬老の日にいただいた花束も、さすがに二週間は持たない。ケイトウの赤がなくなり、リンドウの水色がなくなって、花弁の先が茶色になったマリーゴールドも今日で処分だ。

 ツバサくんのママからいただいた小さな花束は、まだ元気。ワレモコウの小豆色のツブツブに濃いピンクのダリアの取り合わせは、油絵風の色使いで素敵だ。

 今日の診療は午前中だけで終了、午後はシンレイ先生が下の検診センターでMRI検査を受けている。二年前から前立腺肥大で内服を続けて、そこそこ調子良かったのだが、最近また排尿障害が進んだとのことであった。

 スースーは診察室で書類整理、私は待合室の掃除である。

 休診の掛札を無視して、ドアを開けて入ってくる人がいる。八百屋のおばあちゃん、庄司さんだ、やっぱり。昨日も来て、一ヶ月分の薬の処方箋をもらったばかりなのに。

 私から声をかける。

「あら、庄司さん、どうなさったの」

 庄司さん、すぐには答えず花瓶の花を見ながら、

「あれれ、あのにぎやかな花は片づけたのね。ま、この小さなお花もかわいいけどね。あれっ、喜寿祝いの札が落ちてるわよ。と言うことは、シンレイ先生、七十七だったのね」

しまった片付け忘れた。

 庄司さん続けて、

「もっと若いかと思っていたわ。私と三つしか違わないんだ」

 私がさらに、

「今日は、どうしたんです」

と聞いても、庄司さんはどこ吹く風。

「私も、もう八十よ。傘寿だけど、なあんにもお祝いは無し。寂しいもんよ」

とマイペース。庄司さんも八十にしては若くて美人だ。目の周りの昭和風の熱帯魚化粧が気になるが、小作りの丸顔がかわいい。

 いつの間にか待合室に出てきたスースーが、

「あら庄司さん、昨日一緒に来たキョウさんが、みんなで温泉に行ってお祝いしたと言ってたじゃないですか」

とキッパリ言う。ちょっと言い方きついんじゃ。

 それでも庄司さんは気にせずに、

「そうだったかしらね。でも、好きなタバコは取り上げられて、糖尿病だからって私にはちょっぴりしかご飯よそおってくれないのよ。お祝いなんてもんじゃないわよ。自分たちだけ楽しかったんじゃないの」


 そこへ、噂をすれば影。京さんが現れた。彼女は私と同い年。嫁をやるのも大変だ、と同情。

 京さんが大きめの声で、

「おばあちゃん、庄司桜子さん、今日は歯医者の日ですよ。間違ってここに来ちゃったの」

 庄司さん、

「人のこと、ぼけババア呼ばわりしないでくださいよ。あなたが私をぼけ扱いするから、昨日も薬を増やされちゃったじゃない。ちゃんとわかっていますからね。ちょっとシンレイ先生に会いに来ただけよ」

 私、

「先生、今外出中なんですよ」

 京さん、

「さっ、歯医者さんに行きましょう。昨日、シンレイ先生も、歯周病の治療が大事だと言ってたでしょ。ボケ防止になるって」

 それでも頑固に庄司さんは、

「先生に、あなたには言えない相談があるのよ」

と言い張る。

 間の悪いことに、そこにシンレイ先生が帰ってきた。

「あっら、先生」

庄司さん、先生に抱きつかんばかりに寄ってゆく。

「おりいって相談があるの、この人たち無しで」

 庄司さんは、京さんをぐいっとにらみつける。

 先生はいつも通りに甘い。

「いいですよ。どうぞどうぞ診察室に」


 リリナのAI文字起こしをみんなでのぞき込む。

 庄司さんの話が始まった。

「先生、昨日は京ちゃんが隣にいたから言えなかったことがあるんです」

受付のモニターの前で、京さんが肩をすくめる。庄司さんの話が続く。

「確かに最近、頭の調子が悪くなったのは自分でも分かっているんですよ」

けっこう素直だ。

「ただ不思議なことに、二週前から、亡くなった旦那が竹かごにほうれん草とナスを入れて私に持って来るのが見えるんです。何度もです。私は八百屋の娘として生まれたけれども、トマト以外は野菜が大嫌いなんです。野菜好きの旦那が婿に来てくれて、なんとか八百屋を続けられたけど、私は野菜が好きにはなれなかった」

