第2話 少し前の話
俺は、大学に入るまでバンドをやった事は無かった。ギターは少し触ってはいた。俺の田舎は茨城で、中学の時に街で唯一の楽器屋兼レコード屋でフォークギターを買ってもらったが、1ヶ月で挫折して、その後ずっとケースに入ったままだった。フォークギターはあの頃の俺にはネックも広く大きく、コードが抑えづらかったんだと思う。高校では3人しかいない吹奏楽部に入って、アメを賭けて大貧民ばかりやっていた。聴いていたのは、ビックバンド系のジャズ、ベニーグッドマンのsingsingsingとかグレンミラーの茶色の小瓶とか、歌ものだとヘレンメリルとかだ。NHKのラジオで1週間、ジャズを特集した番組が放送されて、たまたま初回を聴いて気に入ってしまい、あとの放送は毎日録音して、そのテープをずっと聴いていた。吹奏楽部ではトランペットを吹いていた。小学校の時にやった事があったからだ。バンド系の音楽を聴き始めたのは浪人してからだ。その時、同じ高校で同じ予備校に通ってた友達にボーイのラストギグズとホテイのギタリズム1を借りたのが最初だ。高校の頃はまわりではボーイの人気が凄かった。ギターを教室に持ち込んでる奴もいて、マリオネットのリフはこうで、とかホテイのカッティングは速くて、とかやっていたのを良く覚えている。俺はその頃はジャズしか興味が無かったので、クリフォードブラウンみたいに吹くにはどうしたら良いのか?練習のとっかかりも分からなくて、途方に暮れていた。だからボーイも聴いた事が無かったし、教室でギター弾いてる奴も、調子に乗りやがってんな、ぐらいにしか思っていなかった。だから、のちに大学で、バンドを組んだメンバー全員が、勿論だけどそれぞれ別の友達と、ラストギグズを見に行ってたと聞いて、驚いた。なんと全員が東京ドームで同じ日か次の日にラストギグズを見てたのだ!びっくりだ。
「え?ラストギグズ行ってないの?マジで、そんな奴いるんだー!」とはDrに言われた。
でも俺は浪人の時はボーイよりもギタリズム1に夢中になった。打ち込みのテクノのリズムにホテイの機械的なカッティングがヤバかった。それで、また街で唯一の楽器屋兼レコード屋でエレキギターを、今度は自分の小遣いで買った。その時にあった中で1番安いシャーベルの白いギターだった。2万弱だった。それにギタリズム1の楽譜を買って、カモンエブリバディを練習した。でもギターソロはまだ弾けるようにはならなかった。コードぐらいは何とかって感じだ。多分フォークギターよりもネックが細くて、弦高も高めで弾きやすかったからだと思う。たまたま安かっただけで選んだけど、丁度良かった。
その友達はその後いろいろ貸してくれて、俺は片っ端からカセットテープにダビングした。受験勉強そっちのけで、ずっと聴いていたが、その内の一枚がセックスピストルズで、それを聴いて、ギターソロ弾けなくてもバンドは出来るんだー!と思ってからはソロの練習はしなくなった。いつしか、バンドをやる為に東京の大学に入るのが目標になっていった。よくあるパターンだ。茨城の大学でバンドやってもダサいよなぁ、と漠然と思っていた。
Bは高校の時に既にだいぶ本格的にバンド活動をしていたそうだ。Bは静岡出身で、静岡はバンドが盛んな土地だったらしい。Voの好きな電グルは静岡出身で、Bがいた頃は人生ってバンドを組んでたらしい。なんとかジェネレーションってガレージパンク系のバンドも、たしか静岡出身でアメリカからシングルを出してたと思う。とにかくまわりにバンドやってる人が多かったらしい。それで、Bは幼馴染たちとバンドを組んで、やっぱりボーイが好きでボーイのコピーバンドをしてた。それも、小さいながらもファンクラブがあったというから、結構頑張ってたんだろう。ライブハウスへの出演交渉から始まり、チラシを作って配ったり、徐々に客を増やしていったりして、青春そのものだったと言っていた。だからBはボーイのコピーは絶対にやりたがらない。曰く、「ボーイはあいつらとしかやりたくない」そうだ。熱いね、青春だね。
