第五章 ノクスチルドレン

第32話 静かな部屋と、温かな香り ⚔️🍎

 神殿の奥。白い合金壁には魔力のあとが残り、空調のフィルター越しにかすかに鉄のにおいがただよっていた。

 さっきまでの戦闘の痕跡こんせきが、無機質な空間に生々しく刻まれている。


 俺は足音をおさえながら、冷たい床を踏みしめて進む。

 照明は自動調整式。俺たちの動きに合わせて、天井のラインライトが順に点灯していく。


 後ろにはミーナとラナ。肩を寄せ合い、無言でついてくる。

 おどされていたせいか、精神的な疲労が色濃い。

 けれど、それ以上に――気まずさが、二人の表情ににじんでいた。


「……ごめんなさい、レンくん」


 ミーナがぽつりとつぶやいた。ふるえる声。うつむいたまま、足取りも弱い。

 赤いリボンも、いつもの張りがない。

 すぐにラナが口をはさむ。ピアスの青い宝石が、照明に反射して揺れた。


「ミーナのせいじゃない。全部、私が……操られてたの。意識はあった。でも、止められなかった」


 俺は立ち止まり、振り返る。

 ミーナは目を伏せ、ラナはくちびるんでいた。

 俺たちの情報を売ったことに、どちらも罪悪感を抱えている。


 少しだけ息を吐いて、俺は言った。


「……怒ってはいない。操られてたのなら、仕方がない。今さら責めても意味はないさ」


 そもそも、俺自身が誰かを責められるような生き方をしてきたわけじゃない。

 ミーナの肩がわずかに震え、ラナは何か言いかけて、黙った。


 俺は二人の肩を軽く叩いて、歩き出す。


「歩けるか? ついてこい。まずは、落ち着ける場所を探す。話はそれからだ」


 エリシアのことは気がかりだ。ユーマに連れて行かれたが、あいつの性格を考えれば、すぐにどうこうはしないだろう。

 双子を残していったということは、この二人を使って追わせるつもりか、あるいは――何か伝えたいことがあるのかもしれない。


 いずれにせよ、今は彼女たちの話を聞くのが先だ。

 まずは、落ち着ける場所を見つけよう。


 神殿――いや、都市型研究施設と呼ぶほうが正確だろう。

 この場所は、宗教施設というより、魔導技術と都市管理の中枢を担う巨大なシステム空間だ。


 俺がかつて関わった“宗教団体”とは、まるで違う。

 本物の宗教施設は、もっと湿っぽかった。

 木造の礼拝堂に、古びたステンドグラス。

 空気は重く、香の匂いが染みついていた。


 もっとも、俺の知っている宗教施設は、邪教とされる集団だったがな。

 表向きは慈善と祈りの場。だが、裏では“断罪”の依頼が流れていた。

 武器の取り扱い、人身売買、情報の売買――すべてが祈りの裏で動いていた。


 ……ここは、そういう場所じゃないようだ。


 構造は複雑というより、広大で合理的。

 床を滑るように走る清掃ドローンが、無言で汚れを処理していく。

 壁面の案内パネルは淡く発光し、俺たちの接近を感知して自動でルートを表示した。


 その中に、古い居住区の案内を見つける。

 俺は双子を促し、階段を下りた。


 地下に近いフロア。かつて神官たちが使っていた生活区画だ。

 廊下の両側には、金属製の扉が並び、アクセスパネルにはまだ魔力が残っている。

 おそらく、都市の中心軸にある巨大な魔導結晶柱から、最低限の供給が続いているのだろう。


 ……ここなら、少しは落ち着けるかもしれない。


 一つ、扉を開ける。

 内部は、白磁系の壁材に囲まれた簡素なユニット空間だった。

 棚と長椅子、奥には調理用のマルチステーションと、魔力循環式の水供給ユニット。

 調理台の端には、古い型の魔導炉が埋め込まれている。

 起動パネルはくすんでいたが、魔力反応はまだ残っている。


 天井の照明が俺の入室を感知し、淡く点灯する。

 空気は乾燥しているが、フィルターが生きているらしく、腐敗臭はない。

 生活の痕跡は薄いが、使える設備が残っているだけでもありがたい。


「……当たりだな。まだ、使えそうだ」


 俺はミーナとラナを長椅子に座らせ、調理台へ向かった。

 まずは、ユニットの魔導源に手をかざす。魔力認証が走り、低く唸るような起動音が返ってくる。

 調理台の縁に青白い魔力ラインが浮かび上がり、稼働状態に入った。


 水場の供給ノズルに指を添えて、魔力設定を確認する。

 最初はゴボゴボと空気を巻き込む音だけだったが、数秒後、魔力生成による液体構成が安定し、勢いよく水が噴き出した。


 このタイプの施設の水は、地下の魔導リアクターから供給される魔力を媒介に、分子レベルで生成されている――エリシアからそう聞いている。

 この世界に来たばかりの頃は、家電も調理器具もさっぱりだったが、彼女に基本的なレクチャーを受けてからは、今じゃそこらの一般人よりも詳しい。


 設定を切り替えれば、熱湯も出せる。沸かす必要はない。

 魔力が温度制御まで担ってくれる。便利すぎて、たまに怖くなるくらいだ。


「何か温かいものでも飲んで待っていろ」


 そう声をかけて、俺は棚を開ける。

 保存棚には、粉末状の飲料素材が並んでいた。

 “マギ・コーヒー”と“エーテル・ティー”。

 どちらも魔導抽出による特殊製法で、香りと魔力安定性を両立させた高品質品だ。

 おそらく、大崩壊前は日常的に飲まれていた代物なんだろう。


 封はされていたが、魔力封印式のパッケージだったため、品質劣化はない。

 俺はエーテル・ティーを選び、抽出ユニットにセットする。

 熱湯設定に切り替え、カップに注ぐと、淡く透き通るような香りが部屋に広がった。


 草花と魔力粒子が混ざったような、静かで落ち着いた香りだ。

 刺激はないが、芯に残る。

 棚を探すと、保存用の補助素材が見つかった。


 ミルクは粉末状の“マナ・ミルク”として密封されており、砂糖は“エレメント・シュガー”と呼ばれる錠剤タイプだった。

 どちらも魔力安定加工が施されていて、長期保存に耐える仕様だ。


 俺はそれぞれをカップに投入し、軽くかき混ぜる。

 色が柔らかく変化し、香りも少しだけ甘みを帯びた。


 ミーナが少しだけ顔を上げ、ラナは無言のままカップを受け取る。

 まだ緊張は残っているが、温かい飲み物が少しだけ空気を和らげてくれる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る