第10話

 普通はあまり他人の髪に触れたりしないんだな。

 ふとリンクスは思った。

 ティルクルの家で食事をごちそうになったあとお茶を飲んでいるときに、ミーナが同じ色ねと言ってリンクスの髪を撫でてきたのだ。

 そういえば髪を触られるのは、アルフィード以外初めてだと気づいた。

 両親には髪はもちろん頭を撫でられたこともない。


「ごめんな気安くて。こら、あんまりベタベタ触るな」

「大丈夫だよ」


 妹をたしなめるティルクルに、リンクスは笑顔を浮かべてみせた。

 ヤンとミーナはリンクスが闇魔法使いだと知らないのか、何の遠慮もないのでちょっと対応がくすぐったく感じる。

 そのことを嬉しいとは思っても、迷惑とは感じない。

 注意を受けたミーナは「はあい」とすぐに手を離した。

 基本的に素直な子供たちなのだ。

 そういえばとリンクスは向かいに座るティルクルをじっと見やった。

 その隣ではヤンが両手で持ったグラスを口につけている。


「ティルクルは僕の髪に触らないよね」

「……それは触ってほしいってこと?」

「ちがっ違うよ!」


 訝し気なティルクルの眼差しと言葉に、慌ててリンクスは否定した。

 とんだ誤解だ。


「アルフィードは結構、頭とか撫でたり髪触ったりしてくるから」

「ああ……」


 合点がいったとティルクルが頷いたのでほっとした。


「ミーナもあたまポンポンされる」

「俺も!」


 ミーナとヤンが元気よく声を上げた。

 この二人はアルフィードをとても気に入っているし、アルフィードもしっかり可愛がっているらしい。


「ティルクルはしないなって」


 素朴な疑問をぶつけると、最近親しくなった彼は眉を寄せて「ううーん」とうなった。


「リンクスってアルフィード様以外に親しい人いないんだっけ」

「そうだけど……もしかして何かおかしい?」


 まさかよくない行動や言動をしているのかと不安になった。

 友人なんてアルフィードしかいないし、アルフィードが他人と親しくするところなんて数える程度しか見たことはない。

 おかしな言動があっても不思議ではない。

 リンクスがあわわと顔色を悪くさせるうちに、ティルクルは若干目線を外しながらやや早口に喋りだした。


「いや、おかしくないよ、うん。人それぞれじゃない?アルフィード様は触るかもしれないけど俺は触らないよ。怒られたくないし」

「怒る?髪を触ったくらいで怒ったりしないよ」

「こっちのことだから気にしないで」


 よくわからないことを言ったティルクルは、ポンとリンクスの右肩を叩いた。


「まあアルフィード様との距離感は今のままで大丈夫だから」

「そう?」

「お願いだから今のままでいて」


 まるで念を押すように言い聞かせるティルクルの手は右肩に乗せられたままだったけれど、何故かやたらとその手には力が込められていてリンクスは不思議に思った。

その日の夕方、王城で。

じっと並んで歩くユウとアルフィードの姿を見つめる。

 今日の訓練が終わり、戻る道すがらだ。

 リンクスはティルクルとの話を思い出しながら、二人を観察していた。

 二人は並んでいても、いつも一人分くらいの距離をあけている。

 自分がアルフィードの隣にいるときのことを思い出せば、肩が触れるほど近かった気がする。

 これは友人との距離と、護衛対象に対する距離との違いだろうか。

 ユウを守るために剣を振る可能性も考えれば、あまり近すぎるのも危険なのかもしれない。


(このまえ唇に触れてたけど、あれはスコーンを取るためだしな)


 アルフィードの長い指先がユウの形のいい唇に触れた光景を思い出すと、何故かモヤモヤとしたなんともいえない気分になった。

 今日は特に体調をくずしてなかったのにと胸をそっとさすっていると、ユウがアルフィードに一歩近づいた。


「アルフィードさんて髪、綺麗ですよね」

「そうでしょうか」

「そうです」


 アルフィードがひとつに結んでいる金髪を少しだけ指先でつまむ。

 そういえばだいぶ伸びたなと思う。

 騎士見習いや新人の頃は短かったはずだ。


(そういえば、いつから伸ばしてたっけ)


 先輩なんかに切るように言われては整えていたけれど、いつも長さはある方だった。

 ここ数年は毛先を整える程度しかしていないはずだ。


(昔、キラキラの髪がうらやましくて伸ばしてってただこねたっけ)


