エピローグ

エピローグ



 「本郷巡査が魔法連盟京都支局長と協力し、市木と悪魔の契約を解消させ、出頭させた」。


 早期撤退により人的損害を免れたSATともども、東京に呼び戻された藤川管理官に入ったのは耳を疑う報告だった。


 こちらを出し抜いてよくもぬけぬけと!

 命令違反の本郷を更迭しろ!


 そう叫ぶ彼の肩を叩いたのは、警視庁警務部トップの部長、警視監だった。


「まあ、何かな。ちょっと気になる噂を聞いてな。悪いが話聞かせてもらってもいいか?」


 ノーとは絶対に言えない言葉。

 そして連れられる取調室。


 警官がそこに通されるということは、不正をおこなった証拠がすべて固まり、あとは尋問の上で調書がとられるだけを意味する。


 全てを悟った藤川は、へなへなと腰を抜かした。





                 *





 神奇的生物集団日本支社のトップの男は、ここ数日連絡が全く途絶えた部下の動向にやきもきしていた。


 京都で泥を塗ってくれたSK商会の足跡は依然として掴めず、種の行方もようとして知れず。

 追加で派遣した部下たちも一向に帰ってこない。


 一体何があったのか。

 さっさとカタをつけないと、本社から「もう要らない」と言われるのに。


 一睡もできず、痛む胃を抱え、男は今日も東京で部下からの連絡を待っていた。


 電話が鳴る。

 京都でなく中国から。


『你好。親切心から通知したいことがある』

「ボス、申し訳ありませんすぐにカタをつけます、もうしばらくお時間を!」


 帰ってきたのは、訝しむ声だった。


『ボス? 一体なんのことかね? 私は君との雇用関係をとっくに終わらせているが』

「……え?」


 男の喉から頓狂な声が上がった。


『今回の件で君が可哀想な立場であることはまあ私もわかってるんだがね。流石に相手が悪すぎた。だから同情がてらこうして電話をしてるわけだ』

「すみませんよくわかっていないのですが、一体どういう……」


『君の部下がよくわからん商品を勝手に追いかけて、売人だと思い、手を出した相手は魔法連盟の支局長だ。その件で向こうさんも大変ご立腹だ。ほら、君も彼らの執念深さはよく知ってるだろ? 彼らとて面子が大事な仕事だ、舐めたことをした奴は地獄の果てまで追い詰めて地下監獄に放り込む。ま、我々よりも遥かにヤクザな連中だな』


 電話の主は『合法的なヤクザほど厄介なものはないよ』と笑う。


『で、君の部下がやったことの責任を問うべく、魔法連盟東京支局の兵隊がまもなくそっちへ行く。だが君がいるそこは我々本社が一ヶ月前に売却した店だし、なんなら君もその時退職して自営業を始めた人間だ。本社と君たちはなんの関係もない。わかるね?』


