第8話 学祭とひよりの特製ホットケーキ
「ふぃー。ようやく試験終わったー!」
神薙 雪凪(かんなぎ せつな)と連れ立って試験後の開放感を味わいに喫茶つむぎにやってきたひよりは、のびのびと手足を伸ばした。
「ほんとにのんきだよね、ひよりは。どうせ、学祭のことも忘れてたんでしょ」
図星である。
試験後、すぐにバイト復帰できると思っていたひよりは、学校祭がすぐ間近に迫っていることなど考えてもみなかった。
「だって、学祭の準備の話ってはるか昔の物語じゃん。覚えてないよー」
「はるか昔の物語って、いつ時代だよ。先々週には話し合ってたじゃん。忘れたの?」
雪凪の声が笑っている。
「どうせ、明日と明後日バイト入れたんでしょ。ま、私とかも週明けから、制作の手伝いに回るクチだから、きっと大丈夫だと思うけど」
「そ、そうだよね!」
「マスターに言ったの?来週も休むことになりますって。……まさか、じゃないよね」
「その、まさかです……だって、テストあとすぐに学校祭あるなんて思ってなくってー」
「あ、ああ……。あんたさー興味のない話し合いだからって居眠りしてたんでしょ」
「てへ」
「てへじゃないって。ちゃんとマスターに話しなよ」
ひよりは、カウンターのマスターに駆け寄った。
「えと……ごめんなさい。明日あさってはバイトに来られますけど、来週からまたお休みいただいていいですか」
「……そうじゃないかと思ってましたが、報告がなかったので。学校祭忘れてましたか」
ひよりが身を縮ませて小さくハイという。
「……すでに把握してましたよ。学校から店主にはお知らせが来るんです。だけど、休む休まないは本人の意志ですから。どうするのかなとは思ってたんですが」
マスターはニッコリと笑う。
「……ここのことは気にせず、しっかりと青春を堪能してください。それが学生の本分です」
「マスター……ありがとうございますぅ」
叱られることを覚悟していたひよりだったのだ。
「明日、明後日はバイト入って大丈夫ですか?」
「……ひよりさんが大丈夫なら、お待ちしていますよ」
「じゃあ、明日は久しぶりにエプロンつけて頑張ります!」
*
土曜日、夕方、ひよりの久しぶりの出勤となった。
それまで、何事もなく過ごしていたひよりだったが、数少ない常連客であるしずと紗和が引けた午後遅く。あと一時間もしないで退勤といったところか。
久しぶりの仕事に緊張はしていたが、今日ものんびり仕事ができた。その気の緩みが有ったのかもしれない。
紙ナプキンの補充のため倉庫に取りに入ったときのこと。
『……ひよりさん』
確かにマスターによく似た声がした。
ひよりはよく確かめもせず、
「はい!どうしましたか?」と返事をしてしまった。
途端。
倉庫の中の雰囲気が暗いものとなった。
「え?なにこれ……」
何かがひよりの手首を掴んだ感触があった。
その瞬間、ぐんっとそのまま引っ張られる。
「きゃっ……!」
足元の踏ん張りがきかず、どぉと倒れた。
ひよりはそのまま引きずられる。
「……!マスター!助けて!!!!」
マスターが倉庫に飛び込んできた。その瞬間、手首を掴んでいた何かが外れた。
「……こ、わ、かった……。」
「……返事、したのかな?」
「う、うん……呼ばれた気がして……」
「“確かめるまでは返事をしない”というのは、ただの怪談じゃない」
そう言って、マスターは古びたキャンドルを出してくる。
「ここにひよりさんの氏名を書いて、火を灯してください」
言われたとおりに火を灯すと、
キャンドルの炎が一瞬だけ、真っ青になる。
そして静かに燃え尽きる。
マスターはうなずく。
「……いいですか?今日は帰ったらすぐ、お風呂に入りなさい。そして、寝る前は誰にも何も言わずに眠るんだ。おやすみとも、だれにも言葉を交わしてもいけないよ。わかったかい?」
ひよりは、震えながら何度も頷いた。
翌日、出勤してきたひよりにいつも通りのマスターが挨拶する。
