第12話

 結局お昼も食べに行かずにぼんやり花壇の傍に座っていると、いつのまに時間がたったのかユウが戻ってきた。


「あれ?早いですね」

「ああ、えっと、早く食べ過ぎちゃって」

「そうですか。ここの料理美味しいですよね、つい食べ過ぎちゃう」


 屈託なく笑うユウに、リンクスも誤魔化すように口元に笑みを浮かべる。

 王城に来てからは、確かに味はいいけれどリンクスの食べる量は各段に落ちている。

 我ながら細い神経だなと嫌だった。

 体重が減って痩せれば、アルフィードが目ざとく気づくだろうと予想がつくので、なるべく無理に流し込んではいるのだけれど。

ユウの傍にそのアルフィードの姿がないことにきょろりと辺りを見回した。

 護衛の騎士は三人、傍には控えているようだが。


「アルフィードは一緒じゃないんですか?」

「アルフィードさんなら王様に話があるって言われてたんで、先に来ました」


 じゃあすぐに来るかなと思っていると、ユウが花壇の傍にしゃがみ込んだ。

 この花壇は半分は萎れた花をそのままにして、ユウの魔法の練習台になってもらっているが、もう半分は枯れてしまったものだけしかないのは寂しいからと、魔法練習の合間に彼が温室から貰ってきた小さな苗を植えているのだ。

 小さな芽が出ているなかユウが咲かせた、つい先ほどと初日の二輪だけ花がついている。

 ピンクの花弁が風にそよそよと揺れているのを見ていると、ユウがリンクスに背を向けたままポツリと声をこぼした。


「花、咲いて嬉しかったです」

「はい、頑張りましたもんね」

「うん……それに、アルフィードさんが褒めてくれたのも嬉しかったです」


 ふいに出てきたその言葉にリンクスはわずかに目を見開いた。

 色素の薄い茶色の瞳が、チカリと日の光を反射する。

 なんと言ったらいいかわからずにいると、ユウがゆっくりと振り返ってリンクスを見上げた。

 その顔は、真剣そのものだ。


「アルフィードさんに恋人って、いますか?」

「え……」

「俺、自分でもチョロイと思うけど、あんな綺麗な人初めて見て……守ってもらって、優しくしてもらって、好きに、なっちゃって……でもそんな風には見てもらえないかな。嫌われちゃうかも。どう思います?リンクスさん幼馴染って聞いたから……」


 最後は自嘲気味に笑うユウに、リンクスはこくりとゆっくり喉を動かした。


「ええと……アルフィードがユウ様をどう思っているかはわからないですけど、恋人は今いないはずです」

「本当ですか?」


 ユウがパッと顔を明るくさせた。


「はい、仕事が恋人なんじゃないかと」


 仕事かリンクスといるかの行動範囲しか知らないのでそう言うと、ユウがははっと声を上げて笑った。

 その答えが嬉しかったのか、わずかに頬が紅潮している。


「性別は……関係なく、好きだと言ってくれる人を無碍には多分しないと思います。凄く、優しい人だから」

「そっか!うん……告白、してみようかな」


 ユウの言葉に、一瞬ヒュッとリンクスの喉が鳴った。

 口のなかが乾いていくような感触が気持ち悪く思う。


「告白、ですか」


 告白という単語を口から出すと、どうしてか胸を引っかかれたような息苦しさをリンクスは覚えた。

 なんとか絞り出した声に、ユウはうんと小さく笑った。

 それは、控えめながらも綺麗な笑顔で。


「駄目元だけどね。言わないよりは、知ってもらいたい。それで、もし受け入れてもらえるなら、ここに残るつもりです」


 眩しい人だなと思う。

 聖魔法と同じように、清くまっすぐな人。


(でも、そっか、恋人……いてもおかしくない)


 曖昧な笑顔を浮かべながらも、リンクスは今さら浮かんだ可能性にショックを受けていた。

 アルフィードはモテる。

 とてもモテるけれど、今まで特定の恋人がいたことはない。

 少なくともリンクスは知らない。

 だから、隣にいるのが当たり前と思っていたが、違う。

 アルフィードにだっていつかは大切な人は出来るのだ。

 今までいなかったからといって、これからもいないとは限らない。

 現に、ユウはアルフィードを好きだと言った。

 もしアルフィードが受け入れたら、二人は恋人同士になる。

 そうなると、今までのようにリンクスの傍にいることはなくなるだろう。

 その考えに至った瞬間、ぽっかりと胸に穴が開いたように悲しくなった。


(恋人、いない方がおかしかったのかもしれないな)