 そこまで言われれば、元日本支社トップの男も理解できた。

 中国本社と魔法連盟が裏で握り、自分は尻尾切りにあったのだ。


 まるで見計らったかのように、ドンドンドンと扉が打ち鳴らされる。


『要らぬ助言だと思うがね、絶対に抵抗しないほうがいい。逃げても、文字通りまで追いかけてくる。それじゃあもう君と会うことはないが、幾久しく健やかに。別了』


 男の震える手から電話がこぼれ落ちた。





                 *





 僕は久しぶりに袖を通した制服を翻し、リノリウムの階段を登る。


 朝早くからなんでこんなことをしているのか。

 何回目とも知れない自問が頭に浮かぶ。


 朝の賑やかさに包まれる教室の引き戸を開き、僕は今年初めて自分の教室を訪れた。

 僕の姿を見た初対面のクラスメイトの間で、囁きが広がっていく。



「え、誰あの美少女? 誰かに用事?」

「髪長いけどズボン履いてる、そういう性別の人?」

「いや誰だよあいつ。ウチのガッコにいたっけ? 誰か話しかけてみろよ」



 無遠慮なヒソヒソ話は存外本人の耳にも明瞭に届くものだと思いながら、僕は近くにいた大人しそうな眼鏡女子に話しかける。


「ねえ。不登校のやつの席ってどこ?」

「え? あ、えっとその、そこの一番後ろの席です、けど」

「おおきに」


 隔離されたような最後尾の席にはうっすら埃が積もっていた。

 僕は埃を払うと、机に突っ伏し目を閉じた。


 疲れていた。

 怒涛のようなイベントの数々に、僕の気力はもう微塵も残っていなかった。


 一応見かけ上は対悪魔拘束手錠をかけた市木氏を連れて東京の警視庁へ行くと、潤さんの上司たる警備公安部部長への根回しのおかげで、警務部部長が事案処理を進めてくれた。


 魔法連盟東京支局とのコネもフル活用し僕は任意の聴取を最速で終わらせ、東京支局と連携し禍具捜査関連の報告書を作成した。


 東京支局に情報提供し追わせていたのは、幸福と災厄をもたらす人形『オクマサマイノセント・イービル』。

 育ちきった厄タネ、保管庫から流出した禍具の行方の情報は、四十代の角張った顔の「イケハラ」こと藤川管理官指揮下の係官が握っていた。


 僕が本郷を連れて東京から京都に帰り着いた晩。

 僕らは角張った係官と公安の尾行に異界蛸ゴジョジェを使って尋問した。「あなた方は禍具流出に関与していましたか?」と。


 トロンとした目で、係官は語った。


 自分が「イケハラ」を名乗り禍具をばら撒いていたこと。

 判明以前からの禍具横領と、今回の冤罪の作出には藤川管理官が中心にいたこと。

 藤川が、出世を求めるキャリアの先輩警官らの求めに応じて、『オクマサマ』のような験かつぎの高価なオカルトグッズを譲渡していたこと。

 それにより、自分の出世の基盤も整えていたこと。

 そして、自分達の横領をもみ消すために池原氏と市木氏に罪を被せ、「死人に口無し」と処理したがっていること。


 市木がタレ込みを受けて内部調査していると知りうるからこそ、監察の藤川らはいち早く罪をなすりつけ、口封じすべく行動できたのだ。


 引っかかっていた藤川たちの安堵の微表情の違和感もこれで解けた。

 僕が「池原が禍具の流出犯として噂されている」と言った瞬間や、市木殺害作戦の提唱時。

 彼らが見せた安堵の表情は罪のなすりつけがうまくいってることと、口封じが上手くいきそうなことに対してだったのだろう。


 係官への尋問の録画は、秘密裏に警備公安部長から警務部長に流された。

 そして、藤川が『オクマサマ』を譲渡した先輩警官・警視正の家へは、警視庁と魔法連盟東京支局の人間が訪れ、実物であることを確認した上で「藤川管理官から昇進祝いにもらった」との証言を得た。


 こうして芋づる式に、藤川らの横領・証拠捏造・職権濫用の証拠が揃った。


 この先、藤川たちに待つ未来は絶望的だ。

 懲戒免職は当然。刑事罰も課される。

 ざまあみろ。

 周辺の事情をぼかした上でプレスへ公表される処分になるため、警察内外でちょっとした騒ぎもおこるだろう。

 そして不祥事で何人もの首が飛ぶ。


 ま。

 それらはもう、東京を離れた僕にはほとんど関係ない。


 それよりも。

 諸々の政治によって潤さんへの処分は減給、池原氏は厳重注意だけで済むらしいが、市木氏ただ一人だけは自主退職という扱いになるとのこと。


 不運とはいえ、悪魔と契約して暴れ回ったのだからお咎めなしというわけにもいかなかったようだ。

 それでも刑事罰を免れただけ温情と捉えるべきか。



 今回の一件で、魔法連盟東京支局と警視庁の業務提携関係が強化されたとも聞くが、僕にお鉢が回ってこないならそれもどうだっていい。

 なおも今回の後始末への協力を求める東京支局と警視庁をどうにか振り切って京都駅にたどり着き、本部に提出する膨大な報告書を書き終えたあとの疲労たるや。

 やはり労働は神が与えたもうた人類への苦役だ。




 そういえば別れ際、潤さんが言った言葉の意味が僕にはいまいち掴めず、頭の片隅に残り続けていた。


「ところでさ。珠厨音はいつ一八歳になるんだ? ……十一ヶ月後、ふーん。じゃあまたその時は絶対会いに行くよ。誕生日、楽しみだな。その時までに私も、今よりずっと強くなっておくからな」