「ひよりさん。おはようございます」
「……おはようございます。あの……マスター、昨日のって……」
「……もう、大丈夫ですよ。昨日”返事をしたひよりさん”は、昨日のうちにこの店を出ていきましたから」
「え?え?」
納得していないひよりに苦笑をしたが、マスターはにこりと笑うだけだった。
ひよりは、気になったけれど、それ以上は怖くて聞けなかった。
*
昼下がり、昨日は渡せなかったので、とマスターが給料袋を渡してきた。
「おお!初給料じゃない?」紗和が嬉しそうに言った。
しずも笑っている。
「あれ?そっか」ひよりだけがぼんやりとしていた。
「そうですね。バイト、お疲れ様です。来月もよろしくお願いします」
ひよりは給料袋を胸に押しいただくと、元気よくはい!と言った。
「これで、学校祭楽しめます!」
胸に給料袋を押し当てて笑うひよりを、マスターは静かに見守っていた。
(いいですね。こういうのが、一番です)
*
そして、数日は学校全体が落ち着かない日々が続いた。
定期試験の結果が返され、廊下では嘆きと歓喜が飛び交い、どの教室も文化祭の準備で騒然としている。
ひよりも、その渦中にいた。
今年のクラス出し物は「メイドカフェ」。
バイト経験を活かしてメイド役を希望したが、くじ引きで外れてしまい、裏方担当となった。
だがそれが、思わぬ才能の開花となる。
調理担当となったひよりが焼いたホットケーキ──
なんと、厚さ5センチを超えるふわっふわの逸品だったのだ。
「えっ、これ……普通のミックス粉だよね?」
「うん。そうだよ?今日は時間ないからハンドミキサー使ってるけど、いつもは泡だて器~」
ひよりはいつも通りの口調で答えるが、目の前では焼きあがったホットケーキを見たクラスメイトたちが騒然としていた。
バターの香りに、ふっくら分厚い焼き色。八等分してもずっしりボリューミー。
そして、口に入れれば思わず目を見開くしっとりふわふわの食感。
「ひよりちゃんにこんな才能が……!」
「これはもう、店出せるレベルじゃん!」
「才能なんて、そんなのじゃないよー」
本人はきょとんとしたまま、焼き続ける。
SNSでも「高校生メイドのホットケーキやばい」と話題になり、店は終日長蛇の列。
だが、ひよりだけは――
「なんでこんなに忙しいの~!」
と、ピンときていないままだった。
*
明けて火曜日、文化祭の熱気を引きずったまま、ひよりは喫茶つむぎに顔を出した。
「あの……ただいま戻りました〜」
バイトの挨拶というより、ちょっと照れくさい報告のような口調になる。
マスターはカウンターの中で笑っていた。
「ひよりさん。文化祭、大変評判だったそうですね。厚さ五センチのホットケーキ──私の知人の娘も食べたと言っていましたよ」
「え、ほんとですか? なんかもう、よくわからないまま焼いてただけなんですけど……」
「そういう“よくわからないまま”に、ちゃんと人を喜ばせる味が作れるのは、ひよりさんの素敵な才能だと思います」
ひよりは、くすぐったそうに笑った。
「そこで、ひとつ提案です」
マスターは棚の下から、いつもとは違う白い小さな立て札を取り出す。
「“ひより特製ホットケーキ”、日に三枚限定でメニューに加えてみませんか?」
「えええっ!? 私が作るんですか?」
「もちろん、手が空いていればで結構です。無理はしないでください。でも、評判の味ですから、ぜひうちのお客さまにも味わっていただきたいと思いまして」
「……わ、わかりましたっ!がんばります!」
ひよりは胸を張って、でもちょっとだけ頬を赤らめながら答えた。
その日から、喫茶つむぎのメニューには、
《限定3枚:ひより特製ふわふわホットケーキ》
の小さな札が、静かに添えられることになった。
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