やっぱり庄司さんは、肉食女子だったか。

 先生の質問が割って入った。

「ご主人とほうれん草とナスは、どういう時に見えるのかな」

 庄司さん、

「朝起きたときとか、京さんにボケと言われたり、歩いていて急に自転車が来たりしたときかな、ちょっと興奮したときかしらね。不思議と夜に休んでいるときには出てこない」

 先生の問診が続く。

「目の前のどの辺に見えるのかな。いつもおなじかな」

 庄司さん、

「いつも左側の下から、正座した旦那がほうれん草とナスが入った竹かごを私に差し出すんです」

 次に先生の診察。

「庄司さん、私の目を真っ直ぐに見ていてくださいよ。私が視野の周りでペンを振りますから、目を動かさないでペンが動くのが見えたら、見えるといって下さいね」

 庄司さん、

「見える、見える、よく見える、全部見えますよ」

「視野欠損はありませんね」

と呟いてから、先生が、

「庄司さん、一度MRI検査を受けてみましょう。私も今受けてきたばかりだ。ちょっと音がうるさいけど、いろんなことが分かりますから」

 先生と庄司さんが診察室から出てきて、先生が下の健診センターに電話する。たまたま運よく機械があいていたみたいで、庄司さんがMRI検査をすぐに受けられることとなった。スースーが庄司さんを下に連れて行った。

 先生が、京さんに向かって、

「ごめんなさいね、急に検査になってしまって。歯医者にはキャンセルの連絡しておいて下さい。もしかしたら、急がなきゃいけない事態かもしれないのでね」

続けて、

「歯周病、糖尿病、喫煙と三拍子がそろっているから、私は当然アルツハイマーを第一に考えて対処していました。ただ、ここ二週間の症状は少し違っているようです。昨日増やした薬はちょっと止めて下さいね。MRIが終わるのを待ちましょう。一時間ほどです。」


 検査が終わり、庄司さんが帰ってきた。

 先生が診察室で下から送られてきた画像を見ている。やっぱりね、とうなずいたように見えた。

 先生が診察室に二人を呼び入れる。

「庄司さん、京さんもこちらに来て下さい」

 モニターのMRI画像を指差しながら、先生が説明する。

「これが頭の血管を撮影したものを三次元画像にしたものです。この細く濃い白い線が硬膜動脈です。脳の右下にだけ、太くて薄く白い線が見えますね。脳静脈です。この部分で動脈と静脈が直接つながってしまう硬膜動静脈瘻ができてしまったんです。二週ほど前に風邪でもひきましたか」

 最後の問いに京さんが答えて、

「そう言えば桜子さん、珍しく夏風邪をひきましたよね」

 庄司さん、

「三、四日具合悪くて寝込みました。一日だけポンと三十八度まで熱も出ましたよ。頭も痛かった」

 なるほどと頷きながら先生が、

「その時にできたのかもしれませんね。今は、興奮して血圧が上がった時だけ、この場所、右側頭葉の下部を刺激して、マボロシが見える症状が出るわけです。見えるものを意味づけする働きのある、腹側皮質視覚路の場所ですからね」

続けて、

「放置していると脳出血を起こす危険性があります。医療福祉大の脳外科で、ここを塞いでもらいましょう。頭を開くわけじゃない。カテーテルの治療です。これから私が電話で段取りしますから」

 三人が診察室から出てきた。


 シンレイ先生が医療福祉大に電話する。コンピュータで画像を送ったり、数ヶ所に電話し直したりで忙しい。庄司さんのMRI画像だけじゃなくて、先生本人のものも送って相談しているようだ。三十分ほどたって、シンレイ先生が、

