第10話 恋愛経験ゼロの騎士が戦闘経験ゼロの軟弱男子に恋しそう
うららかな昼下がり、一面に広がる草原に線を描く街道を、荷馬車が進む。
幌もない屋根もない、荷車程度の簡素なソレを、馬一頭で引く。
御者はマベル・クレプリーズ。手綱を握る姿は存外、様になっている。
その馬車の隣を、私は並行して歩いていた。
どうしてこのようなことになったのか。それは私が一番聞きたいことだ。
巨大イノシシにパエデロス領の関所前の集落を半壊させられ数週間。
まだ建築途中ではあったものの、レンガ造りの家が立ち並ぶ街へと復興を遂げて、マベルが何処かへと雲隠れしようとしたその矢先。
隣のアミトライン領から文字通り、駆けつけてきたマベルの弟ペウルが現れて、どうにかこうにか兄弟で口論になりかけて、それを眺めていた私が言ったのだ。
マベルを鍛えなおす旅に出る、と。
二人ともきょとんとした顔していた。むしろ、言った私が一番きょとん顔だった。一度騎士が口にしたことを下げるわけにはいかない。
ごめん、間違ったなどと言ってたまるものか。
「仮にも、騎士の家系であるクレプリーズ家として、みっともないと思わないのか。少なくとも私は見過ごすわけにはいかないと思った。だからこそ、修行を積ませる」
と語気を強めてペウルに言い放ち、大量のイノシシ肉を手土産にして帰らせた。
本当ならば復興支援の話を交えたりとか、今後の領土間の話をどうするのかとか、ペウルはペウルで立場上、滞在しなければならない理由も山積みだったが……。
私の妹リノンに寂しい思いをさせるな、と追撃したらあっさり引っ込んでくれた。
まあ、父の頭を悩ませる課題が少し増えただけだ。何も問題はないだろう。
さしあたっての問題は、私とマベルが二人きりで旅しているということだろうか。
「それにしてもマベル。馬の扱いも慣れたものだな」
「この馬車で支援物資を届けていたからね。元々は父さんから学んだものだけど」
忘れていたつもりはないが、マベルもクレプリーズ家の意志とは関係なく独断で、パエデロス領に支援していたのだった。
まさか軟弱男が自前の足で物資を運べるわけもあるまい。
大した数の集落もない狭い領土とは思っているが、馬車は要るだろう。
「リナリー」
「ん、なんだ?」
「修行のため、なんて理由をつけてくれたけど、本当はボクのためだったんだろ? 今、ボクはアミトライン領に帰るわけにはいかないから」
なんともマベルが好意的に解釈してくれる。そう勘違いしてくれるなら好都合だ。
「貴様の事情なんて知らんが、面倒くさいことだけは分かる」
「気を遣ってくれてありがとう。やはりキミは優しい人だ」
そのはにかんだ言い回しはやめてほしい。胸の奥がむずむずする。
「ふ、ふん! 確かにアレは方便だったが、言い切った手前、修行はしてもらうぞ。貴様の軟弱っぷりは目に余る!」
「はは、お手柔らかに頼むよ。……向かう先はこの先の集落でいいのかい?」
「ああ。まだ名前はないが、最近急激に発展している。父も存在を認知しているが、前領主の頃から大分大きくなっているらしい」
集落、とは言ったものの、既にちょっとした街ほどの規模になっている。
遠方から冒険者や行商人、果てや貴族まで集まりだしているとか。
パエデロス領では他に大きく発展した街もなかったためか、遠方の者からすればパエデロスといえば、この街を指すことが多いらしい。
では何故、このパエデロスという街が大きく発展しているのか。
遠方からこの町に人が集まってくるのか。
それは近年になって分かったことで、父が辺境伯になって初めて知ったこと。
前領主が知っていたかどうかまでは分からない。
なんでも最初はちょっとした集落に過ぎなかったのだが、その近辺にダンジョンが発見されていったらしい。その場所を中心に北には洞窟、南には遺跡といった形で。
冒険者からすればダンジョンなどというものは恰好の稼ぎ場。
気付いたときには何処からか噂を聞き付けた冒険者がドカドカと押し寄せてきて、そんな冒険者を食い物にするために行商人まで呼び寄せて、今に至る。
よっぽど前領主のオレロ・ヘマシタイトとかいう男は無能だったようだ。
その集落の存在を感知していなかったか、あるいは見ぬふりで放置していたのか、経済のバランスが崩れてしまって、父の悩みの種の一つである。多いな、種。
「マベルは、行ったことがあるのか?」
