第22話
※ ※ ※
スナックを出ると、ぼくは三太君と姉さんを伯母さんの店まで送り、車を止めている駐車場に向かった。姉さんはぼくがホテルに泊まっていると思い込んでいるようだったから、それっぽい感じにふるまった。まもなくして駐車場にたどり着くと、車内に乗り込んでからシートを倒し、ある実験を試むべく、瞑想に取り掛かり始める。『彼女の死』を信じ切っていない今のぼくになら、きっと成功するはずだった。
成功?
今からやろうとしていることを、まるでどうかすればできるように考えている自分を、思わずくっと鼻先で笑った。麻凪にあんな風に文句を言っておきながら、自分が一番非現実的なことを考えているじゃないか。──でも、とぼくは自らに言い聞かせる。でもぼくは、このことを誰にも言う気はないし、たとえできたとしても、何かに利用するつもりなんてない。ましてや金儲けなんてそんなこと。だからぼくは捻れた野心を持つあんな連中なんかとは違う、絶対に違うんだ。
おい竺、それは本当か?
唐突に疑問符のハンマーがぼくの頭を殴りつける。
お前が忌み嫌う人間も愛する人間も、所詮はみんな人間だ。なんだかんだ言ってみても、結局は自分のことしか考えていない、自分のことしか考えることのできない、結局はただの人間なんだ。なのになぜお前はそんなにも、簡単に他人を責めることができるんだ? 法律やモラルや、一般常識を味方につけているからか? 自分が我慢しているからか? だとしたら、一体何をどう我慢しているっていうのだ? なぜ自分のそれが、他人のものよりも高級なんだと断言することができるのだ? そもそも一般常識ってなんだ? 法律やモラルは、一体なんのために存在する? 本当はみんな同じように、正しい存在なんじゃないのか? 本当はみんな同じように、不幸で、間違った存在だったりするんじゃないのか? だからこそ人間には、常識やモラルや法律が必要なんじゃないのか? 誰かを罰するためじゃなく、誰かとの関係をより良好なものとして保たせるために──そう、きっとその通りなんだろう。そして誰かと争ったりしている暇なんて、ぼくたちにはないのだろう。なぜならぼくたちに与えられた時間は、限られているからだ。だから誰かと争い合ったりなんかせずに、互いに背中合わせで、それぞれの方角を見るべきなんだ。お互いの違いを、ただあるがままに認め合い、そして許し合って、それぞれの幸せを、ただただ一所懸命に求めればそれでいい話なのだ──でも、でも、でもでもでもでもでも──身体が言うことを聞いてくれないのが、現実だった。感情を制御することができないのが、紛れもない現実だった。人は人を変えられると南子姉さんは言ったけれど、どうやらぼくには、自分自身さえも変えることができそうにない。ぼくにとってどうすることもできない考えが、ずっしりと背中にのしかかってくる。皆が皆幸せになるには、あまりにも人生は短く、そして世界は狭すぎるのだからという
──いつしかぼくは、暗闇の中に立ちつくしている。
眠っている優衣を腕に抱きかかえながら。
一体ここはどこなんだろう?
直後に稲妻が閃いて、辺りを数瞬真昼のようにまぶしく照らす。
そうしてぼくは、自分が小さなボートの上に立っていることを知った。
辺り一体を枯れてしまったマングローブの林に囲まれた、黒い泥の上に浮かんでいる、木製の古いボートの上に。
優衣とぼくの他には誰もいない。
そこではすべてが死に絶えている。
何も生まれてこなかったようにも見える。
言いようのない恐怖が全身を捉える。
片膝を付き、優衣を抱く腕に力を込める。
やがてとどろき始めた雷鳴と共に、再度稲妻が閃いた。
と同時にどこからか現れた、戦闘機ほども大きさのある、ハブ顏で紅眼の奇妙な黒鳥が、水平に広げた両翼で容赦なく木々をなぎ倒しながら猛スピードですぐ上空を飛び去って行く。暴力的な羽音が闇の中に響き渡る。泥の破片が肌を叩きつける。シャツの背中が膨らんで、風が重力を奪おうとする。ぼくは腕の中の優衣を守ろうと、とっさに船底に身をかがめたけれど、無残にもボートは転覆し、気が付けば、ちょうど投げられた小石のように、泥の水面に何度も何度も身体を打ち付けられながら、黒鳥の二本の足に掴まれて、一直線に遠ざかってゆく優衣に向かって大声で叫び、両手を伸ばしている──
「『優衣っ!』」
怒鳴り声と共に目が覚めた。夢だったことに安堵しながらふっと視線をずらしてみると、ぼくの膝には、赤白のボーダーTシャツを着ているてんなちゃんがまたがっていて、ぼくの腹部に両手をついて、にっかりと笑っていた。
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