第2話 必然の出会い
僕は今、保健室のパイプベッドに足をゆらゆらと揺らしながら座っている。足がズキズキと痛い。あの時の傷口がパカッと開いて赤い血が膝下まで流れ出ていた。
「…須藤さんったらしっかりしないと駄目よ。また怪我しただなんて…落ち着きがないんだから。まぁこれくらいの擦り傷だったら絆創膏貼っとけば大丈夫よ。はい、どうぞ」
「あぁ。先生悪ぃ、悪ぃ」
保健室の先生はコーヒーを片手にし机の上に置かれていた絆創膏を僕に手渡した。
「…次のニュースです。この世界を巻き込んだ亜人連合による悪質な事件は無事解決し、新体制となった統合政府は最高顧問にレオン・ツェラー氏を迎え…」
カーテンの隙間から差し込む夕日に照らされたテレビから夕方5時のニュースが流れ出ていた。テレビの液晶がそこだけ曇ったようにぼやけていて何のニュースかはよく分からない。
この時点で放課後を合図するドヴォルザークの『ユーモレスク第7番』が鳴り終わってから30分は経っていた。オレンジ色に染まった廊下には僕以外誰もいない。
5-1、階段を上がって6-1、6-2、どの教室をガラス越しから見てもランドセルは1つも残っていない。
外はひぐらしの鳴き声が響いていた。セミばかりよく言われるが、ひぐらしも成虫になると1ヶ月やそこらでコロっと死んでしまう。そう、彼らは人生の36分の1の時間しか光を見れないと昔図鑑で読んだ事があった。その当時は可愛そうだと同情したが、歳を重ねていくごとにそれが自然の摂理だと妙に納得していたのを思い出した。
―――――僕も明日頃には死んでるのかもな。
そして、一番奥の6-3教室へ戻り僕は机の上に雑に放り投げられた青がかった紺色のランドセルを背負った。すると、今さっき通ってきた廊下の方から硬い上履きの足音が聞こえてきた。
―――――――カツカツッ…カツカツッ…。
次第に音は大きくなり、こちらに近づいてくる。恐らくこの軽い上履きの音は大人のそれじゃない。この階層には教室しかないはずだし、今通ってきた時には誰もいなかったはずだ。妄想癖のある僕特有の考え過ぎかもしれないが、得体のしれない謎の恐怖に煽られた。
もう、すぐそこまで来ている。そして足音がこの教室の手前で止まると、僕は勢いよく”いっせーので”で振り返った。だが、そこにいたのは悪魔でもドッペルゲンガーでも幽霊でもない。ポツンと立っていたのはユウだった。
「な、なんだユウか。ビックリさせるなよ」
震えた声を出したが、深く考えると不思議だった。どこにそんな怖がる必要性がある。不安に駆られていた数秒前の僕は馬鹿らしかった。
しかし、そう自分に言い聞かせても何故か胸の鼓動は止まらない。これから恐ろしい事が起こるような気がして胸がざわざわする。ユウは下をうつむいたまま言葉を発しようとしない。
「ユウ、どうしたんだよ?」
そう聞き返すとユウは答えた。
「俺はもう木場ユウじゃない」
何言っているんだこいつは。元々何本か外れているネジが一気に10本ぐらい外れたんだろうか。
「はぁ?何言ってんだよユウ。ユウはユウだろ?」
そうフォローしたが彼は黙ったままだ。ユウが何をしたいのか意図が全く読めないし、彼の作った気まずい空気がこの教室に流れる。
「悪いけどもう帰るよ。じゃあな」
僕は素っ気ない態度で教室を後にしたが、廊下を歩く僕をユウは変わらず幽霊みたいに無言を貫いて見ていた。
気味悪い。
最近よく流れているアイスのコマーシャルの鼻歌を歌いながら廊下を曲がったその瞬間、先程まで僕の耳に響いていたひぐらしの鳴き声が突然止んだ。
「――――今日未明、ロサンゼルス行き旅客機が突然墜落しました。そしてつい先程乗客253名全員死亡が確認されました。原因については現在調査中ですが…」
そのころ僕は冷たい夜風に吹かれていた。
※ ※
「…さん。須藤さん大丈夫?」
ボンヤリとした意識に駆られ、横から聞き覚えのある声がした。目を開くと横に並ぶ2つのベッドに4時50分を指す壁掛け時計、授業はもう終わっている時間だ。それと、保健室特有のツンとくる薬臭い匂いがした。
