29."海の中で呼吸ができる世界"

 目を開けると海底にいた。迷うことなく息を吐く。そして吸う。肺が酸素で満ちる。久遠蒼真は確信する。間違いないここは予想通り"海の中で呼吸ができる世界"。


 海上から差し込む光で辺りが照らされる。久遠蒼真は自身の身体が濡れていないことを理解する。水の感触、ひんやりとした冷たさも感じる。浮遊感がある。試しに足をバタつかせる。海中に浮き上がる。服は濡れず、呼吸はできるが泳ぐことはできる。


 さらに上に泳ぎ辺りの様子を観察する。下を見ると都市が広がる。しかし、都市は死んでいる。建物に生えた藻が朽ちてからの時間の経過を物語る。だが、ここはただ人が離れて廃墟と化したのではないとわかる。


 建物は嵐にでも巻き込まれたように崩れ破壊されている。廃墟にはヒビが入り、穴が開く。複数ある建物も家屋の状態を保っているものはない。全てが土台だけを残しかろうじて家だったとわかるものばかりだ。


 崩れた残骸からのぞく食器や家具が生活のあった痕跡を見せる。久遠蒼真は考える。なにがあったのだ?災害?戦争?どちらにせよ劣化の具合からこの街が放置されたのはかなり昔だ。もしかしたら百年以上は経過しているかもしれない。


 考察よりも探索を優勢する。未知の世界を前に普段使わない表情筋が動く。この男に恐怖心などない。


 廃墟と化した海底都市の上をゆっくりと泳ぐ。ふと思いたち上を目指す。海面に出て海上の様子も見てみたい。

 そのとき、声が聞こえた。鼓膜を震わす音ではない。頭の奥で直接声が響いた。


「こっちに来い。」


 久遠蒼真の好奇心が火を吹く。海中に浮遊したまま辺りを見回す。その声の主を探す。


「こっちだ。影の方に来い。」


 影?見回すとはるか遠くに巨大な影が揺れている。巨大な建造物?久遠蒼真は水をかき近づく。彼の後ろに泡が伸びる。


 巨影が視界に近づくとその正体がわかる。木。海底に巨大樹が根を生やす。太い幹をもち枝葉は海面を覆う。見上げるほどに高く、視界に収まらないほど太い。


 世界樹。久遠蒼真は創作世界の大樹を連想する。この木に呼ばれたのか?巨大樹を観察する。そして気づく。幹に人影がある。


 その人物はまるでその大樹に取り込まれたように木と同化している。正面を向く男の背中側半分が大樹に埋まっている。その男もこちらを見つめる。その顔を見て久遠蒼真は驚く。瓜二つ。自分と鏡映しのようにそっくりな男がいる。

 

 パラレルワールド。久遠蒼真はすぐに自体を冷静に考察する。ここは自分のいた世界の平行世界、目の前の男はこの世界での私か。久遠蒼真は瞬時にそう設定する。


 久遠蒼真の考察を知ってか知らずか男は口を開く。脳内に語りかけるのではなく今度は直接鼓膜に届ける。上目遣いに睨みながら語りかける。


「よぉ、よく来てくれたもう一人の俺。」


 低いがよく通る声。脳内に届いたものと同じだ。久遠蒼真が淡々と返す。


「はじめまして、もう一人の私。」


 同じ顔が同じように不気味に微笑む。口が広がり笑いはしだいに大きくなる。高笑いがこだまする。第三者が見ていたら戦慄する光景だろう。


「俺はわけあってここに封印されている。

 いや、隠す必要もないな。数百年前、俺は天才魔道師といわれていた。」


 魔道師という単語に久遠蒼真はこの世界に魔法が実在することを認知する。


「この世界はイメージを魔法に変換できる。ただ単純な好奇心で俺は試したくなった。俺のイメージは世界を支配できるのか…を。」


 天才魔道師は歯を剥く。その目は異様にぎらつく。押さえきれぬ好奇心が表情に表れたようだ。久遠蒼真は目の前の男に自分と通ずるものを感じとる。


 天才魔道師は呆れたように微笑する。そして言葉を続ける。その声に落胆はない。


「しかし、実験は失敗しこの様だ。ハハハ。」


 久遠蒼真は黙って見つめる。天才魔道師の声音が変わる。


「くそがよぉ。こんな木に俺様を縛りつけやがって。ハハハハハハハハハハハ。」


 狂ったように天才魔道師は笑う。常人ならその異常性を感じとり恐怖するだろう。だが久遠蒼真は平然と笑みを浮かべる。


「なんだよこの大木はよぉ。なにが異界の英雄だっ。くそがっ、くそがっ、くっそがっ。

 おまけに俺が破壊したこの都市ごと幻術を使って隠してやがるんだぞぉ。下手に俺の崇拝者がこの封印をとかないようになぁ‼」


 天才魔道師の顔と首筋に血管が浮く。怒る天才魔道師とは対象的に久遠蒼真はあくびをし頭をかく。


「俺はこの世界に復讐する。その為に転移魔法を用いてお前を呼んだ。お前なら俺と同じ空想力と好奇心を使って……」


「なあ聞いていいか?」


 天才魔道師の言葉をきって久遠蒼真は質問する。天才魔道師は眉を寄せたが「なんだ?」と問い返す。


「その装束はこの世界の魔道師の正装なのか?」


 その質問に拍子抜けしたような顔に天才魔道師はなる。


「いや、違う。」


 その返答に久遠蒼真は顎をなでる。内心「面白いな」と興味が膨らむ。さらに問う。


「では、なぜそんな格好している?なぜ貴様は"メイド服"を着ているんだ?」


 大樹の葉が波に揺れる。水中をゆっくりと漂う葉に海面から光が当たり煌めく。一瞬の間があり天才魔道師は口を開く。


「…趣味だ。」


 


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