 ぼんやりと思う。

 あんなに魅力的な男が今まで一人だったことの方が普通じゃなかったのかもしれない。


(僕がくっついてまわってたせいで、アルフィードに不自由な思いさせてたのかもしれないな)


 ユウとアルフィードはお似合いだと思う。

 並んでいても絵になるし、清廉潔白な騎士団長と唯一無二の聖魔法使い。

 たとえ幼馴染として傍にいることが許されていても、リンクスなんかとは雲泥の差だ。

 それに、もしユウと恋人にならなくても、いずれ誰か愛する人が出来るかもしれないのだ。

 ようやく気付いたその事実は、リンクスをひどく傷つけた。


「じゃあさ、リンクスさん」


立ち上がった優が何か言いかけた瞬間、バチンといつかと同じ空気の破裂するような音が響いた。


「ようガキ」


 現れたのは、ラルカディオだ。

 空中に浮かんでいる姿に、ユウの護衛をしている騎士達から驚愕の声が出る。

 光魔法は物を浮かせることは出来るけれど、生き物は無理だ。

 リンクスは試したことはないけれど闇魔法を使っているのだろうし、おそらく魔石による魔力増幅のおかげだろう。

 ライトブルーに光るネックレスなど、前回あったときより身に着けている数が多い。


「お前!」


 ユウが指をさして声を上げるのを、咄嗟にリンクスは背にかばった。

 アルフィードもテーセズもいない今、守れるのは自分だけだ。


「なんでここにいるんだ?」


 ユウを背中に庇いながら、慎重に言葉を選ぶ。

 ここにいる騎士ではきっと太刀打ち出来ないので、時間を稼ぐ必要があった。


「なに、騎士やメイドなんかの中にもローマウス派はいるってことさ」


 不敵に笑うラルカディオに、護衛の騎士たちが慌てて光の魔弾を打ったりしているが。


「こざかしいな」


 手を振っただけで衝撃波が起こり、騎士たちは吹き飛ばされた。


「うわああ」


 ユウも、悲鳴を上げて風にあおられぎゅっとリンクスの背中の服を掴む。

 ここまでだ、とリンクスは思った。

アルフィードもテーセズもいないなら、自分がやるしかない。

 強風で目を開けるのも大変ななか、リンクスはラルカディオに向かって両手を突き出した。

 落ち着いて、胸の魔石で魔力を押さえながらも指先から魔力を押し出す感覚。

 ゴウッと鈍い音を立てて、黒い魔弾がラルカディオに向かっていった。


「ほう!」


 バチバチとラルカディオが対抗して出した魔弾と拮抗して、それは霧散した。

 それだけなのに、リンクスは息が上がるのを自覚する。

 胸に当たっている魔石が熱い。

 魔力が溢れようとしているのを無理矢理抑え込んでいるから、苦しくて威力を上げられず、威嚇程度しか出来ない。

 それでも、しないよりはマシだろうと思うけれど。


(僕の体、もうちょっともってよ!)


