第20話
ラルカディオに攫われた日から一週間、リンクスは意識が戻らなかった。
目が覚めたのは三日前だ。
結局、ラルカディオとローマウスの逮捕に一役買った状態になったことで、国王が王城での療養をさせてくれたらしい。
ユウの口添えもあったのかもしれない。
魔法薬での治療もしてくれたようで、血を吐いたり爪が割れたりしたのに体のどこにも不具合はない。
リンクスは今日、家に帰る。
朝食が終われば帰っていいと言われているので、そろそろ出ようと思っていたらノックの音が響いた。
はいと返事をすると、ぴょこりとユウが顔を覗かせる。
「具合どうです?」
部屋へと入りながら尋ねるユウに、もうなんともありませんと笑って答える。
あの時ユウは無事に、近くを探知魔法で探していたアルフィード率いる騎士団の元に移動できたらしく、怪我もなかったと聞いてほっとした。
いくら咄嗟だったとはいえ、やったことのない魔法を使ったので不安だったのだ。
「すみません、バタバタしてたから来るの遅くなっちゃって」
それに不思議そうに小首を傾げた。
確かに目が覚めて以来、ティルクルにしか会っていなかったが、忙しいとはどういうことだろう。
顔に出ていたのか、ユウがくすりと笑みを浮かべた。
「元の世界に帰る準備してたんです」
「え?だって、ユウ様はアルフィードと……」
ポカンとしたリンクスに、ユウは苦笑した。
その顔は、どこか吹っ切れたようにさっぱりしている。
「俺、キッパリ振られましたから」
「それは……」
なんと言っていいかわからず口ごもる。
けれどユウは、未練はないですとはっきり口にした。
「かなわないって本当はわかってたんです」
「ユウ様?」
何の事だとまばたくと。
「俺から言えるのはそれだけです」
言いたい事は終わったとくるりと踵を返して部屋の扉を開けると、ちょうどよく訪れたらしいアルフィードが入ってくる。
それにどきりとしたが。
「明日帰るんで、見送り来てくださいね」
ユウは朗らかな顔で告げると、それじゃと部屋を出て行った。
入れ違いになったアルフィードが、コツリとゆっくりリンクスへ近づいてくる。
その顔は俯いていて、よく見えない。
「あ……あの」
「帰るんだろ」
何か言わなくてはと口ごもった声はさえぎられてしまった。
「……うん」
「送っていく。俺も今日は帰宅許可が出たから」
「でも」
「行くぞ」
半ば強引に促されてはうんとしか言えず、リンクスは王城を出るため歩き出した。
隣にアルフィードが並んで歩き出すのに、なんだか違和感を感じてしまう。
最近はずっと背中を見て歩いていたから。
これが普通の距離だったはずなのにと、気まずい沈黙のなか帰路へとついた。
道中は顔も見合わせずリンクスの家に着くと、律儀に玄関の前まで送られる。
このあとどうすればと、ぎこちなくアルフィードを見上げると。
「じゃあ、久しぶりの家だし今日は早く休めよ」
無表情でそれだけ言って背中を見せる。
普段なら柔らかく笑って、頭を軽く撫でたりするのに。
ツンと鼻の奥が痛くなるけれど、まだアルフィードには伝えたいことを言えていないと、その右腕を掴んだ。
肩越しに振り向いたアルフィードは、酷く驚いた顔をしている。
「話、したいから上がってほしい」
「……わかった」
応じてくれたことにホッとして、手を離すと玄関を開けた。
数日留守にしていたから結構埃っぽい。
本当は窓を開けたいけれど、それよりアルフィードと話をしたかった。
リビングまで来ると、ソファーに座ってもらおうかと思ったけれどアルフィードが立ち止まったので立ったまま話すことにした。
早く終わらせて帰りたいのかもしれないからと思い、お互い向かい合ったまま立ち尽くす。
「その、助けてくれてありがとう、迷惑かけちゃってごめん。でもユウ様が無事でよか」
言葉は最後まで言わせてもらえなかった。
アルフィードに強く抱きしめられたからだ。
広い胸に抱き留められ、長い腕に痛いくらい閉じ込められている。
突然ぎゅっと胸に抱きこまれて、どう反応していいかわからない。
「アルフィード?」
「迷惑なもんか……」
「え?」
小さく呟かれた言葉に聞き返すと。
「無事でよかった、お前がいなくなったらと思ったら……!」
血を吐くような慟哭と、どれだけアルフィードが不安だったのかをわからせるような抱擁。
それが、嬉しい。
「心配してくれたんだね」
「当たり前だ!お前はどうだっていいって言ったけど、自分を大事にしてくれ……頼むから」
「あいかわらず優しいなあ」
くすりと吐息で笑うと、アルフィードが体を離した。
その顔は今にも泣きだしそうな、迷子の子供のような表情で思わず胸が詰まる。
「優しくするさ、優しくするに決まってる」
言い切るアルフィードに、リンクスは離れようと思ったのに決心が鈍るなと思った。
