第13話

 ふっと意識が浮上してリンクスはゆっくりと瞼を上げた。

 部屋の中はランプが付いているのに薄闇に包まれていて、今が夜だとわかる。

 ゆっくりと体を起こすとひどい倦怠感と体の熱さに熱があることがわかった。

 ゆるりと見回すと自分がいたのは当てがわれている部屋のベットの中で、そういえば意識が朦朧とするなかティルクルが駆けつけてくれたところでそこから記憶が途切れていた。

 おそらくティルクルがここまで運んでくれたのだろう。


「あとでお礼言わなきゃ」


 鈍痛のする頭に手をやり、あれだけ魔力が暴走したなら仕方ないかとため息ひとつ。

 服の中から魔石を取り出して掌に乗せた。

 暗闇のなか光るライトブルー。

 これがなかったら、被害はきっともっと甚大だった。

 そして、幼馴染の男が止めてくれなかったら。


「アルフィードにも、お礼言わないと」


 けれどアルフィードは今頃傷ついた体を休めているはずだ。

 すぐに治る傷だといいけれど。

 不安を紛らわすようにぎゅっと魔石を握りしめた。

 しばらくそうしていると、応接室と寝室を隔てている扉が無遠慮に開いた。

 誰だろうと魔石を服の中に戻して伏せていた睫毛を上げると、そこには林檎の入った籠を右手に持ったアルフィードがいた。

 素肌に団服の上着を肩にかけているので、左肩の治療された包帯が見えている。

 胸には何度も見た、光魔法の使い手である百合の痣が浮かんでいた。


「何してるんだよ!安静にしてなきゃ」


 アルフィードの姿を認めた瞬間、顔色を変えてベッドから飛び降りたリンクスだったが。


「こら、ベットから出るな」


 右手を額に当てられ、たしなめられてしまった。


「アルフィードこそ何しに来たんだよ。怪我の具合は?」

「たいしたことない、薄皮一枚切っただけだ。それよりすぐに来れなくて悪かった、ティルクルから意識がなくなったって聞いたから心配してたんだ」

「心配って……」


 心配したのは自分の方だと言いたかった。

 自分達をかばって怪我をして、安静にしていなきゃなのにこんな所に来て。

 それなのに。


(嬉しいなんて思う僕は酷い人間だ)


