泊まっていきなよ
七月も中旬に差し掛かり、暑い日が続いている。
予定を突然変更して遊びに行った日から家庭教師の日が数回あったが、ヨミは以前と同じように、ほどほどの集中力で取り組んでいる。
何かがはっきりと変わったわけではない。
あの日の、彼女らしからぬ暗い雰囲気は、なんだったのだろう。
ただ単に、ちょっと気分が落ち込んでいただけならいいのだけれど……。
心配しすぎだろうか。
生徒たちが夏休みになると、塾の方も忙しくなった。
夏期講習が始まって、午前中から働く日も増えた。
他の先生の代打でシフトが増え、五連勤の翌日の日曜日。
家庭教師をしに、ヨミの家に訪れていた。
「ゆっきー、なんか疲れてる?」
勉強がひと区切りしたところで、ヨミが言った。時刻は午後の七時。
「あ、わかる?」
「うん。いつもより三歳くらい老けて見える」
「そりゃ大変だ」
僕も疲れていることは自覚していた。
夏期講習用にテキストが与えられ、授業の準備の負担は少し減ったとはいえ、単純に労働時間が増えた。当然のように疲労も出てくる。
前職に比べれば大したことはないけれど。
「ゆっくりしてていいよ。あたし勉強してるから」
「いやいや、家庭教師しにきてるんだから、ちゃんとやるよ」
「真面目か!」
と、頭にチョップを食らった。
それから数分後、ちゃんとやるとは言ったものの、途中で眠気が襲ってきてしまった。
「ごめん、やっぱちょっと寝ていい? 二十分くらい休憩ってことで」
「いーよ。あたしの膝枕いる? 十分で五十万円なんだけど」
「いらない」
ツッコむ気力もそんな大金もない。
僕はクッションを借りて横になり、目を閉じて――。
次に目を開けたときには、かなり時間が経っている感触があった。
僕はガバっと体を起こす。
「あ。ゆっきー、起きた?」
「……うわ、ごめん! がっつり寝てた!」
慌てて時計を見る。
日付が変わる直前で、終電の時間も過ぎている。
五時間近く寝てしまっていた。
「めっちゃ気持ちよさそうに寝てたね」
スマホをいじっていたヨミが、なぜか楽しそうに言う。
「『ぐうぅぅ。封印されし我が左手がぁぁっ!』って言ってたよ。寝言で」
「それは嘘」
「バレたか」
どうやら、自分で思っていたよりも疲れていたらしい。
起こしてくれてもよかったのに……なんて、ふと思ったけれど、全面的に僕が悪いので文句を言う資格はない。
「ごめん、タクシーで帰るよ」
「え、お金もったいなくない?」
「大丈夫。僕の家、ここから歩いても一時間かからない距離だし。なんなら別に、歩いてもいいし」
「泊まっていきなよ」
「は?」
何を言い出すんだ、この子は。
「あはは、なんか変なこと考えちゃった?」
「僕は考えてないけど、世間はそういうことを考えると思う」
女子高生の家に成人男性が泊まり込むなんて、どう考えても逮捕案件だ。今度こそ人生が終わる。社会的に死ぬ。
「ほんっと、ゆっきーは頭が固いね」
「そんなことはない……とは言い切れない」
自分でも、悪い方向に真面目なところがあると自覚はしていた。
「友達の家に泊まることの、何がおかしいの?」
ヨミは真顔でそんなことを言う。
「友達?」
「うん。あたしとゆっきーは友達でしょ」
「まあ……そうか」
まだ眠気があったこともあって、そういうものかと納得してしまいそうになるが、その後すぐ、恋人でもない異性の家に泊まることも、十分に誤解を生むような行動ではあるんじゃないかと気づいた。
だけど、僕は彼女に何かするつもりはないし、仮にヨミが何かしてきたとしても、力は僕の方が強い……はずだ。たぶん。
結局、僕は彼女の家に泊まることになった。
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