第9話


「会議を始る……とは言え、カレンがいないのに話し合いは進められないからな。情報共有をしてしまおう。ショウマ、今回のターゲットについて説明してくれ」

「了解。これを見て」

 ショウマさんがパソコンを開いて画面をこちらに向ける。そこには豪奢なネックレスが映されていた。

 ふんだんに使われたダイヤモンド。中央の、一際大きな石はサファイアかな?

 深い青色がとてもきれいで、吸い込まれそう。涙のような、こぼれ落ちる雫のような型をしてる。

 えっと……ペアシェイプ、っていったっけ。曲線的で、女性のネックレスによく使われる形だ。

「このネックレスは『レディ·アネットの涙』と呼ばれてるんだ。その名の通り、元々はアネットという女性の物だったけど、巡り巡って、今はウォルター·シンプソン氏が所有している」

 画面が切り替わって、穏やかそうな初老の男性が映し出される。

 この人、見たことあるような。テレビとか新聞じゃなくて、もっと身近な……。

 あ。思い出した。

「もしかしてこの人、クローネ美術館の館長さん?」

「正解。セーラちゃん、よく知ってるね」

「たまに行ってるから」

 クローネ美術館はうちの近くにある私立の美術館だ。規模は大きくないけど、頻繁に展示が入れ替わるし、定期的にワークショップを開催するから、何度行っても飽きない。館長みずからが受付に立って、チケットを売っていたりするんだ。

「んで、その巡り巡ってとやらの内容は?」

「このネックレス、シンプソン氏が借金の形に奪い取ったものなんだ」

 借金……。

「しかもそれ、シンプソン氏が相手を騙したがためにできた」

「最悪だな」

 ルークは言葉を吐き捨てた。私もそう思う。借金を作らされた挙げ句に、ネックレスを取られてしまうだなんて。

 詳しい経緯はこれを見て、と渡された冊子に目を通す。まとめると、こういうことらしい。

 シンプソン氏は昔の王室に由来する品を中心にコレクションをしていた。そして目を付けたのが「レディ·アネットの涙」。当時の所有者であり、資産家のブラウン氏に交渉を試みるも、訣別。そこで宝石による資産運用の話を持ち込み、莫大な損失を出させ、借金の担保としてネックレスを手に入れた。以来、ブラウン氏は自身の持つ美術品を全て売り払い、思い出の詰まった家まで手放して、家族とは離れて暮らしている。

 ――知れば知るほど、不愉快な話。

 穏やかな微笑みからは想像もつかない、どす黒さ。

 この手の卑怯な話が大嫌いなルークの眉間には、深いシワが刻まれている。

 とその時、廊下の方からパタパタと軽い、小走り気味の足音が聞こえてきた。

「遅れてごめんね!」

 慌ただしく、カレンさんが部屋に飛び込んできた。肩で息をしていて、額にはうっすらと汗がにじんでいる。手には大きな紙袋とキャリーケースを持っていて、まるで旅行帰りだ。そして資料を睨み付けるルークの顔が視界に入るやいなや、ヒッと声をあげて一歩後ろへ後退った。

「ルーク」

「何だよ、セーラ」

「顔」

「え?」

「怖い」

 入り口で青ざめているカレンさんを指差した。そこでようやく、存在に気が付いたらしい。不気味なくらい素早く、表情を切り替える。

「やあ、いらっしゃい」

 いつもの温和な笑みで、穏やかに言う。

 ……バカ。よけいに不気味だ。

 さらに青ざめたカレンさんに小さく手招きをして、私の隣に座らせた。テーブルに置かれていたオレンジジュースをコップいっぱいに注いで、カレンさんに渡す。

「ありがとう」

 ゴクゴクと一気に、喉に流し込んでいく。あっという間にコップは空っぽになった。

 ご、豪快……。

「つっかれたー。やっぱりここの坂は駆け上るものじゃなかった」

 そう言いながらぐったりとテーブルに突っ伏した。

「え、ウチの前の坂、走ってきたのか⁉」

「そりゃ、疲れるに決まってるよ。ルークと違って日頃、運動してるわけじゃないんだから。無茶したね」

 家の前の坂は、そこまで急なわけではないけど……もうとにかく長い。広い地区を突っ切るように1本、走ってるんだ。慣れている私やルークでも、時折、うんざりするくらい。そんな坂を大きな荷物を持って走ったって言うんだから、すごい。

「良い運動になったって事にしとこうぜ。ところで、何だってそんなに大荷物なんだ?」

「あ、そうそう! 二人にプレゼントがあるんだ!」

 カレンさんは、キャリーから大きめの包み紙を、紙袋からは箱をそれぞれ二つずつ取り出した。

 これが、さっきショウマさんが言ってたサプライズなのかな?

「緑色のがセーラちゃんので、白いのがルーク君のね。着替えてきて!」

 き、着替え……?

 どうして急に?