 どこか辺境の蛮族のような目の潤さんが誕生日になんでこだわるのか。

 解が思い浮かばないが、まあ会いに来てくれるというなら悪い気はしない。


 友情が裏切られるのは恐ろしいが、それでも僕はメフィーが言ったように、きっと根っからの寂しがり屋なのだろう。




 そんなことを考える僕を他所に、朝のざわつく教室は、来て早々一人で机に突っ伏す僕の話題で満ちていた。


 教室には人がたくさん詰めこまれてるのに、僕は相変わらず人混みのなか一人だった。





                 *





 担任以外の誰ともろくに会話しなかった僕は、夕陽を浴びながら事務所に帰る。

 軋む扉を開け、すっかり綺麗になってしまった応接室のソファに身を投げ出した。


 ふわりと、潤さんの匂いがクッションから漂う。

 部屋のあちこちに、潤さんがいた痕跡が残っていた。


 キッチンには絶対に僕が使わない調理器具が増えていた。

 茶棚には潤さん愛飲のコーヒーとプロテイン。

 洗面所のコップにはブラシが二本刺さっている。


 けれど広々とした部屋には僕以外の音がない。

 窓を開くと、五月の風が沈む夕陽とともに部屋に流れ込む。

 目を閉じれば、帰宅する中学生の足音とカラスの鳴き声。


 僕は耳をつんざく静けさに耐えられず、一階のカフェに逃げた。

 店の奥では今日もオカルトサークルが都市伝説の噂を交わしている。


 今日はトルコ料理フェアなのか。

 メニューにはケバブサンド、サバサンド、バクラヴァが並んでいる。


 僕は甘ったるいクリームを甘ったるいブラウニーで挟んだケーキと、砂糖たっぷりのターキッシュティーを頼み、窓辺で本を読む。

 しばらくすると店主がプレートを持ってきた。


 悪魔はニコニコと問うてくる。


「そういえば知ってる? トルコ人に「ティッシュくれ!」って言うと「ありがとう」って勘違いするし、「全然ねきっと」って言えば「さよなら」って聞き間違うんだよ」


 僕は、魔法連盟でのかつての仕事仲間が教えてくれたトルコ語の挨拶を思い出す。


 トルコ語での「ありがとう」は「テッシュキュルレル」なので、「ティッシュくれ」でさもありなん。

 だけど「さよなら」はたしか「ギュレギュレ」だったので、違うと思う。


 そう告げると、メフィーは「うーん、少しは騙されてよ」と二股に分かれた舌を出した。


 「全然ねきっと」は何を言いたかったのか問うと「ゼヘンネメ・ギット。『地獄に堕ちろ』だよ」とのたまう。

 別れ際、トルコ人に言ったらきっと険悪な関係になるだろう。


 要らぬ災の種を益もなくウソまみれで撒き散らす店主は、そういう悪魔なのだ。



 僕は閉店まで時間を潰し、どうでもいい人たちとどうでもいい騒音を共有する。

 事務所に戻るころには、家々からは夕飯の匂いが漂っていた。



 事務所の扉を開けると潤さんのカレーの匂いがしないだろうか。


 心のどこかで期待したが、果たして事務所には何もなかった。


 ソファに横たわり、積んでいた『動物農場』の古本を読む。

 広い部屋。

 静寂が押しつぶすように降り積もる。


 僕は無性に潤さんに会いたくなった。


 スマホが着信を告げる。


 魔法連盟東京支局からのメールだった。


 落胆しながらスマホを置く。

 その瞬間、またもスマホが震える。


 今度こそ、電話は潤さんからだった。


「……昨日お別れしたばっかりですよ。まだ一年経ってません。何か忘れ物ですか?」


 僕は弾む声を殺して問う。

 返ってきたのは息切れだった。



『すまんちょっと面倒が起こった! 公安が張ってたテロリストが関西に逃げたらしい! 京都で悪魔の逃し屋に頼んで外国に高跳びするみたいだ! 時間がない、手を貸してくれ』


 脳が理解を拒む僕へ、潤さんは『今チームで京都に向かう新幹線に乗ったとこだ! すぐそっちに着くから頼む!』と止めを刺す。


 迂遠な政治も駆け引きもなく、相変わらず強引で一直線な人だった。


 通話しながら東京支局のメールを開く。

 およそ同旨の内容と警視庁への協力要請。


 僕は労働の苦役と、潤さんとの再会を天秤にかける。


 ギリギリで後者が勝ってしまいため息がこぼれた。


「わかりました。京都駅に迎えに行きます。細かい事情を教えてください」


 僕は「そういえば潤さん鎖骨折れてるけど何で仕事してんの?」などと考えつつも、カバンにスマホと異界蛸を入れ、事務所を出る支度を始めた。





                 了

  

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