声が聞こえた方向へ振り返ると担任の永田先生が心配そうな顔で僕を見つめていた。先生とは、クラス替えをする前の3年の頃からの付き合いで、優しいし子供想いだけどおっちょこちょいで目を離せない先生だ。それはいつも変わらない。
「…なんだ。今の、夢か」
変な夢だ。だが、夢の中ではあったフワフワとした恐怖心も今では嘘だったかの様にすっかり取れていた。
「あぁ…良かった。倒れて目を覚まさなかったので心配したのよ。今日は保険の先生もいないから私が看てたんだけどね」
「せ、先生。ありがとうございます。僕は一体…」
そう言ってベッドからピョンと起き上がってみると昼頃の気怠さはスッカリ無くなって気分爽快だった。
「春先とはいえ最近は暑い日も多いし熱中症じゃないかなーって先生は思うのだけど…。しっかり水分は補給しないと駄目よ」
「は、はい」
そうか。昼間ユウを庇ったあと、まったく記憶がない。夕方になるまでずっと気を失って寝ていたのか。
言いたい事、聞きたい事は山ほどあった。 おっとりした優しい口調で永田先生はそう説明てくれたが、水分補給はまめに取ってるし、僕自身あれが熱中症の症状だとは思えなかった。それにあの声は一体何なんだろうか。
でも、あの時は頭の中が一杯一杯になっていたから聞き間違いだったかもしれない。耳鳴りが人間の声に聞こえただけだったのかもしれない。頭の片隅にはあの空から降ってきた物体は異次元からやってきただとか、宇宙で行っているエイリアンの実験の失敗作だとか考えれば考えるほど高揚感が増してきた。 しかし、単純に僕はこの事について考えても疑問が疑問を呼んで終わりだと確信した。 この現象の非日常性に対する好奇心は湧いたが、今僕の体に異常が無いのなら何の問題もない。
でも、どうせ気分が悪くなってただ”くらっと”しただけなんだろうな。
毎回こうだ。小さい事で非日常感に浸るも後から考えれてみれば現実的でしょうもない誰にでも起こりうる出来事だったなんて。
本当は気づいているんだ。
――――――僕は特別な人間じゃないって。
「ああ。あと須藤さん、ここまでは木場君が運んでくれたのよ」
「え!?ユウが!?」
なんだかネガティブな気になっていた僕はその言葉を聞いて気が吹っ飛ぶほど拍子抜けた。アイツは見ないふりしてどっか行っちまうタイプだと思ったから、嫌いな僕のことなんか知らないフリするだろうって勝手に思っていた。それにしたって直前に結構どぎつい事を言ってしまった。見捨てたって当然だろう。なのに、助けてくれたのか。意外だ。
「今さっきも授業が終わった後に貴方の事を心配したんでしょうね。様子を見に来てましたよ」
「…そうですか」
永田先生のその言葉で僕はユウの本当の姿が分かったような気がした。ただ、仲間作りがちょっと下手なだけなんだ。素は心優しい人間なんだろう。
そんな事を思いながら紺色のランドセルをよいしょと背負った。僕が常に付けているお気に入りのゴーグルも夕日に照らされて熱く、夕方なのに誰もいない住宅街を1人手ぶらで歩いた。十字路のカーブミラーには小さく歩く僕の姿、揺れる電柱の上には烏が3、4羽止まっていた。
――――――お前なんか独りになってしまえ。
僕を煽るかの様にガーガーと鳴いていた。 酷い事を言ってしまった。明日学校に来てユウに謝れば許してくれるのだろうか。どうやって謝ればいいのだろうか、どんな顔をすればいいのか、繰り返し繰り返し頭の中でイメージした。そんなどうなっているのか保証もできない明日のことを頭の中で復唱しながらゆっくりと歩いていた。外の情報をシャットアウトして明日のことをずっと考えていた。
「ん?」
すると突然、2丁目の住宅街の角を曲がった横断歩道あたりで本能的に危険を察知した。大型のバイク特有のブルウウウンブウウウンというエンジン音が止まる気配なく横からやってくる。
「うわああああああっ!」
キキイイイという今までに聞いたことがない程に大きい急ブレーキ音が僕の鼓膜を突き破って響いてきた。
「―――危ないっ!」
続いてバイクから若い男の張った声が聞こえてきたが、僕がそっちの方向を見る頃にはもう間に合わなかった。
―――――――このまま轢かれて死んでしまう!
