第9話

 花壇に向かって両手を掲げるユウの顔は、眉根が寄せられていた。

 目の前には枯れた花。


「心を静めて、深く息を吐いて」


 リンクスの助言に、言われたとおり息を吐くが結局何も起きないことに、ユウは諦めて手を下ろした。

 はあとさらに口から溜息が零れる。


「出来ない……」


 落ち込むユウは、最初に花を咲かせて以来まったく魔法が使える気配がなかった。

 目に見えて落ち込むユウに、アルフィードがポンと軽く肩を叩く。


「魔力の出し方は一度コツを掴めば出来るようになりますから」

「アルフィードさん……」

「そうですよ、植物を育てるのに慣れたら、怪我だって治せるようになるはずだと陛下もおっしゃられてたでしょう?」


傍に控えていたテーセズも、慰めるように口を開いた。


「でも、やっぱり俺には……」


 俯くユウに、そうだとテーセズが笑みを浮かべた。


「気分転換なされますか?王城の近くに湖があります」

「テーセズ」


 提案をしたテーセズに、アルフィードがたしなめるように声をかけたが。


「行きたいです!環境が変われば出来るかもしれないし」


 勢い込んだユウがキラキラした目をアルフィードに向ける。

 テーセズもいい案だと言わんばかりに頷いているので、結局アルフィードが許可を出し湖へと向かった。

 向かった湖は済んだ紺碧色で、空を移したようだった。

 この辺りはまだ闇魔法の影響を受けていないのか、原っぱになっていてポツポツと野花が咲いている。

 湖から少し離れたところに絨毯を敷いて腰を下ろした。

アルフィードとテーセズや護衛としてついてきた騎士達数人は、立ったままだ。

ユウがうんっと伸びをした拍子に、お腹からグウウと音が鳴った。

慌てて顔を赤くしたユウがお腹を押さえて恥ずかしそうにするのを、テーセズや他の騎士達が微笑まし気に見ている。


「小腹すいたのかな、何か持ってくればよかった」


ごまかすように早口で言い募るユウに、リンクスは一瞬迷ったあと遠慮がちに口を開いた。


「えっと、よかったらスコーンを作ってきたので食べませんか?」


 昨日作ったスコーンをアルフィードに渡せたらと、小さな鞄に入れて斜めに下げていたのだ。

 最初にアルフィードに鞄を指摘されたときは、下手な言い訳でごまかしたので少し言いだしにくかった。


「え?リンクスさんが作ったんですか」

「うん、あの、クルミが大丈夫だったら」


 おずおずと差し出すと、いただきますとユウは受け取り齧りついた。


「美味しいです。ほら、アルフィードさんやテーセズさん達も!」


 ユウが空いている方の手で服を小さく引っ張るので、アルフィードが苦笑して頷いた。

 それを見たユウが顔を輝かせて自分の隣を叩くので、アルフィードも腰を下ろす。

 スコーンを差し出すと、受け取ったアルフィードの瞳がしんなりとたわめられた。


「昨日作ったのか?」

「ティルクルの家から戻る途中で家に寄ったから」

「そうか」


 柔らかく笑ってアルフィードもスコーンを口に運んだ。

 一応テーセズにも視線を送ったが、ギロリと睨まれてしまい慌てて目をそらす。

 ユウが目線を送ると。


「私は遠慮します」


 愛想良く微笑んで辞退した。

 他の騎士も同様だ。

 自分も食べ始めると、ほのかな甘みとクルミの歯ごたえが口の中に広がった。


「美味い」


 二つ目のスコーンを手に取ったアルフィードに、ユウがくすりと笑った。


「甘いもの食べるの意外です」

「これだけは好物なので」

「へえ」


 子供の頃から変わらないアルフィードの嗜好に、口元が緩みそうになる。

 ただクルミのスコーンが好きなだけだろうが、それでもリンクスの作るものは特別だと言われているようで、ねだられるたびに嬉しかった。


「ユウ様、口元についてますよ」


 スコーンをチマチマと齧っていると、アルフィードがユウに指摘した。

 慌ててユウが口の右側をさわるけれど、スコーンのカスがついているのは反対だ。


「いえ、そちらでなく」


 ここですとアルフィードがユウの口元のカスを指先で取った。


「ひゃっ」

「ああ、すみません」


 驚いたユウの裏返った声に、アルフィードはパッと指を離した。

 ユウの顔はゆでだこのように真っ赤になっている。

 わかる。

 あれされるの恥ずかしいよね、といつもアルフィードに同じことをされているリンクスはユウに同情しそうになった。

 最後の一口を口に放り込もうとしたとき。


「まるで恋人のようですね」


 テーセズの突然の言葉に、思わず体が固まった。


「な、なに言ってるんですか!テーセズさんってば」

「そうだ、失礼なことを言うな」


 動揺したユウが慌てたように声を震わせる。

 アルフィードは逆に、くだらないことを言うなと言わんばかりの冷たい声音だった。


(あれって恋人がすることに近いんだ……)