音楽の事に1番詳しいのもBだ。いろんなジャンルに詳しかったが、特にイギリスのギターバンドについて詳しかった。高校の頃から東京のレコード屋に通ってたらしく、何処に何系の中古盤屋があるとか、めちゃくちゃ詳しかった。茨城から出てきて何も知らない俺は、よくBにレコード屋に連れて行ってもらった。渋谷、新宿、下北はよく行った。新宿はボーイの出てたロフトってライブハウスがあって、その入り口には赤いモヒカンや金髪でボディピして、タトゥーバリバリのパンクスがたむろしていて、田舎から出たての俺は、とても怖かった。田舎のヤンキーの方がケンカは強そうだったけど、もっと狂気的な怖さがありそうな気がした。当時、トーイってマンガが流行っていて、それは茨城でも人気があった。ロフトにたむろしてる人達はまさに、そのマンガに出てる人達だと思った。「本当にあんな人達って日本にもいるんだ」と思わず呟いて、Bに笑われた。そのまわりにはパンクニューウェーブ系のレコード屋が多かった。あと、何故かレゲェのレコード屋も多かった。それに新宿には何と言ってもエアーズがあった。海外のバンドを客席から隠し撮りしたビデオを、非合法にダビングしたビデオが売ってる店だった。いわゆる海賊ビデオのバンドバージョンだ。しかも隠し撮りだし、何回もダビングを重ねてるものなので、画像があらい。だからタダで何時間でも画像をチェックさせてくれた。その店の商品全てをだ。狭い店には海賊ビデオが棚いっぱいに並んでいて、壁にはビデオデッキとブラウン管の小さいテレビとチャチなヘッドホンがづらーっと並んでいた。客達はそこで、各々気になるビデオを棚から持って来て、画質と音質をチェックするのだ。ラインナップが、まあ、かなりマニアックで、ハノイロックスのドラムが死んだ直後の涙のライブやら、名前しか聞いた事のなかった、田舎ではCDも売ってなかった、モノクロームセットやフォーギャングスなんかの動いてる映像は、そこで初めて見て感動した。下北にはソウルやファンク系が多いレコード屋とあとはレコファンとかのなんでも置いてる中古屋があった。でも下北は古着屋も多かった。元々有名なバンドをやってた人の経営する古着屋にはよく行った。古着屋もBに全て教えてもらった。Bはモッズにも詳しくて、当然ながら服にも詳しかった。ポールスミス、フレッドペリー、ロンズデールなんかが、モッズに人気だそうだ。アニエス、アーペーツェーなんかはオリーブギャルとかネオアコの人に人気とか。俺はせいぜいがジーンズメイトのシマシマのカーペンターパンツに原宿のテント村で買ったシマシマのシャツを着るぐらいが、精一杯のオシャレだった。それを見たVoに「目が、チカチカする。シマシマにシマシマ合わせるのはヤバいよ。セットアップならまだしも、違う柄でしょ?」と言われたが、セットアップの意味は当然知らなかった。だから、Bとレコード買いに渋谷に行った時は、必ず原宿まで歩いて原宿の古着屋も見た。シカゴとか、小さい店もいっぱいあった。だからBは洋服の先生でもあった。BがLEEのオフホワイトのパンツを履いてたら、俺も真似して買ったりした。フレッドペリーのポロシャツは高くて買えなかったけど、ロンズデールのTシャツは買った。NYでは8ボールのパーカーを巡って殺人事件が起こったと、ポパイかオリーブに書いてあったから、センター街で1万円の8ボールのパーカーを買ったりした。田舎から出てきたばっかりの頃は、雑誌も鵜呑みにする素直な子だった。
