第16話 回転寿司の奇跡

 駅前の喧騒を抜けると、煌びやかな光を放つ大型回転寿司店が姿を現した。夕空に映える大きな看板には、美味しそうな寿司のイラストが輝き、道行く人々の食欲を刺激する。大型ガラスの窓からは店内の活気がうかがえ、漂ってくる醤油と酢飯の香りがすでに彼女たちの胃袋を刺激していた。

「わーい、お寿司だー!」

 凛が歓声を上げ、弾むような足取りで店の玄関に駆け寄る。

「はい!」

 そう言って、トンと軽やかに玄関マットを踏むと、キレイに磨かれた大型の自動ドアがスッと音もなく開いた。まるで彼女たちが来ることを知っていて、歓迎しているかのように。

 はしゃぐように店内へ足を踏み入れる一同。

 店内は、平日の夕方にもかかわらず、家族連れやカップルで賑わっており、活気に満ちていた。威勢の良い店員の声と、寿司が流れるレーンの心地よい音が響き渡る。しかし、すぐに姫奈の落ち着いた声が雫たちに降り注いだ。

「みんな、そんなにはしゃがない。他のお客さんの迷惑になるわ」

 彼女の言葉は、店内に響いていた少女たちの賑やかな声に、一瞬の静寂をもたらした。温厚そうに見える姫奈の芯の通った注意に、一同は思わず我に返る。続いて麗華も、エレガントな仕草で諭すように言った。

「そうですわ。みなさん、落ち着きましょう。ここは公共の場ですもの」

 二人の言葉に雫と凛は「ごめんなさい」と、しゅんと肩を落とす。まるで叱られた子供のように、同時に反省の態度を見せた。しかし、その落ち込んだ様子も束の間、すぐに彼女たちの心は、これから始まる寿司パーティーへの期待感で満たされていった。その切り替えの早さに、英樹は思わず微笑んでしまう。

「素直なんだな」

 彼の心の中には、温かい感情が広がっていた。

 雫たちは、ほとんど待つことなく店の奥にあるボックス席へと案内された。通路を進む間も、彼女たちの視線は、皿に乗って流れてくる色とりどりの寿司に釘付けだ。

 三人と三人が向かい合う形の、ゆったりとしたシートの席に落ち着くと、凛が突然、声高らかに宣言した。その表情には、いたずらっぽい笑みが浮かんでいる。

「さて皆さん! ここで私から重大な発表があります!」

 その言葉に、雫が首をかしげた。

「タダ券以上に重大なことなんてあるの?」

 結芽も雫の言葉に同調するように、胸ポケットのキクラゲの頭を撫でながら言う。

「ない。と、キクラゲも言ってる」

 凛は二人の反応をものともせず、得意げに胸を張った。その表情は、まるで自分が世界の秘密を握っているかのようだ。

「なんと……この店のタブレットから声優さんの声が流れるのだ!」

 その言葉に、雫の目が大きく見開かれる。彼女の表情は、驚きと興奮で一変した。

「ふぇぇ! タブレットがしゃべるの!? 最近の技術ってすごーい!」

「雫、いつの時代の人だよ!?」

 そう言いながらも、凛は楽しそうにテーブルに置かれたタブレットを操作し始めた。彼女の指が画面を滑り、色とりどりのメニューが表示される。そして、画面をタップした瞬間――。

