第4話

翌日の朝。

 リンクスは部屋の中をきょろりと見回して溜息をついた。

 複雑な柄が描かれた濃緑色の絨毯。

 窓際には真っ白なテーブルセット。

 部屋の真ん中には大きなソファー。

 リンクスの家のリビングよりも圧倒的に広い空間だ。

 壁には隣に続く扉があり、そちらはベッドのある寝室となっている。

 昨日案内された客間は広すぎるし豪華すぎて落ち着かないしで、リンクスは所在なかった。

 起きて身支度を整えたはいいが、どこに行けだとか何も言われていないので困っている。

 テーブルの上にはベルが置かれていて、それで誰か呼び出せということだろうかとも思ったけれど、小市民のリンクスには出来なかった。

 そのときトントンと扉がノックされて、リンクスはそちらへ足を向けてそっと扉を開けた。


「はい」

「おはようリンクス」


 そこには朝っぱらからキラキラ爽やか笑顔な幼馴染が立っていた。


「おはよう」

「寝れたか?体の具合はどうだ」


 聞きなれた質問にリンクスは肩をすくめて見せた。


「心配しなくても大丈夫だってば」

「そう言って昨日はあまり調子良くなかっただろ」


 本当に何で気づいてるんだと驚いてしまう。


「お前はすぐ体調を崩すから」


 もうすっかりお決まりのセリフだった。


「朝食を持ってきたから一緒に食べよう」

「一緒に?」

「ああ、ユウ様は陛下と食事されているから、俺も食事のために他の人間と交代中なんだ」


 そう言ったアルフィードに、わかったと頷いて室内へと促す。

 するとアルフィードの後ろを、ワゴンを押したメイドがついてきた。

 テーブルセットの席へつくと、メイドがテキパキとワゴンに乗っていた料理を並べていく。

 ふんわりとした黄色のオムレツに瑞々しいサラダ。

 ふかふかの焼きたてパンがこんもりと盛られた籠が真ん中に置かれる。

 そのあいだ、メイドはチラチラとアルフィードの方を気にして視線を向けていた。

 当のアルフィードはまったくメイドを見ていないが。

 あまりにアルフィードを気にしていたからだろう。

 リンクスのカップに紅茶を注いでいたが、手元が疎かになってポットからドプリと紅茶を注ぎすぎてしまった。

 カップから紅茶が溢れ、白いテーブルクロスに茶色い染みを作る。


「申し訳ありません!」


 慌ててメイドが手を伸ばしたら「熱っ」と声を上げた。


「大丈夫ですか?」


 火傷をしていないかと思わず伸ばしたリンクスの手が、メイドの手に触れてしまう。


「きゃあ!」


 途端にメイドが悲鳴を上げてリンクスの手をバシリと振り払った。

 リンクスは慌てて手を遠ざけて、膝の上へとやる。

 余計なことをしてしまった。

 子供でも闇魔法は危険だと知っているから、納得の態度だけれど。

 幸いカップは倒れなかった。


「もういい、下がってくれ」


 慌ててそちらを見れば、アルフィードが冷め切った眼差しでメイドにちらりと一瞥をくれたところだった。

 メイドは動揺してアルフィードを見やったけれど、そそくさと部屋を出て行ってしまった。

 思わずその背中を見ていると。


「食べようリンクス」


 アルフィードに促された。

 目線を戻すと、アルフィードが穏やかに笑っている。

 自分への態度を怒ってくれたのだろうと思い、リンクスはそっと息を吐いた。

 友人と呼べる者がいないリンクスにとって、アルフィードは唯一関わりを持とうとしてくれる。

 何よりもかけがえのない存在だった。


(これからも変わらない仲でいたいな)