 状況が飲み込めないまま、包みと箱を押しつけられ、部屋から追い出される。さっきまでのへにゃへにゃした様子が嘘みたいに、急に生き生きし始めたんだからもう、唖然。

「オレ、自分の部屋から追い出されたの初めてだ……」

「――でしょうね。それで、どこで着替えるの?」

「物置……は狭くて嫌だから、客間だな。鍵はかかってないはずだから、セーラは奥の部屋を使ってくれ」

 さっさと近くの客間に入っていったルークに続いて、私もその隣の部屋に入った。あまり使っていないのか、中はちょっとほこりっぽい。それでも手入れ自体はされてるようで、ドレッサーやカーテンに汚れはなかった。

 さっそく、袋の中身を取り出すと、出てきたのは黒を基調とした洋服と髪飾り。

 ワンピース、かな?

 胸元にある紫色のリボンがかわいらしい。裾からのぞくレースも。袖を通してしまうのがもったいないくらい、素敵な服。着せかえ人形の衣装みたいだ。

 これ、本当に私が着ても良いの?

 でもいざ着てみれば、サイズはぴったり。鏡を覗くと、見たことない私がそこにいた。動きに合わせて、アシンメトリーなスカートがひらりと揺れる。一緒に入っていたヴェール付きのミニハットをかぶると、黒いレースがふんわりと顔を隠した。多分これは、怪盗衣装……だと思う。

 胸が高鳴る。鏡の前で、くるりと回ってみた。

 すると、控えめなノックが聞こえてきた。

「着替え、終わったか?」

「あ、うん。今出る」

 ドアを開けて真っ先に目に飛び込んできたのは、黒色だった。不思議な形のロングコートに、細身のパンツを身につけている。ヒールブーツのせいか、いつもよりも背が高くて大人っぽい。ルークのスタイルのよさが際立っていた。

「そういう服も、あんがい似合うのね」

「オレもビックリした。セーラも、よく似合ってるぞ」

「そう。ありがとう」

 称賛は称賛として、素直に受け取っておく。

「お嬢様は褒めても素っ気ないのな。カレン~、着替えたぞ~」

 部屋に戻るルークに続いて、中に入ると、カレンさんが目を輝かせた。

「わぁ、あたしの見立て通り! すっごく素敵! 怪盗衣装とか初めて作ったけど、なかなか良い感じ!」

 曇りのない、キラキラとした目で詰め寄ってくる。

 え、これカレンさんが作ったの?

 てっきり、マリアスからの支給かと思ってた。

 縫い目はしっかりしているし、装飾は細かくて繊細だ。お店で売っているような……うんん。それ以上の完成度。

「サプライズ大成功だね! あ、二人とも、もう少しそのまま立っててね」

 そう言って取り出したのは、サテンのロゼットがついた可愛らしいポーチ。あれは確か、お裁縫道具が入っているやつだ。いつも持ち歩いてるんだとか。

 慣れた手つきで糸を針に通すと、私とルークに向き直った。

「サイズの微調整するから、動かないでね。針が刺さったらいけないもの」

「え、もう十分ピッタリだぞ? いつサイズ測ったんだって感じ」

「ありがとう。だいたいのサイズなら、見た感じで分かるの。でも本当に大雑把にだから、直させて。もっと着心地が良くなること、間違いなしだよ! ルーク君からね」

 カレンさんは作業を始めた。真剣な表情で、黙々と手を動かしている。部屋は静まり返った。時々、衣擦れの音が小さくするだけ。しばらくして、カレンさんがふぅ、と長く息をはいた。

「――よし、ルーク君終わり! 次はセーラちゃんね」

「分かった」

 そしてまた、カレンさんは見惚れてしまう手つきで、作業を進めていく。素早く、正確に。手持ち無沙汰で、カレンさんをじっと見つめていると、目元にうっすらとクマが浮かんでいるのに気が付いた。

「……私にも、できることはある?」

「え?」

「目元、クマができてる」

 カレンさんは目を大きく見開いたかと思うと、ふんわりと、頬をほのかに赤く染めて微笑んだ。

「じゃあ、頼んでも良いかな? 火曜日の放課後、空いてる?」

「うん」

「良かったね、カレン。そろそろこっちにも合流できそう?」

「そうね。……でもあと二、三日欲しいかな」

「分かった。焦らなくても大丈夫だよ」

 そうこうしている間も、カレンさんの手は止まらない。テキパキと動かし続ける。

「できた! もう動いて良いよ! あとは軽く手直しするだけ」

「ありがとな、カレン。――ごめん。お前の負担ばかり大きくして……」

 ルークがうつむき加減に言う。相当、罪悪感を感じているらしい。その様子に、カレンさんは首を勢いよく横に振った。

「そんな、気にしないで。本部かお母さんに頼めばよかったのを、自分からやりたいって言ったんだもん!」

 でも……、と口を開きかけたルークの背を押して、再び部屋から追い出す。

「ほら、さっさと元の着替えた! 着替えた! 会議の時間なくなっちゃうよ! セーラちゃんも」

「う、うん!」

 またしても追い立てられて、私も部屋を出た。なんだか、一気に慌ただしい。

 それが可笑しくて。

 気が付いたら、ルークと顔を見合わせて、笑いあっていた。

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