「いらっしゃいませ! 当店へようこそ! ご注文は何にしますか?」

 タブレットの小さなスピーカーから、優しい、そしてどこか聞き覚えのある女性の声が聞こえた。雫の表情がパッと変わる。彼女の瞳が、驚きと確信に満ちた光を帯びた。

「これって!?」

 凛は、雫の反応を見てニヤリと笑った。その表情には、予想通りの反応に満足している様子が伺える。

「気づいた? 井上喜久子さんの声が入ってるのだよ!」

 その言葉に、結芽が素早くタブレットを凛から取り上げた。

 彼女はタブレットを上から下から、そして裏向きにまでして、真剣な表情で調べ始める。そしてひと言。

「入ってない」

 結芽の予想外の反応に、凛は思わずズッコケそうになった。

「喜久子さん自身が入ってるんじゃないっつーのっ! 喜久子さんのボイスが、メニューに使われてるってことだよ!」

「声優さんのお仕事って、アニメや吹き替えだけじゃないんだ」

 尊敬するような、憧れるような目で結芽の手にあるタブレットを見つめる雫。

 凛が、なぜか自分のことのように自慢げに言う。

「そのとおり! 他にも、電車の駅のナレーションとか、美術館の解説とか、声優の仕事に限界はないのである!」

「すごーい」

 パチパチと小さく拍手する雫。

 英樹は、そんな彼女たちのやり取りを見て、またしても心の中で微笑んだ。

 彼女たちの純粋さと、どこかズレた感覚が、英樹には微笑ましく感じられたのだ。

「やっぱり、素直な女の子たちだ」

 雫の目は、タブレットに釘付けになっている。

「私、もっと喜久子さんの声、聞きたい!」

 思わず結芽からタブレットを取り上げ、再び画面をタップする。

 ただ、井上喜久子の声が聞きたい一心で。

「マグロひと皿~!」

 井上の声が、再びボックス席に響いた。その声は、まるで本当に彼女がすぐそこにいるかのような臨場感だった。

「すごーい! 喜久子さんがここにいるみたい!」

 雫は感動に打ち震え、再びメニューをタップしようとした。しかし、その手が画面に触れる寸前、凛が慌ててタブレットを取り上げた。

「ちょっと雫! そんなにどんどん注文しちゃダメだよ! タダ券とはいえ、無限じゃないんだから! それに、みんなで相談して決めないと!」

「そんなぁ」

 凛の言葉に、雫はちょっと悲しげな顔をする。彼女の目は、まだタブレットに釘付けになっていた。凛は、そんな雫の表情に少し困ったような顔を見せたが、すぐに良いアイデアを思いついたようにニヤリと笑った。

「よし! じゃあみんな、何を注文するかそれぞれで決めてメモに書いてね。それを見ながら、雫がタッチすればいいでしょ?」

 凛は、タブレットを雫に渡すと、いつになく優しい声でそう提案した。

 その提案に、雫の顔がパッと明るくなる。

「凛ちゃん優しい!」

 結芽も、ゆっくりとうなづいた。

「うん、キクラゲもそう言ってる」

 凛は結芽の言葉に、少しからかうような口調で返した。

「そいつが私を褒めるのは、私の分のひと皿、トカゲくんにあげるからでしょ?」

「そうとも言える」

 あっさりと認める結芽。

 その時、再び井上喜久子の声が、雫たちの耳に届いたのだ。

「エンガワひと皿~!」

 その声に、凛は目を丸くして雫の方を向いた。

「雫! まだダメだって言ってるじゃん! 勝手に注文しないの!」

 しかし、雫は困惑した表情で首を横に振る。

「私、まだ何もしてないよ!?」

 その言葉に、姫奈が眉をひそめて英樹に顔を向けた。

「これはどういうことかしら? 諏訪くん、パソコンとか得意でしょ?」

「いや、ボクに聞かれても……」

 英樹は、困ったように苦笑するしかなかった。彼の脳裏には、科学的な説明が全く思い浮かばない。

 その間にも、再び声が響く。先ほどよりも、さらに明瞭に。

「ハマチもひと皿! ハウマッチ! なんちゃって」

 タブレットの小さなスピーカーから出ているとは思えないほどクリアな声。その声には、茶目っ気と、どこか聞き覚えのあるユーモアが込められていた。

 その響きが聞こえた方向に視線を向けた雫たちは皆、驚きに目を見張った。半透明のボードで仕切られた隣のボックス席。その向こうに、聞き覚えのある声の主が座っていたのだ。

 雫が、言葉にならない驚きとともに、凛の腕を掴んで指差す。

 そんな彼女の指先は、少し震えていた。

「凛ちゃん!隣の席にいるの……」

 凛は、その人物の顔を凝視し認識した途端、絶叫した。

「井上喜久子さんだーっ!」

「ええーっ!?」

 驚愕の声が店内に響き渡る。雫たちの席と、半透明のボードで仕切られた隣のボックス席に、まさかの声優・井上喜久子本人が座っていたのだ。彼女はボードの横からひょいと顔を出すと、にこやかな笑顔を見せた。。

「あらまぁ偶然ね。井上喜久子、17歳です」

 雫と凛は、思わず反射的に突っ込んでしまう。

「おいおい」

「はいはい」

 優しく微笑む井上。

その時、雫が手にしていたタブレットから再び声が響いた。

「マグロひと皿、まいどありぃ!」

「だから勝手にタップしないの!」

だが、そんな凛の叫びが聞こえないのか、雫はすりガラスの向こうの人影をポカンと見つめていた。

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