「一度だけね。ただボクが行ったときは治安が悪くて物資を丸ごと奪われた挙句、馬車まで持っていかれて……、まあそれ以来行っていないよ」
苦笑いを見せる。マベルが言うように、人が集まるというのはこういうこと。
みんな礼節わきまえた紳士ばかりというわけじゃない。
冒険者とは名ばかりの盗賊やら蛮族みたいな連中がウジャウジャいる。
あの街は治安なんてあったものじゃない。
それが諸外国から「パエデロス」の代名詞と化しているのは実に遺憾である。
「今は私がいる。心配することはないだろう。現地の自警団にも知り合いは居る。例え身ぐるみをはがされようと半分くらいは戻ってくるはずだ」
「それは……、頼もしいね」
乾いた笑いで言われてしまった。
一度身ぐるみを全てはがされた当人からすれば複雑だろう。
さて、どうしてまた私たちはそんな街へと向かっているのか。
まあ、マベルの修行のためと称して、山籠もりするのもやぶさかではなかったが、ここはやはり本格的なダンジョン探索の方が良い経験が積めると思ったまでだ。
勢いで「修行つける!」なんて大口叩いたからには有言実行しかない。
それに元々、パエデロス領に帰ってからこっちに来る予定だった。
何分辺境伯の娘としても、騎士としても治安の悪い街を放置するわけにもいかず、加えて、王都から新たに派遣されてきた連中とも顔合わせすることになっている。
唯一、マベルの同行だけが予定外だったのだ。
本当、どうして私は咄嗟にあんな意味の分からんこと言ってしまったのやら。
……あのまま、ペウルに連れて帰ってもらった方がよかったのだろうか。
どうも、それは何だかモヤモヤしてしまう。
だからといって、マベルと一緒に旅するなんてそれはそれでモヤモヤする。
軟弱なくせして、無謀にもイノシシに飛び乗るような無謀な男。
放っておいたらその辺で野垂れ死んでしまいそうな弱々しさ。
目を離したら悪意に潰されるんじゃないかという不安が押し寄せる。
要するに私はマベルみたいな底なしのお人好しから目を離したくないわけだな。
本能的にそう思っているだけ。そういうことにしておこう。
しかし……、父以外の男と二人きりで旅なんて初めてだ。
遠征で大人数と野営した経験ならあるのだが、何故だかずっと心が落ち着かない。
「リナリー、見えてきたよ」
マベルが促す。進行方向の先、小高い草原の上に盛り上がったソレが視界に入る。
田舎というわけでもなく、都会というわけでもない、間をとった街。
よくもまあ、こんな大きくなるまで認知されないでいられたものだ。
今もまだ成長し続けているというのだからなおのこと無視できない。
「来る度に大きくなっている気がするな。そのうち、国になるんじゃないか?」
「レッドアイズから独立するくらい大きくなるならそうかもしれないね」
まさか、とは思いつつも、あまり冗談にもなっていないような気はする。
治安問題さえ解消できれば、それくらいのポテンシャルはあるだろう。
そのための政策も動いているわけだし、今後どうなるか分かったものではない。
「バカバカしい……、ともかく向こうについたら宿をとって――」
ふと、私の脳裏に大きな疑問符が浮かび上がってきた。
ここまで二人で旅をしてきておいて今さらなのだが、宿をとるとは。
それってつまり、同じ部屋で寝泊まりをするということなのだろうか。
「どうした、リナリー。宿代がないのか?」
「いやそれなら十分ある。最悪積み荷の中にはよく熟成したイノシシ肉もあるし、行商人に売って金のするのも容易だろう」
待て。まあ、待て。何を慌てる必要がある。
私は騎士。野営で知らない男どもとも寝たこともある。狼狽える要素などない。
そもそも、ここに来るまでの半日。朝から今の今まで一緒にいただろう。
同じ宿に泊まることの何が問題だというのだ。
それに、同じ宿の同じ部屋に泊まるなんて決まったわけじゃない。
私は何を早合点している。なんでこう、冷静になれないんだ。
なんでずっとマベルのことばかり、意識してしまうのだろう。
半日も歩き続けたから疲れてしまったのだろうか。ああ、そうだ。きっとそう。
私だって疲れることはあるんだ。だから何も不思議なことではない。
この気持ちを形容する言葉に心当たりはあるが、ありえない。
そう、ありえないのだ。この私が、マベルに恋しそうだなんてこと。
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