『海を知る世代の消えた水槽で伝え聞いてる海の大きさ』
今あるものよりも大きな未知のものを説明するのは難しい。東京ドームの正確な広さがイメージできたとしても、何個分かというふんわりとした情報では正確に広さすら伝えることは叶わないだろう。さらに、一切の感情を抜きにして伝えることはとても難しい。
注目したいのは、海を知る世代がいないのに、今も伝え聞いてるということ。伝えられた世代数によって海の情報はは湖レベルの確度にまで下がっているかもしれない。
「伝え聞いてる」というどこか頼りなさを感じる表現が、水槽の中の住人が抱える漠然とした、ここよりも広い世界への憧れと水槽から出ることへの危うさをより強く感じさせているのだと思う。
「海の大きさ」から感じ取ることのできるイメージが単なる体積的な大きさに留まらず、海で暮らす生物の多様性や生活環境の違い、潜む危険性などの水槽とは異なる要素全てをひっくるめているところも魅力的でした。
他の歌も是非、読んでみてほしい連作です。
素晴らしい作品をありがとうございました。
この詩は、光や海、隕石や宇宙といった大きなスケールのモチーフと、髪先や涙、裾、ハンモックといった身近でやわらかなイメージが、ひとつの世界に並置されているのがとても魅力的です。その対比が、読む側に「今ここにいる自分」と「どこまでも広がる外界」との間を行き来させ、独特の浮遊感を生んでいます。
また、「不安定な生き方を選ぶことでしか入手できないアイテム」や「さみしいをするには暇が必要」といったフレーズは、単なる言葉遊びに留まらず、現代の生き方や孤独感への哲学的な視線を感じさせました。ときに遊戯的で、ときに切実。読む人によって多様な解釈が生まれる、開かれた詩だと思います。
総じて、透明感と不可思議さを兼ね備えた詩集のような一篇。読むたびに新しい「見え方」が立ち上がる作品でした。