第11話

それに未練がましいのは兄の嫁を想い続けているお前の方だろう?と喉元まで出そうになるのを、私は既の所で飲み込んだ。


「亡くなった友人を偲ぶのに未練も何もありませんわ。あの……予約した宿への到着が遅れるので、もうよろしいかしら?」


「あ……あぁ。だが一つ、頼みがある」


「頼み?何でございましょう?」


するとレニー様は私の方へと顔を寄せ小声で言った。


「僕達の関係について、ご両親には上手くやってると言ってくれ。くれぐれも僕が── 」


「他に想い人がいるなんて言いませんよ。安心してください」


「ば、馬鹿!大きな声で言うな!」


別に大声を出したわけでもないのに、慌てっぷりが滑稽だ。


「大丈夫です。私は実家とブラシェール家のために嫁ぎました。世間体を気にするレニー様のご迷惑になるようなことは申しませんから。では、もうよろしい?」


さっさと出発したい。


「あぁ……分かった」


レニー様は依然として納得のいかない表情をしながらも、そう言って馬車から降りる。ここまで馬で駆けてきたようだ。


「で、では出発いたします」


御者の戸惑うような声が聞こえ、馬車はゆっくりと出発した。


「あぁ……こんなことなら朝食の時に色々と質問された方が良かったわ。失敗しちゃった」


溜め息と共にお腹の虫がグゥと鳴る。


私はおもむろにバスケットの中のサンドイッチを取り出した。





三日をかけて、私はレイノルズ伯爵領へとたどり着いた。



馬車を降りた私の胸がまたほんの少し痛む。ここにはブルーノとの思い出が多すぎる。




「おじ様!お久しぶりです!」


車椅子に乗った紳士が私の抱擁をそっと受け止めた。


「久しぶりもなにも……たった三ヶ月程だろう?」


「正確には四ヵ月半前ですわ。挙式の準備で私が王都へと向かったのは」


「ハハハ!細かいなぁ、デボラは」


私は車椅子を押していたおば様にも手を広げて抱きついた。


「おば様も……お元気そう」


「ええ。もうすっかり元気よ。ほら、久しぶりに可愛い顔をもっと見せてちょうだい」


「私を可愛いなんて言ってくださるのはおば様ぐらいだわ」


私はよく「気の強そうな顔をしている」と言われる。この緑色の吊り目がそうさせているのだろう。

しかもブルーノは男性のくせに私より美しい顔をしていた。中性的とでも言うのだろうか。もしブルーノに女装を施したのなら、きっと私より殿方の熱い視線を受けたに違いない。私はブルーノと並んで歩くと、ほんの少し劣等感を抱いたものだった。


おば様はブルーノが亡くなってからというもの、食欲をなくし、一時は無気力で何も出来ない日々を送っていた。私が嫁ぐ少し前までは、頬もこけて笑顔も少なかった。最近少し元気になってきたというのを、私はブルーノの妹、ルチアからの手紙で知っていた。


「デボラは十分可愛いわ。今日は?うちに泊まっていく?」


「いえ、ここまで来たことですし、実家にも顔を出しませんと。兄とは王都で会うことが出来ますが、両親はすっかり領地での暮らしが気に入っておりますので」


「そうね。たまの里帰りで元気な顔を見せてあげなきゃね。でも、昼食ぐらいは食べていってちょうだい」


「はい!では遠慮なく」


この二人を義父、義母と呼ぶのだとずっとそう思っていた。ここの家族の一員になれるとそう信じていた日々が私の胸を締め付けた。


「ところで、デボラ。私に頼みなんて珍しいね。さて、昼食の準備が出来るまでチェスでもしようか」


おじ様はそう言ってニヤリと笑う。

私もそれにニッコリと頷いて、言った。


「もちろん。お手合わせ願いますわ」


さて……おじ様はどんな条件を私に投げかけてくるのかしら?私は今からワクワクしていた。




「ふむ……なるほど。ジャムか……」


そう言いながら、おじ様はチェスの駒を動かす。


「そうなんです。ですからおじ様のお力をお借りしたくて……」


── コトン。


私はチェスをしながら、今までの経緯を話して聞かせた。

このチェスに勝たなければ、話すら聞いてもらえないのではないかとドキドキしていたが、おじ様はチェスを始めるなり、私にここへ来た理由を尋ねてくれた。


「まず……デボラはジャムを売ることが目的なのか?」


「いえ、実は……チェックメイト」


私の駒がおじ様のキングを攻撃する。おじ様にもう手立てはない。

おじ様は大袈裟に天を仰ぐと、渋い顔を片手で覆った。


「また、負けたな」


「……前回の戦いではおじ様が勝ちましたわ」


──前回の勝負。あれはもう一年以上前のことだ。

私にハルコン侯爵家から婚約の申し出があったあの日。喜んでいる両親には本心を言えず、私はここでおじ様とチェスをしながら、ポツリポツリと本音を漏らした。


『結婚をしなければならないことは分かっているのです。これが間違いなく良いご縁であることも』

あの時もこうして駒を動かしながら、私とおじ様は会話をしていた。


結婚を頭では受け入れているのに、心がどうしても晴れなかった。十八歳で婚約者を喪った私には後妻の道ぐらいしか残されていないと思っていたところに願ってもいない程の縁談。

本当は幸運なことなのだと分かっていても、心まではどうすることも出来なかった。


『ならばデボラ、いつものように賭けをしよう』


私とおじ様はこうしてチェスに何かを賭けて勝負をするのが好きだった。そんな二人をブルーノはいつも面白がって見ていた。


『何を賭けますの?前回は私に貴重な本を譲って下さったばかりですのに』


私はおじ様が賭けをしようと言って勝負したチェスには負けたことがなかった。……きっとおじ様が手加減してくれているのだと思ってはいたが、それを認めるのはちょっと癪だから、口に出して言ったことはない。


『そうだな……この勝負に私が勝ったら……デボラ、君の花嫁姿が見たい。結婚式に招待してくれ』


私はクイーンの駒を握りしめた。おじ様は暗に私に結婚しろと言っているのだ。


『……でも……』


『デボラ、死者に囚われるな。君は生きているんだ。それを忘れてはいけないよ』


私のスカートにポツリポツリと雫が落ちた。頬を涙が伝う。


キイキイと車椅子の音がして、目の前にハンカチが差し出された。


私は顔を上げる。私の横には先ほどまで向かい合っていたおじ様の少し困った顔があった。


『デボラ、君には未来を歩いて欲しいんだ。過去は過去。無理矢理気持ちを切り替えろとは言わないが、ブルーノの死に囚われるのはジェーンだけで十分なんだよ』


ジェーンとはブルーノの母親のことだ。彼女はブルーノの死から未だ立ち直れずにいた。


おじ様を困らせたいわけではない。私はハンカチでグイッと涙を拭った。


『ではおじ様が勝った暁には、とびきり美しい花嫁姿をご覧に入れてみせますわ』


私はまだ涙でぼやけた視界に映るおじ様に向かって、その時出来る一番の笑顔でそう答えた。



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