1.2 こん田舎者のダボカスが



 オカルトサークルの大学生たちがやれバイトだと解散し、店は僕だけになった。


 九時の閉店まで窓際の席でダラダラとスマホをいじっていたが、「そろそろ帰ってくれる?」という店主からの無言の圧に追い出される。



 外に出ると、四月末の涼やかな空気が僕を包む。

 春を迎えたとはいえ、夜はまだ上に一枚羽織らなければ肌寒かった。


 カフェの横の錆びた細い階段をのぼり、町を見下ろす。

 夕飯時も過ぎ、家々はそろそろまどろみに入る頃合。


 時折どこかの家の開いた窓からテレビの音が聞こえる。

 そうした人々の営みがすぐ隣にあるのに、はるか遠くに聞こえるいつも通りの夜。

 僕はひとり目を閉じて、遠くの家の団欒の様子を思う。


 やがてそれにも飽きて、二階の事務所のボロい扉に鍵を挿す。

 そしてたてつけの悪い扉から滑り入り、閉めようとしたその時。

 不意にさしいれられた手が閉まる扉を阻んだ。


 拳ダコのある指だった。

 その指は僕の腕力など歯牙にもかけず、軋み嫌がる扉もなんのそのに引き開ける。




「やあ、また会ったねお嬢さん!」




 昼間のスーツのイケメンもとい女性が微笑んでいた。

 僕もやけくそに微笑んだ。


「……あらぁ、おばんどす」

「ははっ、それこんばんはって意味かい? とりあえず御用があるから入っていいかな」


 強い圧。

 頷くしかない。


 そうして僕は軋む廊下を抜けて、応接室のヘタった長椅子にスーツの女性を座らせた。


 冷蔵庫からペットボトルをとり、客人へ水を出そうとしたところで来客用のコップが見当たらないことに気づく。


 手が届く給湯用の流しにあるのは僕の湯呑みだけ。

 来客用の食器が入った戸棚までの道は、段ボールとゴミ袋ですっかり塞がれていることにようやく気付く。


 いつの間にこうなったのだろう?

 何もしてないのに部屋が散らかってる。


 拳ダコの女性は足の踏み場もなくなっていた事務所内を興味津々と見わたしていた。

 僕は来客用のコップを諦め、ペットボトルごと水をさしだす。


「へえ。魔法連盟京都支局の事務所って聞いていたから、どんなところかと思ってたけど。意外と平凡なんだね。もっとこう、怪しげな魔法陣とか薬瓶が並んでるってイメージしてたから」


 見渡す女性はそう言って、豪快にペットボトルで水を飲んだ。


「それで、どちらさんかまだ伺ってへんねですけど。お師匠様にどないな御用どす?」


 僕は平静をよそおい問いかける。女性は怪訝に首をひねった。


「あ、やっぱり君が事務所の責任者じゃない? そういえば確かに京都市局の支局長の鷺ノ宮珠厨音サギノミヤスズネ氏は男性って言ってたしな……自己紹介が遅れてすまないね。私は警視庁から来た本郷潤っていいます」


 そう言って、本郷と名乗った女性は右手を出す。

 僕は差し出される手を無視して首を傾げてみせる。


「警視庁って、東京の警察さんどすか。そらまた遠いところからようお上りなさりましたね。それでわざわざ京都まで、京都府警やあらへん五課の方が、ウチのお師匠様に何のご用で?」


 僕はにこやかにカマをかける。


 僕の問いに答えていいか逡巡する本郷は、僕が自然に外挿した『第五課』を否定するのを忘れている。

 応答を考える様が芝居でないなら、警察の中でも禍具マガツグと悪魔関係を担当する公安第五課の人間でアタリだ。


 すでに始まっている腹の探り合いに気づかぬまま、本郷は意を決し口を開く。


「東京とかかわる禍具が京都で取引されてるようで。情報収集と禍具回収をしなきゃならないんだ。だから対悪魔・禍具対策が専門の魔法連盟京都支局へ、日本国の警察との協定にもとづき協力を要請しに来たんだ。その旨を貴女のお師匠さまの、鷺ノ宮支局長へおとりつぎしてもらえないかな?」


