第36話 都市の底、魔力の膜を越えて ⚔️🍎

「止まって」


 ラナの声に、ガーディアンが静かに動きを止める。

 関節がわずかにきしみ、魔力の粒子が空中に散った。


「降りる」


 彼女がそう言うと、ガーディアンはかがみ、腕を折りたたんで段差を形成する。

 ラナは迷いなくその腕を伝って降りると、壁際の端末たんまつへ向かい、操作を始めた。


 指先が魔導パネルをすべると、部屋の中央に魔方陣が浮かび上がる。

 淡い青白い光が床に広がり、幾何学きかがく的な紋様もんようが脈打つように輝いていた。

 魔力の流れが空間全体に満ちていく。

 空気がわずかに震え、肌に魔力の圧がまとわりつく。


「転送魔法陣。第10階層へつながってる」


 ラナがそう言った。

 俺はガーディアンに指示を出し、魔方陣の中央へ向かわせる。

 天井は巨体のガーディアンが悠々ゆうゆうと歩けるほど高く、かつて高貴な者が座していた台座は、魔導粒子の腐蝕ふしょくで黒ずみ、崩れかけていた。

 天幕や観覧席を覆う厚手のカーテン、絨毯じゅうたんも同様に、粒子の干渉で繊維がほつれ、色彩はせている。

 かつての栄華えいが残滓ざんしだけが、静かにただよっていた。


 その一方で、起動した魔方陣からは光が立ち上がり、柱のように天井へと伸びていく。

 ガラスのように見えていた天井は、実際には魔力の膜だった。

 光が膜を突き抜け、空間全体が淡く脈打つ。

 空気が震え、魔力の流れが身体を包み込む。

 転送が始まる。設定を終えたラナが急ぎ足で駆け寄ってきたので、俺は手を伸ばして引き上げた。


 都市の暴走が加速する前に、上層へ向かう必要がある。

 だが、具体的な作戦はまだない。

 俺が知る限りでは『ヴァル=ノクス』の階層構造はこうだ。


 最上層となる第1階層には政府機関や企業本部がある。

 政治家、幹部、研究責任者がいるはずだが、ろくな人物ではないだろう。


 続いて、第2〜4階層。富裕層居住区や高級施設が並び、貴族階級や企業幹部が住み、有名な魔導実験施設が存在する。


 第5階層は旧研究区。半分は廃墟化していて、VX-09クロノ・アビスなどの兵器が研究されていた。今は放棄された魔導施設が多く、監視区域となっている。


 第6〜7階層は中層居住区。一般市民が多いが、研究者や情報屋、魔女など、わけありの人物も隠れ住んでいる。


 第8〜9階層は下層スラム。治安も空気も悪く、密輸業者や反体制派、犯罪者などの吹きまりだ。好んで関わるような場所ではない。


 そして、第10階層――これから向かう場所だ。


 光が包み込み、重力が消えるような感覚。内臓が浮くような違和感。

 身体がふわりと浮き、魔力の柱に守られるように、俺たちはゆっくりと上昇する。

 透明な魔力の膜を通り抜け、辿り着いたのは、第10階層――都市の最下層。


 廃棄物処理場。魔導排気口だけが立ち並ぶ、都市の“底”。

 人が住める環境ではないと聞いていたが、目の前に広がるのは驚くほど清潔な空間だった。

 無音の室内。床は磨かれ、壁には魔導照明が均等に配置されている。

 空気も澄んでいて、汚染の気配はまったくない。


 おそらく、階層間を移動するための転移施設だけが、厳重げんじゅうに管理されているのだろう。

 ユーマが気取ったスーツ姿で現れたのも、この空間に合わせていたのかもしれない。

 あいつのことだ。見た目の演出にも抜かりはない。

 すべては計算されている。


 二人をガーディアンの背に乗せたまま、俺は床へと着地する。

 硬質な振動が足裏を突き上げ、魔導粒子がわずかに舞った。

 いつでも斬れるように、鞘に収めた黒刀の柄に手を添える。


 ミーナの指示にしたがい、上の階層へと続く転移用の魔方陣がある部屋へ向かう。

 通路は無機質で、壁も床も同じ灰色の合成金属。

 足音がやけに響き、静寂せいじゃくが逆に不気味だった。

 警備ユニットが出てくるかと身構えたが、ここも無人だった。

 まるで監視の目が消えたような静けさだ。


 安全が確認できたので、双子もガーディアンから降りる。

 ミーナは軽やかに、ラナは無言で慎重に着地した。

 部屋の中央には、転移用の魔方陣が静かに輝いていた。

 幾何学的な紋様が淡く脈打ち、床に光が走る。

 魔力の流れが空間を満たしている。

 空気がわずかに震え、肌にまとわりつくような圧がある。

 転移先の階層を選択できるようで、ラナが端末を操作しながら言った。


「一気に第3階層まで行けるみたい」


 俺はうなずきかけて、ふと考え直す。

 グレイたちの顔が脳裏のうりをよぎった。


「第7階層の様子が気になる」


 そのつぶやきに、ミーナが顔を上げる。ラナも小さく首をかしげた。


「大丈夫じゃない? ゴキブリよりしぶといよ」


くせの強い連中ばかりだからね」


 二人の言葉に、思わず笑いそうになる

 確かに、ドクター・バグスの研究所から逃げ出した魔導昆虫インセクト・ギアの襲撃にも、あいつらは動じなかった。

 上層階から食糧を積んだコンテナが落ちてきたときも、愉快ゆかいそうに奪い合っていた。


「そうだな」


 俺が納得すると、双子は顔を見合わせ、そして頷いた。

 この事態をどうにかするには、まずエリシアを奪回する必要がある。

 彼女でなければ、都市の制御は難しい。

 そもそも彼女以外に、都市の崩壊に対して、備えている人間などいないだろう。


 ……最悪、都市ごと斬ることになりそうだが――それは最後の手段だ。


 第7階層の連中のことは一旦忘れ、転移魔方陣の設定を第3階層に変更してもらう。

 魔力が再び脈打ち、床に淡い光が走る。

 空気が震え、転送の準備が整ったことを告げていた。


 俺たちは、都市の上層へ向かう。

 この程度のことで、第7階層の連中はくたばりはしない――そう信じている。

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