3.6 田口弘樹という男
田口弘樹は犬たちを愛していた。
生来人づきあいが苦手で、愛犬だけが友だった。
趣味で蒐集してきたオカルトグッズと犬に囲まれる生活は幸せだった。
それゆえ、老いて死期が迫る双子の犬たちを見るのは苦しかった。
どうにかして生かしてやれないか。
どうすれば自分は一人にならずに済むか。
そんな中、彼はいつも禍具を買っていたネットオークションサイトで種を見つける。
『死んだ生き物に植えれば蘇る』。
いかにも怪しげな文句だったが、藁にもすがる思いで安くない額を払って一粒買った。
死んだ鼠に試した。
頭から芽を生やした鼠は生き返り、逃げていった。
本物だと悟り、残り二粒も貯金を叩いて買った。
間も無く寿命を迎え、肉塊へと変わった愛犬へ種を植えた。
息を吹き返した愛犬。
田口は滂沱と涙をこぼした。
「死ぬまでいっしょだからな」
そう語って聞かせるも、何のことかわかっていない愛犬は首をかしげるばかりだった。
しかし安堵も束の間、異変が起こり始めた。
すでに成犬だった犬が成長し続けたのだ。
やがて首輪が合わなくなる。
そして犬たちは縛られるのを嫌がり始める。
ハスキーよりも大きくなり、部屋をめちゃくちゃにし、遠吠えを始めた頃。
ようやく田口は自分が何か人智の及ばぬ涜神的なものに手を出したことを悟った。
部屋で飼えなくなった犬を連れ、地蔵山の廃村を訪れた。
集落をさらに奥へと進み、山間の小さな廃神社で飼うことにした。
毎日、餌をやりに廃屋を訪れた。
週末は一日中、愛犬と時間を共にした。
そうする間にも犬は狼よりも大きくなり、やがて牛よりも大きくなった。
「それでも、お前たちは俺の可愛い家族だ」
体が大きくなるにつれ、餌の量も莫大になった。
「それでもお前たちは、俺の大事な家族なんだ」
ドッグフードをあまり食べなくなった。
それでも体は大きくなりつづける。
ある日。
愛犬の口元が血で汚れていることに気がついた。
廃屋の床に、獣の毛と肉が転がっていた。
いつか犬、いやもはや犬でないこれらの牙が人に及んだら。
もしも主人の自分まで噛むようになったら。
犬らを捨て置いて逃げられない、だがいつまであれを飼い続けられるか。
徐々に出口をなくしていく日々の中、田口はそれでもつぶやいた。
「……それでもお前たちは、俺の家族なんだ」
もはやどうすれば良いのかもわからず、彼は同じことを繰り返した。
*
その日も田口は仕事を終えてスーパーに寄り、安い肉とドッグフードを大量に買い込んだ。
そしてアパートから車に乗りこもうとしたとき。
「すみません、ちょっと伺ってもいいですか?」
暗がりでもわかる美少女が立っていた。
少女はどこか困った様子だった。
「行きたい場所があるんですけど、スマホの充電切れちゃって。場所教えてもらえませんか」
聞けばそこは、三ブロック先のホテルだった。
そのホテルまで行くには、田口のアパートからは歩道橋を渡るなどして、やや複雑なルートを辿らなければならない。
人間、無力感を感じているときほど「有能な自分」という自己認識を保つために、困っている他者へ必要以上に親切にふるまう傾向にある。
田口も例に漏れず車から降りて懇切丁寧に道をおしえて、自分の車で送っていこうかとまで申しでる。
さすがに断られるも渡るべき歩道橋までは十分に道案内をして別れ、ふたたび車に乗る。
後部座席のドッグフードが座席から滑り落ちるが気にせず発進する。
地蔵山の廃村を車でしばらく走り、いつも通り森の入り口で車を停めた。
山道で背負う食糧は日毎に重みを増していく。
いつまでこれが続くのか。
続けられるのか。
荒れた道を進み、山の上の廃神社に着く。
窓が砕け、壁も抜けたあばら屋だった。
「タロ、ハナ。来たぞ」
犬たちは今日も、田口を待つように広い部屋で伏していた。
ヘラジカのごとく頑健で、それでいてしなやかな体躯がそこにあった。
そして犬たちの体表を覆うように、長く茂った蔦が伸びていた。
田口は犬たちのまえにドッグフードを置く。
その上に安売りだった鶏肉ものせる。
「食べてろ」
疲れ切った田口が告げるも、犬たちは動かない。
「どうした、腹減ってないのか? 食べろって」
いつのまにか指示も聞かなくなった犬への焦りを隠しながら、強く命じる。
ハナと呼ばれた方が餌のにおいを嗅ぎ、鶏肉を一舐めする。
ようやく安堵し、持ってきていた長い鎖と革のベルトを取り出す。
勝手に出歩き人を襲わぬよう、そして人から見つからぬよう、飼い主として鎖で繋ぐつもりだった。
しかし、どうやって犬たちに首輪をつけるか思案する田口は気づいていなかった。
かつて犬だったそれらが、鎖で繋がれることが自己の生存の適応度を下げると悟っていることを。
そして、田口が自分達の首にそれをつけようとしていると理解することを。
タロと呼ばれた方が、かがむ田口に巨腕を振り上げる。
「え……?」
見上げる田口の目に映るのは、迫る巨大な爪だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます