第21話 グレイの沈黙、都市の記憶 ⚔️⚙️

 昼まではまだ時間がある。

 第7階層の午前は、粒子の流れも落ち着いている。

 都市の喧騒けんそうはまだ本格化していなかった。


 高架の影が路面に濃く伸び、朝方まで点いていた照明塔はすでに消灯している。

 空気は乾いていて、粒子フィルターのうなりが背景音のように響いていた。


 だが、俺の胸の内は、逆に騒がしかった。

 双子の解析結果――そこに刻まれていた名前『ユーマ・シドー』。

 その名を目にした瞬間、何かが崩れた気がした。

 過去と現在が、無理やり繋がったような感覚。


 都市の上層部へ行かなければならない。

 だが、そんなルートを知っている人物が、果たしているだろうか。

 行きたくても行けない連中ばかりだ。

 あるいは、上層から追放された者たち。

 ――いや、一人だけ、心当たりがある。


「……やはり、エリシアに聞くしかないか」


 俺は研究所へ戻ることにした。

 古いビルが立ち並ぶ一角。隣のビルの金属階段がきしむ。

 外壁には粒子遮断ポリマーが貼られている。

 魔導排気口の熱風を受けても色褪いろあせていない。


 玄関前に立つと、頭上の監視カメラがわずかに動いた。

 魔導紋の刻まれたレンズが俺の顔を認識すると、短く電子音が鳴る。

 扉のロックが解除された。


 粒子フィルターが静かに唸り、室内の空気が外よりもわずかに温かく感じる。

 第3階層製の空調ユニットが、粒子濃度を常時監視しているおかげだ。

 研究室の奥からは、魔導端末の起動音が微かに聞こえる。


 エリシアはまだ作業中らしい。

 扉は閉じているが、魔導波形マナ・ウェーブの反応が壁越しにわずかにれていた。

 集中しているようなので、声はかけずにキッチンへ向かう。

 床材は魔導耐熱仕様のセラミック。足音が吸い込まれるように静かだ。


 エプロンを手に取り、首元で結ぶ。

 この都市で、俺が一番よく使う“装備”かもしれない。

 何度この動作を繰り返しただろう。


 腰紐を締めるとき、自然と背筋が伸びる。

 剣を握っていた頃のくせだ。

 戦闘姿勢の名残なごりで、どうしても構えのような動きになる。


 野球をやってた奴が、テニスラケットを振るときにバットのスイングになる――あれと同じだ。

 構えの癖が抜けない。もう仕方ない――体が覚えてしまっている。


 冷蔵ユニットを開けると、保存しておいたミートパイの具材がまだ残っていた。

 粒子処理済みの合成ひき肉ミート・モジュールと、香気調整済みのハーブ『スプライス・リーフ』。

 それに闇市で手に入れた粒子処理済みのパイ生地。

 『グレイン・シェル』という名前だ――魔導穀を圧縮して作ったらしい。


 今では、PX-3型のオーブンユニットにも慣れてきた。

 最初は使い方がさっぱり分からなかった。

 焼き加減を間違えると、すぐに焦げるか、逆にふくらみすぎる。

 予熱をかけながら、具材を混ぜ合わせていく。


 スプライス・リーフは香気調整されたハーブで、バジルとローズマリーの中間のような香りがする。

 焼き始めると、甘さとほろ苦さが混ざった匂いが立ち上がり、少しだけ気持ちが落ち着いた。

 都市の“よどみ”を忘れさせてくれる、数少ない瞬間だ。


 焼き上がったミートパイを容器に詰める。

 蓋を閉じると、内側の粒子遮断層が自動で展開され、熱を逃がさずに封じ込める。

 外側は冷たい金属なのに、手に持つとほんのり温かい。

 香りだけが、容器の縁からかすかに漏れていた。


 ミートパイは、グレイのところへ持っていくつもりだ。

 彼は隣のビルで義肢・機械修理屋リペア・ノードを営んでいる。

 元軍医で、都市の技術にも詳しい。

 『ヴァル=クロノ・インダストリィ』のことも、何か知っているかもしれない。


 正直、エリシアと話すと、いつの間にか論点がすり替わっている。

 気づけば、俺が納得したことになっていて、話が終わっている。

 あの煙に巻くような口調には、何度も丸め込まれてきた。

 だからこそ、先に情報を集めておいた方がいい。

 少しでも、対話の主導権を握れるように。


「……さて、グレイに昼飯を届けに行くか」


 エプロンを外し、腰のホルダーに小型端末ノード・ピースを差し込む。

 都市ネットワークに接続する個人端末で、スマホに近い機能を持つ。

 上層プレートが陽光をさえぎっていて、都市の空はまだ薄暗い。

 それでも、粒子の流れは昼に向けて活発になりつつある。

 光を受けた粒子が、空中でわずかに揺れていた。


 グレイの作業場は、隣のビルの一階。

 工具の匂いと粒子油の熱気が混ざり合い、都市の“裏打ち”を感じさせる空間だ。

 義肢の調整をしていたらしいグレイは、俺の姿を見ると無言で手を止めた。


 ミートパイの容器を差し出すと、グレイは一瞥いちべつだけで受け取った。

 「昼飯か」とだけつぶやき、工具を棚に戻す。

 しばらく沈黙が続いた。だが、俺が腰の端末を操作し、『ヴァル=クロノ・インダストリィ』のロゴを表示すると、グレイの目が細くなる。


「……あそこに関わるのか?」


「探していた男を見つけた。企業の中枢にいた」


 グレイは容器のふたを開け、香りを確かめるように息を吐いた。

 そして、ぽつりと語り始めた。


 『ヴァル=クロノ・インダストリィ』――都市のインフラ整備や再編計画を主導する表の顔の裏で、兵器開発と魔導実験を繰り返していた企業。

 第5階層の旧研究施設で、かつてグレイが見たという兵器の試作機。


 その名は『VX-09クロノ・アビス』。魔導粒子の暴走を制御するために設計されたはずの兵器が、逆に都市の粒子循環を狂わせた。

 グレイの仲間は、その暴走に巻き込まれて消えたという。

 義肢の理由も、そこにある。


 俺も、あの施設で『VX-09クロノ・アビス』と交戦した。

 粒子濃度の異常、ドローンの誤作動、そして結晶の異常反応。

 都市の暴走が原因だが、双子の情報と、グレイの証言が重なったことで、企業の“裏の顔”がはっきりと見えてきた。


「……あれは兵器じゃない。都市そのものを変える装置だ」


 グレイの言葉が、胸に刺さる。

 都市の再編計画。結晶の回収。ユーマの名。

 すべてが、ひとつの線でつながり始めていた。


「エリシアに話す前に、聞けてよかった」


 グレイは何も言わず、ミートパイを一口かじった。

 その沈黙が、言葉以上に重く響いた。

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