第38話
※
ぼくは優衣がはねられた公園に供えてあった、花のことを思い出していた。優衣が逝ってしまったあと、いつからか供えられ始めた、瓶に挿された数輪の花のことを。気持ちは嬉しかったけど、ぼくはその花を見る度に、辛い気持ちになった。どうせしばらくしたら、枯れてしまったり、撤去されてしまうだろうと思っていたからだ。でも予想に反し、その花は存在し続けた。ここへ来る前にも見たのだけれど、きちんと水が替えられた形跡があったことを覚えている。つまりそう、おそらくはどこかの誰かではなく、麻凪が供えていたに違いない。一年以上過ぎた頃、ようやくそのことに気が付いた。なぜなら血の繋がりのない人間が、そこまでするはずがないからだ。──ぼくが死んでも、麻凪は同じように、花を供えてくれるだろうか? そしてそれはいつまで続けられるのだろうか? そんなことを考えるでもなく考えながら、病院の自動ドアをくぐり抜けると、ロビーの向こう側から、ちょうどこっちに向かって歩いて来る、南子姉さんの姿が見えた。
「どう? 三太君の状態は」
ぼくの前で立ち止まった南子姉さんは、何も答えなかった。その顔は必死で涙を堪えているように見えた。絶望的な気持ちになりながらぼくは訊ねる。「みっちゃん、ひょっとして──」
「大丈夫よ。脳にも体にも、なんにも異常はないって。ちゃんと意識もあるし。今は眠っとるけど」
「そうなの?」
「大事をとって今日は入院させるけど、明日には退院できるって」
「それならよかった。でも、だったらどうして……」
どうして泣きそうなの?
言いかけてやめたぼくの言葉を引き継いで姉さんが言った。「だってさ、だってさ竺……」
「どう、したの?」
「あの子がね、しゃべったんよ」
「ほんとに?」
姉さんが涙ぐみながらこっくりと頷いた。その姿が一瞬、いつかの三太君と重なって見えた。
「それで、なんて?」
ぼくが訊くと、姉さんは少しだけ笑った。「ママ、おなかへったー、って」
思わずぼくも笑った。「そうなんだ」
「そうなんよ」
姉さんがぼくの肩に寄りかかり、声を押し殺して泣き始めた。リノリウムの床にその声がしとしととこぼれ落ちる。つられてぼくも泣いてしまいそうになったけれど、なんとか堪えることができた──姉さんが顔を上げ、持っていた何かを差し出した。
「何?」
「三太がこれ、あんたにって」
「これって……」
それはトイレへ行きたいときに鳴らすようぼくが持たせてやった、水中に沈んだ奄美大島のような形をしている、おもちゃのボイスレコーダーだった。
ハンドタオルで涙を拭いながら姉さんが言った。「ちょっとボタン押してみんさい」
受け取ると、ぼくはボイスレコーダーのスイッチを押した。ザーッというノイズ越しに、初めて聞く三太君の小さな怒鳴り声が、病院のロビーに響き渡った。
「ジクじい! たすけてくれて、ありがとね!」
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