 ぐっと涙が瞳に膜を張りそうなのを懸命にこらえていると、額に当てられていた手がするりと頬を撫でた。


「重症なら来てない。本当に大丈夫だから、そんな顔するな」


 すり、と親指で目元を撫でられる。

 その体温に安堵してひとつまばたくと、アルフィードが自分をじっと見下ろしているのに気づいた。


「アルフィード?」

「何でもない。ほらベットに戻れ、昼から何にも食べてないだろ?林檎持ってきたから」


 剥いてやるよと笑うアルフィードに、そういえば実は昼も食べていなかったと若干の空腹を感じる。


「肩怪我してるんだから僕が剥くよ」

「いいから、リンクスは林檎の皮剥きは下手だろ」


 柔らかく言って籠からナイフと林檎を手に取るアルフィードに、これは言っても聞かないなと渋々リンクスはベッドに戻った。

 確かにリンクスが林檎の皮を剥くと、ブツブツと途切れて時間がかかる。

 大人しく言うことに従ったリンクスにアルフィードもベッドに腰かけて、林檎にナイフの刃を当てると途切れることなくスルスルと剥きだした。

 そういえば、リンクスが体調を崩すと決まってお見舞いだと言ってアルフィードはリンゴを剥いてくれた。

 熱に浮かされた体に、それは甘くて優しい味がしたのを覚えている。


「ほら剥けた」


 剥き終わって切った林檎を差し出されて素直にそれを受け取りシャリと噛むと、幼い思い出がよみがえる。


「子供の頃を思い出すな」


 同じことを考えていたことに、リンクスはキョトンとしたあとクスクスと肩を震わせた。

「同じ事思った」


 アルフィードもキョトンとしたあとに、つられたようにくすりと笑う。

 しばらく黙々と林檎を食べたあと、目線を伏せてポツリとリンクスは呟いた。


「今日、ありがとう。アルフィードがいなかったら、あのまま暴走してた」

「……リンクス」

「ラルカディオに言われた。一緒に来いって、差別されるのはウンザリだろって」

「リンクス」

「騎士の人たち、怯えてた」


 自分の居場所はここにはないと言われているようで、ラルカディオの言葉が頭の中に浮かぶ。


「僕は……」


 言いかけた言葉は、アルフィードに抱きしめられて彼の体温に吸い込まれた。

 少し低い体温。

 幼い頃からリンクスの方が、体温が高かった。


「暴走したのはお前のせいじゃない。差別されてるのも怯えられてるのもわかってる。それでも、ここにいてくれ」


 絞り出したような声にひとつまばたきする。


「……アルフィードは優しいね」


右肩に頬を預けると、大きな手がゆっくりと髪を梳いた。


「それはお前の方だよ」

「僕?」


 不思議に思って聞き返すと。


「長い間一人で馬鹿にされてた俺を、お前はいつだって信じてくれた。ずっと傍で力になってくれた。本当は魔法を使うのも怖かったし辛かった筈だろ」


 そうだ。

 怖かった。

 体だって辛かった。

それでも。


「アルフィードの魔法は好きだったよ」


幼い頃、すでに魔力が増大で魔法を使う事を恐れていた。

でも、いつも家の近くで魔法を練習していた男の子は一生懸命で目をキラキラさせていて、ときおり成功した魔法に喜ぶ姿をずっと見ていた。

だから体がついてこないくせに、一緒に魔法の練習をしていた。

リンクスにとっては宝物みたいに大切な時間だった。

ああ、そうかと思う。


(僕はずっとアルフィードの事が好きだったんだ)


 ストンと、まるで胸の鼓動から押し出されるように自覚した。

 ティルクルの存在を知ったときの寂しさも、ユウに優しくする姿を見た時の胸のモヤモヤも、全部リンクスがアルフィードの事を好きで、独り占めしたかったからだ。


「俺はお前がいたから何度だって頑張れた。魔法を成功させれば喜んでくれる、失敗したら慰めてくれる、年下なのに甘やかしてくれたよな」


 くくっと笑う振動が体に伝わって泣きたくなった。

 そんな風に思ってくれていたんだと、じんわり胸が温かくなる。

 それだけで、もう満足だった。

 リンクスがほわりと胸の内側を温かくさせた瞬間、バタンと寝室のドアが勢いよく開いた。

 咄嗟の事に体を離すと、アルフィードが素早くリンクスを背に隠す。


「まさかと思いましたが」


 そこにいたのは。


「テーセズ、探しに来たのか」


 苦々し気な顔で口元を歪めたテーセズが立っていた。

 アルフィードの背中からそっと顔を出すと、ギラリと睨まれる。


「ユウ様が心配して探しています」


 テーセズの言葉に、リンクスはきゅっと思わず唇を引き結んだ。


『好きに、なっちゃって』


 昼間聞いた言葉が脳裏をよぎる。


「テーセズさん、アルフィードさんはいましたか?」

「こちらにいます、ユウ様」


 パタパタと室内に入ってきたユウとその後ろから国王が姿を現した。

 ユウの整った顔はどこか顔色が悪く見える。

 アルフィードの姿を認めると、眉を下げて近づいてきた。


「アルフィードさん、心配したんですよ。急にいなくなるから」

「申し訳ありません、しかし俺は大丈夫ですから」


 ぺこりと小さく頭を下げたアルフィードに、しかしユウは両手でその右手を取った。


「怖かったんです。アルフィードさん死んじゃうと思って、俺は怪我治せなくて……お願いだから無茶しないで」


 ぎゅうとその手を握りしめるユウの黒い瞳には涙が滲んでいる。

 その様子を見ていた国王が、そうだぞと一歩足を進めた。


「ユウ様はお前がいない事に取り乱して私の元に来たのだ。心配をかけるな」

「はい、承知いたしました。申し訳ありませんでした、ユウ様」


 安心させるように笑みを浮かべると、ユウはほんのり頬を染めてパッとアルフィードの手を離した。


「しかし団長は幸せものですね、ユウ様にこんなに想われて」

「わっテーセズさん、何です急に」

「本当の事です。ユウ様は団長を好いておられるでしょう?」


 にこやかなテーセズに、ユウはあからさまに頬を赤くして動揺した。

 それを見た国王が、微笑ましいものを見るように目尻を緩める。


「ほう、そういうことですか」

「もうっ俺たち男同士ですよ」

「なに、ユウ様のような素晴らしい方ならアルフィードも幸せ者だ」


 うんうんと頷く国王にアルフィードが一歩前に出た。


「陛下、俺は」

「アルフィードさん!とにかく部屋に戻ってください」


 アルフィードが何かを口にしようとしたが、動揺しているユウがぐいと右手を引っ張り、早く早くと急き立てる。

 国王にも促されて四人が部屋から出ていくと、一切口を開けなかったリンクスが一人残された。

アルフィードに抱きしめられていたのが嘘のように、今まで温かかった空気が一気に冷たくなったように感じて。


「そろそろ、アルフィードから卒業しなきゃだよね」


 幼馴染にいい人が出来るのならば、応援しなくては。

 部屋の中でいつまでもポツリと立っているリンクスを窓からの月明かりが照らしていた。


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