第5話

 ※ ※ ※


 フロントガラスのずっと向こう側には、三十日以内なら返品できそうなほどの真新しい青空が貼り付いている。そしてその手前には、まんま彩色前のズゴックみたいな真っ白い入道雲。にしてもどうしておれは、あんなにも船で行きたいなんて思ってしまったんだろう。送料無料の果てしない青空と、つたないガンプラ雲を視界の端に捉えながら、ぼくは直線状に伸びる国道58号線を、名瀬市街へと向けて車を走らせていた。


 にしても、どうしておれはあんなにも船で行きたいなんて思ってしまったんだろう。出港してからいくらもたたないうちに始まった強烈な船酔いのせいで、景色を楽しむことなんてまったくできなかったし、終始吐き気はするし、めまいもするし、食欲も出ないし。せめてビールだけでもと思ったら、たまたま並べられたばかりのものだったらしく全然冷えてないし、余計に気分が悪くなってしまったし、おまけに船員がうっかりエアコンを入れ忘れていて(!)、夜通し暑くてろくに眠ることができなかったし。そして何よりも、たとえ一人ででも船で行くからと言い張って、一人で船旅をしたことによって麻凪をかなり不機嫌にさせてしまったし──こんなことなら、やっぱり飛行機で来るんだったよ、と心からぼくは思った。何一ついいことなんてなかったのだから。

 そんな自分にほとほと嫌気がさして、おれは馬鹿だよ、とフロントガラスに向かってぼくは言った。けれど気分は一つもすっきりとしなかった。そこで今度は、同じ言葉をシャウト気味と言うよりは、もう完全にシャウトしてみた、次の瞬間だった。一つ前で信号待ちをしていたオープンカーの後部座席に座る女が、ちらりと後ろを振り向いた。まさかと思って確かめてみると、サンルーフはちゃんと閉まっていたけれど、後部座席の右側の窓が全開だった。なるほど、どうりで冷房があまり効いていなかったというわけだ。一瞬レンタカー屋にクレームでも入れてやろうかと思ったものの、さっきいろいろとボタンを確かめているうちに、自分で開けてしまったということにはたと気が付いて、愕然となった。ったく、わざわざ奄美くんだりにやって来てまで馬鹿をアピールなんかして、一体何をやっているんだよおれは……。もうこうなったら麻凪に電話して、何もかもおれが悪かったよ、ごめん! と謝ってしまいたい衝動にかられたけれど、無駄なプライドが邪魔をしてしまい、結局そうすることができなかった。


 名瀬市街に入った直後に、ホテルのチェックインの時間が午後四時からだったということをあっと思い出した。考えてみれば、麻凪もそのことを知っているはずだった。それなのに何が、先にチェックインしといてくれる? だよ。突如として込み上げてきた怒りをなんとかやり過ごしながら腕時計を見ると、まだ昼の十二時をようやく過ぎたところだった。それで危うく怒りが爆発してしまいそうになったけれど、実際は麻凪だって単にうっかりしていたに過ぎないということはちゃんとわかっていたから、どうにかそれもやり過ごし、時間まで一人で観光するのもなんだかなあという感じだったから、ここは無難に映画でも観ることにしようと、街の適当な駐車場に車を入れたのちに、映画館を探した。

 運よく映画館にはすぐにたどり着くことができたのだけど、残念ながら、観たいと思える作品が上映されていなかった。と見ると、近くにパチンコ屋の看板が見えたから、よし、たまにはいっちょうやってみるか、という軽い気持ちで自動ドアをくぐり抜け、騒音と煙草の臭いまみれの店内へと踏み込んだ。

 勝つことよりも時間つぶしの方が目的だったから、三千円くらい負ける覚悟で入ったのだけど、ものの十五分もしないうちに、するっと一万円飲まれてしまった。少しむきになってもう一万円打ってみたら、それもまた同じようにするっと飲まれるのか、と思いきや、なぜか最後の五百円で、魚の群れと水着の美女が二人も登場する大袈裟なリーチが三度も続いた。とそうなるともう映画どころではなくなって、少しでもいいから取り戻そうともう一万円打ってみたのだけど、それもまたするっと飲まれてしまい、ムキになってもう三万円打った。当然のごとくそれも全部するっと飲まれてしまった。

 結局閉店ぎりぎりまでねばって半額の三万円(!)は取り戻したものの、残りの三万円は、奄美大島の海のもくずとなって消えてしまった。こんなことなら麻凪に何か買ってやるんだったよ、とまずしなかったであろうことを半ば真剣に思いながら、うなだれてパチンコ屋をあとにした。

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