「もういいんだよアルフィード。優しくしなくていい、僕に縛られる必要なんてない」
「何を言ってるんだ」
「僕にかまってたら、アルフィードを自由に出来ない。恋人だって出来ないよ」
恋人という単語に、アルフィードは目を丸くした。
「俺は恋人なんか必要ない」
「ユウ様に告白されただろ?ユウ様は振られたって言ってたけど……お似合いだって思うよ」
アルフィードの顔を見ていられなくて視線を外す。
長めの前髪がさらりと目元を隠したが、それをアルフィードにかき上げられた。
「ユウ様には確かに好きだって言われたけど断ったよ、申し訳ないが恋愛感情なんて持てない」
「それでも、いつかは愛し合う人が出来る。邪魔をしたくないんだ」
前髪をかき上げられても顔を背けてアルフィードを見ないようにしていたが、頬を両手で包まれて無理矢理に目を合わせられた。
「幼馴染だからって気を遣う必要なんてないんだ」
「……ただの幼馴染なんて思ってない」
「え……?」
アルフィードの言葉にぱちりと目を大きく開く。
何を言っているのだろうとまばたきをする先には、アルフィードの強い眼差しがある。
「好きだ」
満干の想いをこめたようなその声音に、ドキンと胸が跳ねた。
何を言われたのか脳の処理能力が追い付かない。
「うそ」
「嘘じゃない。ずっと前から、愛してる」
「だって、僕なんか」
なんとか声を絞り出すと、アルフィードはこつんとリンクスの額に額を当てた。
「なんか、なんて言うなよ。俺はお前に救われた。ずっとずっと変わらず傍で笑ってくれたお前が誰より大切だ。お前の優しい所も体が弱い所だって全部愛しい」
「僕は闇魔法使いで」
「そんなのどうだっていい、俺にとってはリンクスの大事な一部だ」
柔らかくけれど断言する熱い声音と眼差しに、じわじわとリンクスの瞳は濡れた。
その様子にアルフィードは傷ついたように眉を寄せたが。
「迷惑かもしれないが、頼む、離れていかないでくれ」
信じられなかった。
アルフィードが愛を囁いたなんて。
こんな僕に。
「自分を大切にしてくれ。俺からリンクスを奪わないでくれ、お願いだから」
縋るような懇願の声に、リンクスの頬に転がった雫がアルフィードの手を濡らしていく。
リンクスはその手に自分の手をそっと重ねた。
「迷惑じゃない、離れたくないよ」
迷惑なんかじゃない。
今なら熱が出たって一日中踊りまわれそうなほど、喜びで溢れている。
「嬉しくて、なんて言っていいかわからない」
どうすれば自分の気持ちを全部見せることが出来るのかわからなくて、リンクスはすり、と鼻をアルフィードの鼻に擦り付けた。
さっきよりも近くなった距離でじっとアルフィードに見つめられ、頬が熱くなる。
「僕も、アルフィードのこと誰より好きだ」
そっと囁くと、目を丸くして驚いたアルフィードが次の瞬間、嬉しそうに目をしんなり細めて触れるだけのキスをした。
途端にリンクスの頬が真っ赤になる。
「悪い、体調がまだ万全じゃないのに」
「へ、平気」
ますます頬が紅潮したが、自分からもアルフィードに好きなのだと伝えたくて唇を触れさせると、そのままアルフィードが唇を舐めリンクスの思わず開いた唇に舌を滑り込ませた。
「んっ」
ちゅく、と柔らかく舌を絡められ上顎をくすぐられれば、ふるりと肩が揺れた。
「んんっふ、まって」
息が出来ずに眉を寄せると、ようやくアルフィードの唇が離れた。
はふはふと酸素を求める姿に、アルフィードがリンクスからパッと手を離す。
「悪い、嫌だったか?」
「いや、それは、その」
嫌じゃなくて嬉しかった。
でも恥ずかしくてそれを伝えられずにいると。
「浮かれてるんだ、許してくれ」
「浮かれてるの?」
「このうえなく」
苦笑するアルフィードに、僕も浮かれてると小さく呟いてもう一度目の前にある形のいい唇におずおずと一瞬触れさせた。
すると、こらとたしなめられたので駄目だったかと不安気に見れば。
「自制が利かなくなりそうなんだ。いきなり抱かれるなんて嫌だろ?」
リンクスの事を思っての言葉に笑みがこぼれた。
アルフィードは嫌だろ、と言った。
嫌だろうか。
どうだろうか。
不安はあるけれど。
アルフィードの右手を取りその大きな掌を自分の頬へと当てた。
少し低い体温。
いつもリンクスを想ってくれた男の手。
「リンクス!」
止められなくなるからとアルフィードがたしなめたが。
「嫌じゃないって言ったら?」
「ッ」
伺うように眉を下げたら、また唇を塞がれた。
ひとしきり舌を絡めたあとに、吐息のかかる距離で囁かれる。
「このまま抱くぞ」
熱情を孕んだ眼差しに、リンクスはぎゅっと目をつぶり小さく頷いた。
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