 もうすぐアルフィードがきっと来る。

 だから。


「はははっそうか!お前がこの国に一人だけいるって言う闇魔法使いか!俺と一緒に来いよ、もう差別されるなんてウンザリだろ」

「だ、れが、行くか」


 息が上がって途切れ途切れになりながらも、キッとリンクスは強く自分と同じ男を睨む。


「こんなに闇魔法は素晴らしいのに!」


 ラルカディオが高笑いをしながら腕を振ると、ユウの咲かせた花壇の花が黒い光に包まれ一気に水気を失って枯れた。

 同じように、花壇に並べられていた苗木も茶色く萎びれていく。


「お前!なんてことするんだ」


 リンクスの背中から飛び出したユウに、ラルカディオは興味がなさそうに視線を向けたが。


「ユウ様、駄目だっ」

「お前がいくら枯らせたって、俺が復活させてやる!」


 遮ったリンクスの声以上の音量でユウが啖呵を切った。

 その目は爛々と正義感に燃えている。

 噛みつくようなユウの態度に、ラルカディオはわずかに右目を歪めた。

 まるで不愉快だと言わんばかりに。


「キャンキャンとうるせえな、別に五体満足な状態で連れていかなくてもいいんだぞガキ」

「危ない!」


 ラルカディオがユウに向かって手をかざした瞬間、リンクスは目の前にいる青年の腕を掴んで自分の後ろに引っ張り込んだ。

 動くだけで体が悲鳴を上げている。

 攻撃を弾く余裕はない。

 自分の体に魔法の衝撃が来ると覚悟した刹那、リンクスの視界に白いものが飛び込んできた。

ザクリと何かを切り裂く音。

飛ぶ赤い飛沫。

ゆっくりと傾いたのは。


「アルフィード!」


 幼馴染が、自分をかばってそこに片膝をついていた。

 視界に入った白は彼の騎士団服で。

 顔を歪めたアルフィードの左肩は深くザクリと傷がついて、その周りを真っ赤に濡らしていた。


「アルフィードさん!」

「団長!」


駆けつけたテーセズやユウの悲鳴も響き渡るなか、リンクスは呆然とその傷口を見ていた。

テーセズや城から出てきた側近達がアルフィードに駆け寄るなか、リンクスは動けずに目を見開いたまま。


「ア、 ルフィー、ド」


 声を絞り出した瞬間だった。

 ゴウっとリンクスを中心に魔力の波がほとばしった。

 周りにいる全員が驚いて声を上げ、強風の吹きすさぶなか飛ばされまいと地面にしがみついている。

 リンクスの魔力が、暴走しだしたのだ。


「う、あ、あああ」


 体がきしむ。

 胸の魔石が熱い。

 頭が割れそうだ。

バシンと近くの木々がなぎ倒されそのまま枯れていく。


「チッ」


 さすがに分が悪いと思ったのか、舌打ちをしてラルカディオの姿は消えた。

 バチンと独特の音だけを残して。

 今は、リンクスが全員にとっての脅威だ。


(駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ!)


 服の上からぎゅうと魔石を両手で握りしめて、魔力を制御しようとするけれど体が悲鳴を上げて集中出来ない。

何より、アルフィードの血が噴き出た瞬間が頭にこびりついて離れない。


「リンクス!」


 自分を呼んだその声に、リンクスはハッと閉じていた目を開けた。


「リンクス落ち着け、大丈夫だから」


 アルフィードだ。

 血に濡れた左肩を押さえてはいるが、深手ではなかったのか命に別状は無さそうだ。

 それにほっとすると、自分がぜえぜえと呼吸もままならなくなっている事に気づいた。

 意識してなんとか息を吸って、吐き出す。

 それを繰り返すのと同調するように魔力の暴走も静まっていき。


「ッ、はあ、はあ、はあ」


 肩で息をするリンクスがその場に手をついて力が抜けた瞬間、それまでの暴風たちが嘘のように消え去った。

 両手をついて下を向くリンクスの額から汗が流れ、地面にポツポツと染みをつくる。


「アルフィードさん!」


 リンクスの背中から飛び出したユウが、震える手でアルフィードの肩に両手をかざす。


「治れ治れ治れよ!」


 声を上げて治れと繰り返すが、光は何も生まれない。

 泣きそうな顔をしたユウに、アルフィードは右手をぽんとその黒い頭に乗せた。


「大丈夫です、深い傷じゃない」


 落ち着かせるように笑う。


「団長、手当を」


テーセズに支えられてアルフィードが立ち上がると、城の中から国王が顔色を変えて現れた。


「ユウ様、ご無事ですか」

「国王様」


 涙をこらえたユウの顔とアルフィードの様子に大体の現状を悟った国王は、アルフィードに手当てを受けるように命じた。


「俺!俺が看病します!」


 ユウが滲んでいた涙を拭うと、国王も頷く。


「いえ、深い傷ではないので」

「いいから手当を受けろ」


 国王の命に逆らう事は出来ずにアルフィードは頷いた。

 リンクスの方へ気遣わしげに視線を向けて口を開こうとしたが、テーセズが二人の間に入り視界を遮ってしまった。

 そのままユウに腕を引かれている。

アルフィード達が城の中へ戻り、騎士たちがバタバタするなかリンクスはやっと落ち着いてきた体に顔を上げる。

 すると、周りにいた騎士たちがびくりと肩を跳ねさせ、畏怖を込めた目でリンクスを見てはヒソヒソと囁いていた。

 視線を動かせば、自分が枯れさせてしまった木々。


「う、く」


 泣かないように唇を噛みしめて涙をこらえた。

せっかくユウが咲かせた花は見る影もない。

 幼い頃からこんなことの繰り返しだ。

 最低の気分だった。

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