 リンクスはと言えば衝撃の事実に驚いていた。

 子供の頃から不器用だったから、リンクスはよく口元を汚すことがあった。

 かぶりつく系だとほぼ毎回のように口元を汚し、今のようにアルフィードが食べカスを取ったり汚れを拭いたりと甲斐甲斐しく世話をしてきた。

 さすがに最近は減ったけれど、ぼんやりしたときなど今でもたまに世話をやかれている。

 子供扱いと思っていたけれど、まさか恋人じみた行為を幼馴染にさせていたなんてと、リンクスは落ち込んだ。

 申し訳ない。

 よりによってこんな地味で闇魔法使いの男に。

 今すぐ謝りたくなったけれど、さすがにタイミング的にそうじゃないとわかっているので、リンクスは謝罪をうっかり滑らせないように残りのスコーンを口へと押し込んだ。

スコーンを食べ終わり、ユウが湖に足をつけたいと言うのでアルフィードと二人で湖のほとりに向かうのを謹んで辞退させてもらったリンクスは見送った。

 ユウのブーツを持って湖には入る気のないアルフィードの背中と、浅瀬に足をつけてはしゃいでいるユウの声に、のどかだなと思っていると。


「わあ!」


 ユウが転んで尻もちをつき、胸から下がびっしょりと濡れてしまっていた。

 慌てて岸に上がったユウにアルフィードが団服の白い上着を脱いで肩にかけてやると、ユウが挙動不審に視線を泳がせている。

 大丈夫かなと思いながらも、アルフィードのシャツだけになった姿に、しなやかにけれどしっかりとした体付きが見て取れてリンクスは何となく落ち着かない気分になった。

 そういえばお風呂だって一緒に入ることもあったのに、アルフィードが十二歳になった頃から自分と入るのを嫌がるようになったなと思い出す。


(あのときは距離が出来たみたいでアルフィードに不満を言ってたな)


 自分はもしかして友人というものがいなさすぎて、アルフィードに甘えすぎているのだろうか。

 ティルクルと知り合いになってから、知人同士の距離というものを何となく体感したリンクスは、アルフィードに甘やかされているのではないかという想いが芽生えてきたのだ。

 アルフィードとは知人ではなく友人だけれど、ティルクルの接してくる距離とは明らかに違う気がする。

 もしそうならアルフィードの重荷になっていた可能性がある。


(アルフィード優しいからなあ)


 湖からユウがブーツを履いてこちらに体を向けたので、こちらに戻ってくるのかとリンクスは絨毯から立ち上がって出迎えようとした。

 けれど、クラリと視界が軽く回って結局そのまましゃがみ込んでしまう。

 珍しくずっと外にいたのが原因かもしれない。


「リンクス!」


 立ち眩みが収まるようにしゃがんだままじっとしていたら、アルフィードの声がして肩に温かい手が触れた。

 しまったなと思いながらも、アルフィードには体調不良を隠してもすぐにバレるので素直に自分の状態を告げた。


「ごめ、ちょっと、目が回る」

「わかった。すみませんユウ様、体調が優れないようです」

「え!リンクスさん大丈夫ですか?」


 ユウも戻ったようだ。

 大丈夫だと言いたいけれど、眩暈は酷くなると吐き気が出ることもあるので迂闊に口を開けない。

 救世主の前でえづいたり、まして吐いたりなんて絶対にするわけにはいかない。


「王城に戻ります」

「わっ」


 言うなりアルフィードがリンクスを抱き上げた。

 慌ててアルフィードの肩を掴むと。


「首に腕をまわせ」


 ひそりと耳元で囁かれる。

 アルフィードによるリンクスの救護は日常茶飯事なので、抱えるのも慣れたものだ。

 それはリンクスも一緒なので、人目が気になるけれどそうした方がアルフィードの負担にならないので、おずおずとアルフィードの首に腕をまわした。


「団長!そんなことする必要はありません!」


 テーセズの鋭い声が響いた。

 怒っているのが見なくてもわかる。

 強く睨まれているのだろう視線がとても突き刺さる感覚がする。

 けれどアルフィードの返した言葉はとても冷静だった。


「病人を気遣うのは当たり前だ。戻るぞ」


 言うなり歩き出す。

 ユウは、と気にしていたらアルフィードの隣を歩いているのを視界の端に見えたから、ほっと安堵した。

 次にくるのは自己嫌悪。

 アルフィードはユウの傍にいたはずなのに、すぐにリンクスの方へと来ていた。

 ユウの護衛が最優先なのだから、リンクスが足を引っ張るなんてしてはいけないのに。

ユウがアルフィードを頼りにしているのは、とてもよくわかっている。

 先ほどアルフィードに甘えてはいけないと思ったばかりだったのにと、リンクスは回る視界を拒むように目を閉じた。


(来てくれたのが嬉しいなんて思った僕は、最低だ)


 胸の中に、言いようのない感情がグルグルしていた。

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