3.5 クマハギ


 本郷が運転する真っ赤なバイクに乗って、亀岡市と南丹市の境ほどにある国道四七七号を走る。

 五月半ばの山は、頬を撫でる空気がひんやりして気持ちよかった。


 本郷の運転技術はすぐれていて、アスファルトを滑るように走り、カーブも膨らみすぎずそして大きく減速することもなくスムーズに曲がる。

 後ろに乗っていても恐怖感がない。

 本郷の引き締まった腰に手を回してエンジンの重低音を聞きながら、左手に断崖の絶景を望む道路を走る。


 ドライブを楽しむには最高の景色だ。

 しかし地元の人間はこの近辺を走るのを好まない。

 その理由は道中の嵯峨越にある。


 府道五〇号へ入ると廃村が広がる。

 人がいた痕跡を残しながらも、時間が経つに任せて朽ちていく集落。

 なまじ生活臭が漂い、いまにも錆びた家家の薄暗い角や真っ暗なトンネルから人が覗きそうなせいで、必然「出る」噂が広まる。


 府道五〇号の峠道で事故があれば「祟り」と実しやかに語られる。

 並ぶ廃屋には過去に惨殺事件があったと根も葉もない噂がたち、非業の死を遂げた住人が仲間を欲しがっているとの都市伝説が生まれる。


 廃村の真相は、過疎地域へ電気や水道のライフラインを引くコストを抑えるために都市機能を一ヶ所に集約するコンパクトシティ構想が施策なんだけれども。

 それでも人々は、府道五〇号の恐怖の物語を勝手に信じていた。

 いつだって人は、信じたいものを信じるのだ。


「クマ注意だって」


 黄色と黒の看板を尻目に、本郷は廃村内にバイクを停めた。

 昼といえど、木々が家々の上に生い茂り影を落として薄暗かった。


 山の村を歩いて回る。

 入り口周辺では、不埒で粗雑な落書きが目を引いた。

 しかし奥へ進むほどに「悪戯目的でも入りたくない」と言わんばかりに、人が踏み入った気配がなくなっていく。


 本郷が警戒しながら先陣を切るが、彼女のセンサーに引っかかるものはない。


「……こっち。まだ新しい足跡と車輪の跡がある」


 泥の上に残る跡は最近の田口のものか。どんどん山へ向かう。

 やがて車も入れない細い道となり、跡が消え分岐路に至る。


 かつては栄えていた廃村の中心から外れたところにも、まばらに家があるようだった。

 田舎によくある構造だ。


 僕は、獣のように鼻をひくつかせる本郷のあとに続く。

 しばらく歩くと僕も気づいた。


 血と、腐敗した内腑の悪臭。

 世界中で散々嗅いできた臭い。


「……今日は種がどういうふうに成長したかと、地形の把握だけでいいんだよな?」


 本郷の顎を汗がつたう。


「山は獣のテリトリーだ。敵もわからず、武器も十分でない今は、やりあいたくない」


 めざとい彼女は、木の幹に深々と刻まれた痕をみつけた。

 斜めに走る筋、剥げた樹皮、門歯の痕。

 痕跡はやや古い。


「昔。SATの訓練でレンジャーと一緒に山に入ったとき色々教わったんだが。これは、クマハギだ。樹皮を剥いで樹から糖分を摂取するためにクマがやるやつだ」


 銃弾すら阻む生木の硬いセルロースへ深々と刻まれた爪の痕。


 そしてここは獣の領分。

 獣が地形を知り尽くし、こちらが気づくよりも先に臭いを嗅ぎとり、音を殺して忍び寄る世界。

 木の根と灌木に足を取られる地形ゆえ、人の機動力などたかが知れる。

 よほどの武器がなければ人は無力だ。


「珠厨音は私が守る……けど、万一のときは魔法も頼む」


 研ぎ澄まされた本郷の声に、僕は顔をしかめる。

 胃が重かった。


「脅威は魔法生物のみならずクマもですか。嫌なものだ」

「……もしかしたらもっとシンプルかもしらん」


 本郷が顎でしゃくる。

 半分土がかけられ雑に隠された、茶色と赤黒が入り混じるそれには蝿が集っていた。


 流石に僕でもわかる。

 クマの死骸だ。


 内臓から真っ先にほじられ、食われている。

 こんな日本の森で、クマを狩る生き物などそうそういるはずがない。

 僕らが追う獲物魔法生物は、いまや森でクマを狩るまでに生い立ったということだ。


 そしてそれが人里のすぐ近くの森で成長を続けている。

 蝿をかきわけ歯型を探り、地面にのこされた糞と足跡を調べる本郷は、修羅のごとく凄絶だった。


「珠厨音、いったん帰るぞ。武器がいる。それも大型獣を狩れるやつだ」





               *





 生きた心地もしないまま、僕らは廃村をバイクで抜け出す。

 府道を越え、京都市の事務所へ戻る。

 僕はその日初めて、本郷を禍具保管庫に招き入れた。


 棚から一本の猟銃を引き出し、本郷へ渡す。


「……――乙三種禍具『自他害猟銃権三フェアリー・キラー・ゴンゾ』。腕利きのマタギが愛用していた銃です。森で神の使いの獣を撃ち殺したために、霊験とともに呪詛を得ました。以来持ち主を自殺させる禍具となっていますが、潤さんにはそんなものは効かないでしょう。神獣殺しの銃ゆえ、魔法生物へ無類の威力を誇ります」


 本郷はボルトを引き、弾が入っていないことを確認。そして銃口管理をしながら構える。

 照準を確かめ、指の中ほどを引き金にかけて、トリガーの重みを味わう。


 続けて僕は小箱を開ける。


「同じく、乙三種禍具『紐解きリッパーアンドゥ・セサミ』。本来の用法は、混線して解けなくなった呪詛の解呪です。ですが「ほどく」概念は生き物に混ざった禍具にも及び、強制的に分離させます。屍体に禍具を混ぜて作る『生ひ立つ神』にも有効であることは実証済みです。コレを加工して弾頭に用います。方方へ無理を言って取り寄せたので、弾にできるのはこの五つしかありません。大事に撃ってください」


 峻厳な顔で本郷が頷いた。


「君との約束通り、前線には私が立つ。だがいざという時のサポートは任せたぞ、相棒」


 これから死地に向かう兵士のように、本郷は僕を固く抱きしめた。

 僕は胃痛に泣きたくなってきた。



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