 くすりと口のなかだけで笑う。

 体力作りや訓練をこなすアルフィードに長い髪は邪魔だとは、運動の出来ないリンクスにはそのときは思いつかなかった。

 自分のどこにでもある赤茶色とは違う輝くような髪を眺めていると、ユウもそれをじっと見ていた。


「どうして伸ばしてるんですか?」


 どこかそわついた雰囲気でユウが尋ねた。


「伸ばしてほしいとねだられまして」

「え……女の人、ですか?」


 アルフィードの答えに、ユウが唇を震わせた。

 心なしか顔が強張っている。

 どうしたんだろうと心配になると、アルフィードはそれに気づいていないようで口元に微笑を浮かべた。


「いえ、リンクスにです」

「え!僕がきっかけ?」

「そうだ」


 思いがけない言葉に。ひっくり返った声がリンクスの喉から漏れた。

 アルフィードは気にせず頷いている。

 ユウは何故かほっと息を吐いたあとに、リンクスとアルフィードの二人を無言で見やってから、重く口を開いた。


「……仲いいんですね」

「それまで褒められるなんてなかったので」

「まさか!アルフィードさんなら、みんな褒めるでしょ。かっこよくて、騎士団長なんて強いし!」


 まくしたてるように早口で並べ立てたあと、一拍おいてユウが顔を赤くした。


「俺も……素敵だって思います」

「そうですか、光栄です」


 少し潤んだ黒い瞳で見上げるユウに、アルフィードはにこりと笑みを浮かべて戻りましょうと歩き出してしまった。

 ユウがうながされるまま歩き出したので、リンクスも後を追いかけていった。

 夜になって、あてがわれた客室のなかでリンクスは持っていたグラスの水を飲んでいた。

 風呂から上がっての水分補給は、リンクスには結構大事だったりするのでグラスの中身をすべて飲み干してテーブルへと戻す。

 髪が湿っているのだけれど、リンクスは魔法を基本使わないようにしているし、闇魔法は生活で使うことに向いていないのでいつものことだ。

 風邪をひく確率が上がるけれど、タオルで拭くだけ拭いたしと思う。

 風邪をひくときは何をしたってひくし、熱も出る。

 自分の体はもうそういうものだとリンクスは考えていた。

 トントンと扉をノックする音が聞こえて、リンクスはそちらへ足を向けた。

 わざわざ自分の部屋に来るのはアルフィードくらいだろうと思いながら扉を開ければ、こちらも風呂に入ったらしいラフな格好のアルフィードが立っていた。


「やっぱり」

「やっぱり?」


 予想通りの人物に小さく笑うと、アルフィードが不思議そうに聞き返してきた。


「いや、こっちのこと。どうしたの?」

「ユウ様が早めに休んで時間が出来たから顔を見に来た。お前は誰か確かめてから開けろ。危ないだろう」


 心配性の幼馴染らしい注意だ。

 王城なんて警備の騎士がうろうろしているし、何より小さな子供でもないのにとリンクスは苦笑を浮かべながらアルフィードを室内に招き入れた。

 ソファーの方へ促すと、その前に湿った髪を指先にすくわれた。


「髪が濡れてる。ちゃんと乾かさないと冷えるだろ」


 並んでソファーに座ったとたんに、アルフィードの手元から温かい光がポウッと光って髪がサラサラと乾いた状態になった。


「ありがとう、やっぱり光魔法って使い勝手いいよね」


 すっかり乾いた髪に、闇魔法ももっと生活に役立てられればいいのにとリンクスはちょいと唇を尖らせてしまう。

 まあどのみち体がついてこないのでリンクスは魔法をまともに使えないけれど。


「すねるなよ」


 くすりと吐息で笑ったアルフィードの手は、離れずに赤茶色の髪をサラサラと梳いている。

 思わず昼間のティルクルとの会話を思い出して、アルフィードの顔をじっと見上げた。


「どうした?」

「アルフィードは結構、髪の毛触るなあって思って」

「……嫌か?」


 どこか固く感じる声音で聞かれたことに、おや?と思いながらも「嫌じゃないよ」とあっけらかんとこたえた。

 その途端、アルフィードが細く小さく息を吐いた。


「ティルクルといても特に触られないからさ。アルフィードがよく触るだけかなあって思って。ミーナもよく頭撫でられるって言ってたから、子供扱い?」

「……ミーナとお前は違うよ、子供扱いでもない」

「そう?」

「ああ」


 断言したということは子供扱いしてはいないらしい。

 じゃあ髪の毛の感触でも好きなのだろか。

 髪の毛を梳いていた手つきが頭皮をもみこむような悪戯に変化してくる。

 くすぐったくて肩を震わせて笑うと、アルフィードもリラックスした表情でゆったりと笑みを浮かべていた。


「そういえば、髪の毛伸ばすきっかけが僕って本当に?」