 ちらりとアルフィードを見やってから、リンクスは食事を始めた。

 もぐもぐと食事を始めたのはいいけれど、リンクスは早々にお腹いっぱいになっていた。

 サラダとオムレツを半分。

 パンまではいかなかった。

 対してアルフィードは気持ちがいいくらい食べている。

 籠にあったパンもアルフィードが食べてしまった。


「相変わらずよく食べるね」

「お前は食べなさすぎだ。ほら、食べてやるから」


 手を伸ばされたので、リンクスは素直にオムレツの半分残った皿を渡した。

 受け取って、それもぺろりと食べてしまう。


「早食いは体に悪いよ」

「騎士団になんていれば早食いにもなるさ」


 そういうものなのだろうか。

 そこでふとリンクスは服の中からライトブルーの魔石を取り出した。


「そういえばこれ……」

「ああ、見られないように気をつけろよ」

「そうじゃなくて」


 首からネックレスを取ると、手の中でころりとそれを転がした。

 立ち上がってアルフィードの方へ近づくと、それを差し出す。


「これ返すよ。ごめんね、大事な形見なのにずっと持ってて」


 ネックレスを持っているリンクスの手の平を見て、アルフィードは小さく首を振った。


「返す必要はない」

「アルフィードが持ってた方がいいよ」


 ずいとさらに手を差し出すと、アルフィードがわずかに眉を寄せた。


「何故?リンクスの方こそ必要だ」


 まっすぐに見つめられて、リンクスの眉がへにょんとなる。


「いやだってアルフィードはユウ様を守るんだろ?ラルカディオと戦うかもしれないじゃないか。その時に魔力を増幅するために持ってた方が絶対いい」


 だから返すと言えば、アルフィードが立ち上がった。

 頭ひとつ高い背丈に、見上げる形になってしまう。


「大丈夫だ、お前が持ってろ」


 曲げないアルフィードだ。


「そりゃアルフィードは攻撃魔法も強くて、国一番の実力って言われてるけど……」

「一番、か」


 どこか含みを持たせる言い方に、リンクスは不思議そうに首を傾けた。


「騎士団の団長だもん。凄いよ」

「そんな凄いものじゃないさ。まあ、団長が目標ではあったけど」

「沢山努力してたもんね」


 うんうんと頷けば、苦笑された。


「一人の力じゃない」

「へ?」

「お前のおかげだ」

「んん?」


 言っている意味がよくわからない。

 眉根を思いっきり寄せてしまった。


「いつも応援してくれてたもんな」

「それは関係ないと思うけどなあ……でも目標を達成して団長になるんだもん。やっぱり凄いよ」


 見上げて笑うと、穏やかな眼差しが見下ろしてくる。

窓からの陽光に金色の髪がキラキラと弾いていた。


「じゃあそんな凄い団長には必要ないと思うから、お前が持ってろ」

「え!それとこれとは違うでしょ」


 驚いて声を上げれば、アルフィードがリンクスの手からネックレスを手に取った。

 その革紐を首にかけられる。

 チャリンとライトブルーが揺れた。


「俺にとってはお前が倒れないことが重要だ。これを外したら、また魔力が抑えられずに体に負担をかける」


 言っていることは正論だ。

 おそらくアルフィードに魔石を返せば、すぐにでも魔力が暴走して倒れる可能性がある。

 なんて迷惑な体質なんだと、むうと顔をしかめてしまう。


「頼むよ」


 じっと真摯に見つめられて、捨てられた犬のように眉まで下げられては押し通されるしかない。

 リンクスはしぶしぶと頷いた。


「わかった、迷惑かけたいわけじゃない」

「ありがとう」


 礼を言うのはこちらじゃないかと思ってしまう。

 リンクスの胸の魔石に手を伸ばして、アルフィードが指先で石を持ち上げた。


「リンクスをきっと守ってくれる」 


そうしてその石に小さく唇を寄せた。


「ふわ!ちょっ何急に!」


 いきなりのしぐさに驚けば、アルフィードが魔石から手を離した。

 胸元でライトブルーが小さく揺れる。

 唇に弧を描いている表情に、からかわれたのだと思って口を開こうとしたとき、バンと扉がいささか乱暴に開かれた。

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