 本郷がそう説明する間も、僕は彼女がウソを言ってないか様子を観察していた。


「お伝えはしますが、ぼ……ウチまだ本郷はんが本物の警察か確認しとりゃせんので現状何も確約はできまへん。肝心なことはお師匠様に訊いてみひんと」


 僕は公安警察が職務の性質上警察バッジを所持せず、警察であるとを証明できないことを見越したうえで、訝しむ声色をつくる。


 頼むからさっさと諦めて帰ってくれ。

 しかし願えども本郷はこちらの思惑などどこ吹く風、豪壮に笑う。


「警視庁から支局長宛にメールが送られてるんだけどなあ。まあでもお互いの仕事上、おいそれと相手を信用するわけにもいかないのは確かだね。今日の昼に下のカフェで会った時も、お互い素性が知れなかったから。でもこうやって目を見て、腹を割ってお話しすればこちらが真剣で、ウソ言ってないのは伝わらないかな?」


 普通に無茶な話だが、澄んだ目でそう言われると不思議に納得できそうな気がしてきて困る。


 どうにもやりにくい相手だ。

 というか本当にこの人はこれで本当に、曲者揃いの悪魔相手に騙し合い、腹を探り、防諜活動を遂行する海千山千の公安か?

 公安というにはあまりに裏がなく、真っ直ぐすぎる。

 いや、それすらも演技か?


 計りかねた僕は、曖昧な笑みを返した。


「そう言わはっても。ウチ個人としては本郷はんを信頼したいんやけど。お師匠様のご意見を聞かなあきまへんの。もっぺん寄っとくりゃす」


 しゃなりと頭を下げる僕に、本郷は「困ったな」と首を揉む。

 しかしやがて観念したように豪放磊落と頷いた。


「わかったよ。それじゃ、また支局長さん本人がいらっしゃるときにくるね」


 爽やかにそう言う本郷を、僕は思わずどつきまわしたくなった。


 違う、そうじゃない。

 京都の「もう一回寄ってくれ」は「もう二度とくるな」だ。

 品のない東京者いなかもんはこれだから嫌なのだ。

 遠回しに拒否られてることぐらい察してくれ。

 鈍い演技か、それとも素で気づいてないのか?


 僕の内心など知らぬがごとく、本郷は「ところで」と鷺ノ宮珠厨音支局長について色々と話を聞いてくる。

 どんな人物か、どういう見かけか、どんな魔法を使う魔法使いなのか。


 のらりくらりと躱す僕。

 話す間にペットボトルの水を飲み干す本郷。


「……お茶のおかわりでもいかがどすか?」


 時計を見ながら僕は問う。

 言うまでもなく「はよ帰って」だ。

 だが。


「ああ、ありがとう。じゃ、お言葉に甘えて……あ、それで鷺ノ宮支局長さんの話に戻るんだけどね、私、支局長さんのファンで個人的に興味があってさ――」



 いい加減にしてくれぇ……!

 どこまで演技か不明だが、本郷はやけにしつこく支局長の情報を聞いてきた。


「――えっと、それにしてもいい時計してはりまんな」

「あ、そう? それはどうも。コレ初任給で買ったやつで、すごく気に入ってるんだ」


 そして本郷は、まったく興味もない時計の謂れをつらつら説明してくれる。


「――ああ、そや。何もお出しせんのもアレやし、お茶請けでも?」

「いいのかい? ありがとう。いただきます」


 ……だからちゃうねんて!

 「いい時計してますね」とか「茶請けでもどうです?」言われたら「帰れ」いうことやろがい、機微もわからんクソ田舎者が!



 というかこの婦警アレだ、見た目は超イケメンだが中身は大概ポンコツだ。

 有り体にいってアホだ。



 どう言えば角を立てることなく、アホにも伝わるようお帰りいただける言葉を紡げるか逡巡する。

 もういっそ標準語でストレートに帰れと伝えようか?

 でもそれをしたら田舎者に敗北した気がしてしゃくだ。



 なんて思考を巡らせていたら、僕はいつの間にか応接室の入り口に立つ男に気づいた。






――――――――――――――――――――――――――

 ここまで読んでくださりありがとうございます。

 お読みくださるあなたのおかげでお話が続けられます。

 引き続きご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

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