渋谷の西武のあたりにはウェーブっていう大きなCDショップがあり、カラオケ屋のところにはディスクユニオンが4フロアぐらい占拠してるビルがあり、交番を過ぎたあたりのビルの地下には小さい中古盤屋が何件もあった。クワトロの前にはHMVがあって、通りに面してDJブースがあって、スペースシャワーTVの収録をしてたとか、してなかったとか。その奥にはタワレコがあって2階は全てレゲェの7インチで埋まっていた。レゲェの7インチばかり売ってる店なんて、茨城では考えられなかった。そこでスカフレームスのTOKYOショットの7インチを買った。日本のバンドがジャマイカのレーベルから7インチを出していて、それが逆輸入されてるなんて、俺には夢のような話だった。ハンズの向かいのビルの5階か7階の一室にはゼストがあった。普通のビルの一室がお店なんて、茨城には無かった。しかもそこにはパーフリの小山田がよく客で来てて、店員としゃべってたりしてた。Bに聞いたら店員は多分カジくんじゃないかと言っていた。まだソロデビュー前で、川崎のチッタでワクワクリズムバンドを見たばかりの俺は、とても興奮した。東京では本当にメジャーデビュー直前のバンドマンがレコード屋で働いてるんだなーっていう、興奮だった。ハンズの交差点を少し行った所にマンハッタンレコードがあって、その近くの坂を少し上がるとシスコがあった。Bの弟くんがバイトしていた。あのスチャダラのボーズの弟もバイトしてるらしく、ギャグセンスが一緒だと言っていた。もちろんライブハウスもいっぱいあった。
とにかく田舎でロックバンド界隈を見上げていた俺には、渋谷は夢の街だった。一カ月分のバイト代を握りしめて、毎月、渋谷と新宿には行っていた。何件もレコード屋を廻って、食費を削れるだけ削って、レコードと古着を買っていた。とにかく、Bとの出会いは、俺にはとても大きなものになっている。
Drはパンク好きの単純な男だ。金髪で軽くパーマをかけてた髪型が少しヤンキーっぽく見えたからか、先輩からヤンキーと呼ばれている。茨城のヤンキーを見慣れた俺には、全くヤンキーには見えなかったけど。
ブルーハーツとボーイが大好きで、矢沢の「成り上がり」に影響されて、バンドを始めたらしい。本当はボーカルがやりたかったらしいが、Drいわく、その頃の友達にボーカルは譲って、他にやる人のいなかったドラムをやってやったそうだ。ドラム自体は手数も多くなくて、テクニックもあまりある方じゃないが、けっこうタイトで堅いリズムを叩き出す、いいドラムだと思う。新しくデビューしたジーンとかいうパンクバンドが良いとかいって、何回も聞かされたが、あまり印象には残らなかった。音楽はそこまで詳しくは無いらしい。でもファミスタがめちゃくちゃ上手くて、こないだDrの実家に泊まった時に、2試合連続で完全試合をやられてしまった。クドウを使って急角度のカーブを得意とするピッチングが凄かった。直前でストライクゾーンを出し入れされて、マジでバットに当てることも出来なかった。今は地元のジンムジの駅前の、チェーン店じゃないハンバーガーショップでバイトをしている。惚れっぽい性格で、そこの高校生のバイトの娘に夢中だ。
Voはそこそこイケメンで背も高く、目が隠れるようなモジャモジャの長さの髪を金髪にしていた。日本のバンドにとても詳しかった。蒲田にある、日本人の古くてレアなレコードばかり売ってる中古盤屋はVoに教わった。曲よりも詞に惹かれるタイプで、言葉に対するこだわりは凄かった。高校の頃は音楽はやってなくて、ラジオの葉書職人をやってたらしく、知ってる人は知ってるぐらい有名だと、本人は言っていた。モテるはずなのに、女に奥手なのは、内面はオタクで暗い性格だからだろう。少し自分に自信が持てない面があるとも言っていた。いつも根拠の無い自信ばかりたっぷり持ってるDrとは正反対の性格だ。声が低くてボソボソしゃべってるように歌う歌い方は独特で、俺は他にはいないタイプのボーカルで良いと思うが、本人はそこもコンプレックスに思ってるらしい。もっと歌が上手くなりたいと、いつも言っている。メンバーの中で初めて会ったのはVoだった。どのサークルに入るか迷ってる時に、初めて行ったのが今のサークルの部室で、そこにVoがいて、先輩にいろいろ説明されてたのが、初対面だった。学部と学科が同じで、校舎も六浦校舎じゃなく、カナリヤ校舎だから、サークル以外でもよくつるむようになった。当然、同じ講義もいっぱいあったし。
