24.ここは天国?

 皿に盛られたクッキーをソラは手に取る。口に含むとその味はソラのいた世界のものと変わらない。サクサクした歯触り、バターの風味。うまい。


 口の渇きを癒す一口のコーヒー。砂糖は二つ、ミルクを少々。甘味と苦味が混じり合う。甘味がわずかに勝る。ソラの口角はわずかにあがる。


 たとえ世界が変わっても幸せの形は変わらないのかもしれないとソラは思う。


 そんなソラの思いとは対象的にこの世界は危機を向かえようとしている。


 ソラは神殿近くの家にいた。世界史の座学を終え一旦休憩となる。


 食事を済ませれば冥月王から授かった力(月の能力)の実験をすることになっている。オトが食事の準備をする。(安くておいしい店は世界の危機に休業した。)


 それを待つ間、クッキーをオトは用意してくれた。食べ過ぎないように釘も刺された。


 ソラは一息ついて、椅子にもたれる。世界は夕方から夜に変わろうとしている。長い1日だ。まぶたが重力で下がる。呼吸が浅くなる。


 1日の出来事が脳によみがえってくる。


 昨夜聞いた魚が水を跳ねる音が、遠い過去のように思える。あの音が自分をこの世界へ導いた。


 古井戸を泳ぐ熱帯魚。釣糸を足らす。井戸に落ちる。井戸の底から海中へ。


 首長竜。世界は反転し海上にでる。雨雲。宙を舞う船の上では鬼が太鼓を叩く。


 現れた美しい人魚の少女。名前はオト。その友達のイルカのスズキさん。彼女の住む大神殿を構えた海底都市。


 幻想的なクラゲの光源。街に響く不穏な鐘の音。平穏をさく幽霊船。不老の人魚の長老。


 動きだす骸骨。冥月王。継承される月の能力。  


 全てが今日1日に起きた。現実から幻想へ。幻想世界は危機に瀕している。そして、自分が救世主になるべく転移してきた。


 ソラの肩が揺らされる。まぶたが少しずつ開く。意識も少しずつはっきりする。天使が目に映る。あれ?ぼくは死んだ?ここは天国?


 ハッとし息を吸う。オトだ。ソラは少し赤面し顔を反らす。オトは、ん?という顔をするがすぐに食事の準備ができたことを告げる。 


 テーブルにはソラとオト。イルカのスズキさんがヒレで器用にフォークとナイフを握って座っている。冥月王の攻撃で倒れたスズキさんだったが、不思議なことに蹴られた傷一つなかったのだ。


 オトは彼も夕食に招待し三人で食卓を囲む。長老たちも招待したが世界の危機への対応で忙しい。オトとソラは向かい合って座り、ソラの横にスズキさんが座る。

 

 テーブルに並ぶ料理。主食はパンと麺。皿に入ったスープは湯気と共に淡く発光している。色も形も独特の見たこともないフルーツが並ぶ。


 大皿にのる肉はソラには何の肉かわからない。皮の焼き色と食欲を誘う香り。不信感よりも先によだれがでる。オトが小皿にその肉を取り分けてくれる。


 ソラの傍らのコップにお茶がそそがれる。ひとりでにポットが動いている。スズキさん、オトそれぞれのコップにも飛び回ってお茶をいれる。


 ソラは思わずそれを目で追う。魔道具。意思をもったようなポットにソラの興奮は止まらない。


「食べないの?冷めちゃうよ。」


 スープをスプーンで一口すすってオトが言う。ソラは思い出したようにフォークをとる。小皿にのったお肉にフォークを刺す。


 皮を刺す音に歯触りを想像して口へと運ぶ手が急ぐ。熱っ。思わず口を開け小刻みに息を送り冷ます。パリッとした皮に柔らかい身。肉の旨味と鼻を抜けるハーブの香り。


 肉汁が口に広がり喉をすべる。ソラの目尻はさがり口角があがる。気づけばフォークはもう一口肉を口に運んできた。


 オトが嬉しそうにソラを見ているのに気付き少し照れる。ソラはおいしいよと言って満面の笑みを浮かべる。よかったとオトも笑う。


 ふとソラは横のイルカのスズキさんを見る。フォークとナイフを器用に使う。その姿にスーツを着た紳士を連想する。おもわず見とれてしまうテーブルマナー。


 ソラは自分が恥ずかしくなりお茶を飲む。独特の風味。だが嫌いじゃない。背筋を正す。それを見たオトが言う。


「いいのよ。好きに食べて、あはは。」


 彼女の顔に花が咲く。ソラは照れながら食事を続ける。楽しい。ソラはこのひとときが永遠に続けばいいと思った。


 クラゲたちの光は徐々に少なくなっていく。海底都市に夜が訪れる。


 日付が変わるまであと5時間…


 


 


 


 


 

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