第3話 棟山カケルの災難

 棟山カケルは生徒会役員に選ばれて不満だった。

 実をいうと、小中とずっと役員をやらされていた。リーダーシップとか、そういうのに向いた性格なのかもしれない。高校は一年で辞めていて、両親は病気のせいだというけれど、彼は自分のせいだと悩んでいた。

「過去の自分を知らない学校で静かな学生生活を送るのもいいかな」

 と、思っていたのに。

 ところが、教師の独断で選ぶなんて時代錯誤もはなはだしい。九十九人も生徒がいて、ランダムなはずなのに、どうして選ばれる?

 まさか、わざとということはないだろう。あの教師がそこまで考えてるとは思えない。 いいたいことはあるが、彼も反論したところで何のメリットもないのであまんじて受けることにした。

 ただし、自分だけのルールとして生徒会では脇役に徹して目立たないことに決めた。三時間半の時間をつぶすため喫茶店へと出かける。

 さて、カケルの人生を変えてしまうほどの出来事が起こるのだが、

 そいつを最初にみつけたのはミナモだった。

 彼女は、先程までひかりちゃんと湯川の寮にいた。そこでのジェネレーションギャップがありすぎて頭の中を整理する必要があった。

 たぶん、たぶんだけどタイムトラベラーが旅行から帰ってきたら頭パンパンでこういう状態になっちゃうんだろうな。などと、考えながら淀川の土手をまっすぐ歩いていた。めざす学校はすぐそこだ。

 ほんとうに、今日は散々だった。「厄日だったな」と、しみじみ思う。

 初登校の日、自己紹介でボロボロになって、さらに、あのくそ重いパンドラの箱でからだもボロボロ。それで終わればいいのに、野間が勝手に生徒会役員に選びやがって。最悪中の最悪だ!

 三人とも、今日は疲れてくたくたで、はやく家に帰りたくて、生徒会に足は向いているのだが魂は家に向いていた。

 ミナモが何の気なしに川面をながめていて妙なものをみつけた。

「あれ、あれって猫じゃない?」

 指さした先は淀川の中ほど、そんな場所に猫はおらんやろうと思うよね。

 ところが、すごい勢いで流されているハッポウスチロールの箱からふわふわの白い毛と三角の耳が見えた。

「ほんとうだ、白い子猫ちゃんだ!」ひかりちゃんが興奮して叫ぶ。

 もうすぐ役員会が始まるので学校にもどろうと河川敷を歩いていて、偶然、流されている箱の中に猫を発見した。箱は激流をいく落ち葉のように、くるくる回転しながら進んでいく。

「このままじゃ、沈んじゃうよ!」ひかりの悲痛な叫び。

「なにか、長い棒か、網でもないかしら?」

 湯川が辺りを探したが、あいにく竹の一本もみつからない。

「わたしが助ける」

 ひかりちゃんが冷たい川にバシャバシャとピンクの革靴で入っていく。

「だめよ。心臓麻痺をおこしたらどうするの?」

 湯川がひかりの体をつかまえた。

「じゃあ、わたしが行こうか? 元水泳部だし、これぐらいの冷たさ平気だし」

 ミナモは寒いのは苦手だが、水泳部に所属していたというのはほんとうだ。

「ダメ、『カッパの川流れ』って知ってる? 自分の力を過信しちゃダメってことよ」

 湯川が止めてくれて助かったが、これでは猫が助からない。

 三人がうだうだいっているうちに、猫をのせた四角い漂流船は下流へ下流へと流され、それを三人が追いかける。

 ちょうどその近くを役員会に出席するため棟山カケルが通りかかり、ついにひとりと一匹の運命がクロスする。

 訳の分からないことを叫びながら川岸を走る三人をみつけ。

「あいつら、マホ専の一年だ。何やってるんだ?」

 緊急事態がおこっている、とわかったので、すぐに追いかけた。

「どうした?」

「猫があの箱の中にいるの」ひかりはもう涙でぐちゃぐちゃ。

 カケルが見ると、沈みかけの箱の中で白い耳が動いた。

 それからのカケルの行動の速かったこと。緑の上着を脱ぎ棄て川に飛び込むと、クロールでもって流れる箱に追いつき、淀川の藻屑となりかけていた猫を救い出した。全身ずぶぬれで、ふるえる猫を抱きかかえ岸にあがる。