 昼間の会話で驚いたことを確認しようと聞いたら、何のためらいもなく頷かれた。

 本当に自分がきっかけなのかと、リンクスはぽかんと口を開けてしまった。


「言ったじゃないか、キラキラで綺麗だから伸ばしてって。忘れたか?」

「覚えてる、けど……まさかそれがきっかけで伸ばしたとは思わなかった」


 手入れだって大変だろうし邪魔だろうに、リンクスが何も考えずに言った言葉を実行してくれたのは、なんだか面はゆい気持ちになる。

 アルフィードの今は結ばれていない髪の毛は艶々キラキラしていて、触ったら柔らかそうだ。

 凛としたアルフィードの雰囲気にもよく似合っていると思う。

 とても目の保養になるなと、うっかりとはいえ髪を伸ばすように頼んだ自分の言動を褒めたくなった。


「俺にとっては嬉しい言葉だったから。たくさん色んなことを褒めてくれたよな」


 しんなりと空のように澄んだ青い瞳がたわめられる。

 まるで甘さを含んだような表情に、リンクスは思わずそっぽを向いてしまった。

 何だか直視するのは恥ずかしい。


「そうだっけ」

「そうだよ」


 けれど、そんなリンクスの様子をおかしそうにアルフィードは笑って、またサラリと赤茶の髪を指先で撫でた。


「両親が死んでからは、リンクスだけが褒めてくれた」

「嘘ばっか。その頃には人気者だったくせに」


 遅い成長期も迎えて背が高くなり、柔和でありながら男らしい色気を漂わせて、とてもモテていたのを覚えている。

 剣や魔法も、それまでの努力が遅咲きでやっと開花した。

 長いあいだの地道な努力はアルフィードを裏切らず、年上にすら易々と上回るほどの実力で一目置かれるようになっていた。

 その頃になるとアルフィードの傍にいることに苦言を言われていたので、どれだけ人気だったのかは本人よりも把握しているとリンクスは思う。

 けれどアルフィードの反応は、吐き捨てるようだった。


「上辺だけはな」

「上辺だけって……」

「学校の大会で優勝したときは手の平返しが酷いと思ったよ」


 肩をすくめて見せるアルフィードの様子に、リンクスは何も言えなかった。

 実際、アルフィードはそれまでずっと成長期が遅いことも努力が実を結ばないことも長く、馬鹿にされ見下されていた。

 アルフィードの周りに人が集まりだしたのは、それらが実を結んでからだ。

 それまではリンクス以外は誰もアルフィードに馬鹿にする以外で声なんてかけなかった。

 リンクス自身でさえ、周りの態度にもやついたのだ。

 アルフィード自身はもっと傷ついただろうし、憤りだってあっただろう。

 ただ、それでも。


「うわっリンクス?」


 手を伸ばしてアルフィードの柔らかい髪を、リンクスは両手でぐしゃぐしゃと乱雑に撫でた。

 アルフィードの手がリンクスの髪から離れて驚いた声を上げるのに満足し、ぐいと顔を寄せる。

 青い瞳をじっと覗き込むと、わずかにアルフィードが息を飲んだ。


「いたよ、きっと。アルフィードが頑張ってるの見てた人。いるよ、今だって。努力してるのわかってる人」

「……そうかな」

「そうだよ」


 ハッキリ断言してみせる。


「……お前も?」

「アルフィードが努力家なんて、僕にとっては当たり前のことだよ。むしろ頑張りすぎてないか心配だね」

「ふ、そうか……」


 手を離して胸を張るように言い切ると、ふいにアルフィードの大きな手の平がリンクスの目元を覆った。

 剣を持つ、鍛錬を怠らない肉刺だらけの固い手の感触。


「アルフィード?」


 暗闇に覆われた視界に困惑していると、額にふわりと何か柔らかいものが触れた。

 おや、と思ったときには手が外され光が戻ってくる。

 眩しさに眉をしかめつつ「何?」と尋ねても。


「なんでも」


 アルフィードは何故か満足気に笑っていた。

 その表情が、なんだか蜂蜜のような甘いものを連想させて首をひねる。


「リンクスはそろそろ寝た方がいいな」


時計の針が日付を超える手前なことを確認したアルフィードは、言い方からしてリンクスを寝かしつける気満々だ。

 けれど普段は本を読んだり研究が区切りがつかなかったりで、もっと就寝は遅い。


「ちょっと、子供じゃないんだけど。普段だってもっと遅いよ」


 むっとしてリンクスが言い返すと、アルフィードは眉をきゅっと寄せた。

 あ、しまったと思う。


「お前な、夜更かしするなって言ってるだろ」


 日頃から言われている注意を実はちっとも守っていないことがバレてしまい、アルフィードに額を拳でこつんと小突かれ、リンクスはそれこそ子供のように唇をむうと尖らせた。


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