恐ろしくなった僕は足がすくんでしまい反射的に尻もちをついた。死を覚悟し必死の想いで目を瞑ると、後ろからガッシャアアアアアンという大きい衝突音が聞こえた。
「ごめんよ、大丈夫だったか?」
しばらくして恐る恐る目を開けると差し出す手が目の前に見えた。僕が生きている。この手は大声を出していた運転手だろうか。 そうだ、僕は抱え込んだ頭を上げ辺りを見た。怪我一つない僕と先程の凄まじい音で察しはついていた。横たわった彼のバイクと大きく反れた急ブレーキ跡、それを見るやいなや申し訳無さで一目散に立ち上がった。
「ぼ、僕の方こそごめんなさい!僕が不注意だったせいであなたとあなたのバイクがっ!」
流れ出た冷や汗と、どんどん早くなっていく心拍音のせいでぶつかった相手の顔をマジマジとだなんて見れなかった。
「大丈夫だよ。不注意だったのは俺もそうだし俺もバイクも壊れてはないよ。ごめんねビックリさせてしまって…。何より君に怪我が無くて良かった」
こういう時って「危ねえじゃねえかクソガキが!弁償しろ!」とか激怒されても文句は言えないんじゃないだろうか。子供とはいえ初めて会った僕の事を心配するだなんて、ほんわかした見た目通り良い人だ。事故を起こしてしまった後ろめたさはありつつも、その言葉を聞くと少し安堵した。
「俺は乙神レイ。よろしく。ここらで警察官をやってるんだ」
警察か。だからか、体格はしっかりしていて、顔こそ女子にモテそうな優男だがなよなよしいという印象はあまりない。僕に差し出した手も大きく、骨格はゴツゴツとしていた。それにしても乙神なんてここらじゃ耳にしたことがない珍しい名字だ。もしや名家の跡取りだったりして、なんてことが頭をよぎったがそんなんだったら儲からない警察なんてやってないか。
年齢は20代中盤ぐらいだろう。顔つきこそ眉目秀麗の好青年。爽やかなショートヘアーの黒髪にワインレッドの澄んだ瞳の東洋顔の男性。服装は、古着が好きなのか、流行遅れの渋い色褪せたデニムオンデニムファッションだった。
でも、なぜだろう。若々しいルックスなのに彼から20代とは思えないほど機敏で世慣れしている印象を受けた。
「君は?」
「ぼ、僕ですか!?僕はえっと…須藤ミナトって言います!小学6年生で、その、小学生やってます!じゃなくて。あー…」
自己紹介をしようにも、こうも慣れない年上相手だと緊張してしまい言葉に詰まってしまう。
「アハハハ、面白いね君」
ニコニコと口に手を当て女性の様な穏やかな表情で彼は笑った。ふいに僕からも笑いが溢れた。彼はもういい年した大人なんだろうけど、子供みたいな面もあって砕けた会話が出来る気がする。そんな和やかな空気が僕たちの間に流れていると、プルルルルと彼の携帯電話が鳴った。
「もしもし、はい。課長お疲れさまです。はい。…はい。―――なんですって!?はい…。すぐ向かいます」
「どうかしたんですか?」
「木場ユウ…」
乙神さんの口から思いもよらない単語が耳に入ってきた。急に心臓がバクバクし、嫌な予感がする。
警察官の口からユウの名前が出てくるなんて、もしかしてユウ何か悪さを…。
――――――いや、違うだろ!
これが聞き間違えではないのなら、もしかしたらユウに何かしらの危機が迫っているのではないかと察知した。
「ユ、ユウがどうかしたんですか!?」
「君!知っているの!?もしかして友達なのか!?実は、駅近くで最近巷を騒がせている例のアンドロイドが暴走して…。その子が捕まっているって…」
「…え。そんな…」
ユウにもし何かあったら、僕とユウの思い出って喧嘩したのが最後になっちゃうのか。
ユウに「ありがとう」と「ごめん」って言葉を伝えられないまま終わっちゃうのか。
そんなの嫌だ!
「あ、あの!乙神さんこれからそこに行くんですよね。僕も付いて行っていいですか!?」
何故か考えてもないのに、こんな言葉がスッと口から出た。
「駄目に決まっているだろう!危険だ!警察の俺がなんとかするから君は大丈夫だ」
本気で言っているのか?という表情とともに彼は僕に問い詰めた。安堵させる言葉選びも巧みであったが、何故か僕の心のモヤモヤは晴れない。僕だって頭の中で色々考えた。仮に付いて行ったとしても迷惑になるだけ、はっきり言って足手まといだ。付いていきたい理由だって僕個人の問題だし、今日の昼あんな言葉を投げかけてしまったユウに対する罪滅ぼし目的でしかない。
だけど、考えてたって意味はない。このまま引き下がったら後悔する気がする。
「お願いします!僕の大切な友達なんですっ!」
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