 いつの間にか、川岸には大勢のギャラリーがあつまり、彼の勇敢な救出劇に拍手と歓声が起こった。

「なんでこんなことやってるんだ?」

 彼は感情だけで動いた自分を冷ややかな目で見ていた。ついさっき、この学校では目立たないと決めたばかりなのに、思いっきり目立っているじゃないか。なんて、馬鹿なんだろう。絶対、風邪ひくぞ。

 ポタポタと髪から冷たいしずくが落ちる。

「兄ちゃん、これ使い」

 前歯のない、おばちゃんがあらいざらしのタオルをくれた。

「ありがとう」

 見物客からつぎつぎと善意のタオルやハンカチがあつめられた。肉体労働者の汗のしみたタオル、野球少年の泥のついたタオル。大阪人のあったかいタオルの数々。冷え切ったからだと心を温めてくれる。

 棟山カケルは、からだをガタガタ震わせながら、

「こいつ、どうするの?」

 猫は湯川にタオルでゴシゴシされて顔をしかめる。さっきひかりちゃんは子猫という表現をしたが助けてみれば大人の白猫で、神秘的なブルーの瞳は森に囲まれた湖のような色をしている。

 湯川は、思い描いていたのとは違うごっつい猫を念入りにふきながら思いをめぐらす。

「迷子なら飼い主を探さなければいけないわ。でも、その前に体力を回復させる必要がありそうね」

「賛成」

 ミナモは、すぐにその提案にのった。だって、保健所に連れて行くと、飼い主が現れなければ殺されるというじゃない。

「じゃあ、こいつのことたのむ」と、棟山がいったので、

「ごめん。わたしの寮では動物は飼えないの」って、湯川が却下。

 ついさっきまでいた彼女の寮は、昭和につくられた骨董品のようなところ。入口のガラス戸は木枠部分が飴色に変色していて、そこを押して玄関を入ると小さな病院の待合室みたいにスリッパにはきかえる。木の廊下がまっすぐ伸びていてその両側に部屋があり、風呂なし、共同トイレ。

「あそこはダメだわ」

 そういえば、スリッパに履き替えるとき、掲示板に「犬、猫等の飼育禁止。見つけ次第厳罰に処す。大家」とあった。

「丸山さん、猫好きでしょう? 預かってあげれば」

 湯川はひかりちゃんを指名した。

「そうしたいのはやまやまですが、猫アレルギーなの。クシュン」と鼻をこする。

「じゃあ、ミナモが第一発見者だから預かって」

 いやなパスがまわってきた。

 タオルにくるんだ猫を突き出された。そしたらね、まさかまさかなんだけど猫が〈あっかんべー〉ってやったんだ。

「こいつ!」って、

「ムリなの、わたしの父が猫嫌いで。それより、この子は棟山くんが好きみたいよ」

 いった本人がびっくり、男子としゃべるの苦手なのにまるで魔法にかけられたみたいに言葉がすらすら出てきた。

「なんで、おれなんだよう!」

 ミナモは魔法が切れた後、ゴゴゴゴゴーと血流が顔に流れ込むのがわかった。例の赤面症の症状が現れたのだ。こんなところで発病してみんなに笑われるのが怖かった。

「あの猫が、わたしに魔法をかけて言わせたんだから、わたしが言うわけないじゃない!」

 もう、逆切れである。

 みんなを驚かせてしまった、でもね、友人たちはほんのすこしミナモって人間を知ることになった。

 さて、白い猫はどうなったかというと、なかば強引に棟山カケルに渡され、いま彼の胸の中で借りてきた猫のようにおとなしくしている。

 こうして、猫は飼い主をえらんだ。




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