「お待たせしました。いい段取りができましたよ。今日は金曜日、来週の火曜日に医療福祉大クリニックに行きましょう。私も一緒に行きますよ。庄司さんは、すぐに治療して何日間か入院になりますからね。その準備をして来てください。私は私で別のところで診察を受けますから、朝に受付でお会いしたらそれぞれ別々になりますけど、お顔を見られたら多少ははげみになるでしょう、お互いに」

続けて先生、

「庄司さん、それまでに事件を起こしちゃいけないから安静にね。お風呂も我慢したほうがいい」

 庄司さん、

「あら、じゃ私、風呂キャンね」

えっ。

 京さんの解説。

「ギャル語でお風呂に入らないで寝ちゃうことなんですよ。この間のギャルドラマを観て、桜子さんが覚えちゃって、最近使うんです」

庄司さん若いじゃん。


 ということで、翌火曜日は朝から休診になった。先生によると、前立腺のMRIで二年前にはなかった黒い影が見つかったとのこと、マッピング検査を受けて、必要ならすぐにでも手術を受けるつもり、との話であった。

 スースーは診療所で電話対応、私が車でシンレイ先生を医療福祉大クリニックに連れて行くこととした。病院の待合室にはすでに、庄司さんと京さんが来ていた。

 庄司さん、機嫌よく、

「今日は先生も患者だね」

 先生、

「高齢化医療ですよ。高齢の医者が自分も治療しながら、高齢の患者を見る時代になった、ということです。見方を変えれば、いい世の中になったということです。庄司さんの治療がうまくいくように祈ってますよ」

 庄司さんには車椅子の迎えが来て、すぐに脳外科外来に向かった。先生と私は泌尿器科外来の前の椅子に座った。先生の診察はごく短時間で、その後は処置室での検査に1時間ほどかかった。終わったらちょうどお昼であった。先生が、脳外科外来によって、庄司さんの経過を尋ねると、午前中に治療は順調に終わり、すでに病室で休んでいるとのことだった。

 帰りぎわに、病院の総合受付のところで、フランス人形のように美しい若い女性が、職員に何かを尋ねているのを見た。シンレイ先生が真っすぐにその女性に近づいて、ペラペラと英語で話し掛ける。その後、急にその女性は笑顔になり、シンレイ先生と私に手を振った。先生は、どこでもすぐに人助けだ。


 ちょうど一週間後の午後四時、ちゃんと診療所が暇になる時間を見計らって、京さんが庄司さんを連れてきた。立派な竹かごにほうれん草とナスを山盛りに入れてである、。

 京さん、

「桜子さん、昨日、元気に退院してきたんです。皆様にはお世話になりました。本当にありがとうございます」

 庄司さん、大きな声で、

「先生、こっちに来て」

 先生がニコニコしながら診察室から出てくる。

 先生、

「庄司さん、お元気そうで何より」

 庄司さん、寂しそうな声で、

「旦那が消えちゃったのよ、すっかり。先生のお勧めの治療すごいね。幽霊が消えちゃうんだから。うちの人、私の頭の中にいたんだね」

 先生、

「頭の中にいたのか、頭の中に別の世界とのチャンネルがあるのかは、難しい問題なんです」

 庄司さん、急に大きな声で、

「で、これは旦那の置きみやげ。ほうれん草とナス、たくさん持ってきたから、みんなで分けてね」

 スースー、

「すごいたくさん持ってきたわね」

 京さん、

「うちには売るほどありますから」

 みんなで大笑い。




読者の皆様へ

 ここまでお読みいただき感謝いたします。

 だいぶ医学用語が混じってしまいました。気になる方は飛ばし読みしてかまいません。

 さて次は、臨死体験とAIドクターの登場です。

 いよいよ当機は離陸しますので、シートベルトをお締め下さい。

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