Drは俺ら2人が入った次の日に入部した。初めての部会での自己紹介は3人とも同じ日だった。俺は、好きなバンドはホテイと言うとメジャー過ぎると思って、ハノイロックスと答えた。先輩達のウケはまあまあで、まずはホッとした。Drはブルーハーツと答えて、「あー、そんな感じする」と言われて終わりだった。Voは好きなバンドはボ・ガンボスと答えて、凄いウケてた。俺はボ・ガンボスなんて、見たことも聞いたこともなかったから、何でそんなに先輩たちが盛り上がってるのか意味が分からなかった。Voを横目で見たら苦笑いをしていた。誰かが「ボ!」と叫ぶとみんなが同時に「ガンボース!」と叫び返していた。今でも何であんなに盛り上がったのかよく分からない。Voは少し馬鹿にされたと思ったらしい。Bは俺たちより1カ月ぐらい後に入ってきた。Bは好きなバンドはスミスと答えていて、「渋い」と言われていた。先輩の誰よりも音楽に詳しくて、すぐ先輩たちと打ち解けていた。
うちのサークルは全体的にヘビメタやハードロック好きが多く、そうじゃない俺たちは珍しかった。後から知ったが、あの寺内たけしが作ったという、カントリーウエスタン研究会に入ればパンクニューウェーブ好きが多かったっぽい。向こうは俺らのサークルをヘビメタオタクばかりだと馬鹿にしてるらしい。まあ、あながち間違いではない。Voもオタクを馬鹿にしてるようなところがあった。馬鹿にしてるというよりも、自分はそうなりたく無い、なるべくそっちサイドに引きずり込まれないように、必死で抗っているように見えた。Voはあまりこのサークルには馴染めていなかった。Drは意外と馴染んでいた。校舎が六浦だというのも大きいと思う。Bもまあまあ馴染んでいた。俺とVoは練習の日と部会の日以外はあまり部室には行かなかった。それでも俺は田舎者なので、この古臭い縦社会の先輩後輩ノリも馴染み深いし、まあ、あるあるだよなぁ、ぐらいに思って、許容していた。Voは東京っ子だからか、明らかに不快な感じを出していた。そばで見ていて、先輩とケンカにならないかと、ドキドキだった。でもVoいわく、別に不快なのに、無理して不快じゃない態度取ることなくねぇ?そこまでしなくてもいいっしょ、と言って、全く気にしてないように見えた。虚勢を張ってるのか?本気でそう思ってるのか?は分からなかったが、その態度は俺には驚きだったし、少しカッコよくも見えた。田舎では先輩後輩関係は絶対だったからだ。都会っぽいなぁって思った自分が、凄く田舎者に思えた。
そんな感じだったから、俺たち4人はこのサークルの中で少し浮いていた。一年生は他にも10人以上いたけど、ほとんどハードロックやヘビメタが好きだった。ガンズが凄い人気だからしょうがない。あとはストーンズとかクラプトンとか渋いのが好きな人が多かった。だから、必然的に俺たちはバンドを組んだ。Bは当然、大学でも本気でバンドをやるつもりだった。メンバーはイギリスのパンク以降のギターバンド好きが良かったらしい。ピストルズとギタリズム1ばかり弾いてた俺が最初に声をかけられた。俺はテクニックも無いし、自信も無かったけど、とにかくバンドがやりたかったので、二つ返事で引き受けた。一緒にいたVoも当然、入る事になった。Voもバンド経験が無かったが、何かを表現したい欲に駆られてたそうだ。Voにしては、この言い方はダサいけど、もっといつもは肩の力の抜けたひょうひょうとした言い方をするのだが、なんか暑苦しい感じがする。それぐらい、バンドやりたかったのかもしれない。葉書職人にも限界を感じてたそうだ。Drは俺ら3人が部室の前で、どんな曲やるか?どんな方向性で、どんなジャンルで、どんなコンセプトで、とか話してたら、何何何?バンドやるの?ボーカルは決まった?えーVoはボーカルだったの?遅かった!じゃあドラムは?まだ決まってない?じゃあ俺叩いてやるよ!マジで俺のドラムカッコいいよ!って感じで、強引に入ってきた。いかにもDrらしい入り方だ。
その時にたまたま部室スタジオが空いてて、しかも誰もジャムってなかった。部室の壁は簡単な防音的なものをつけていて、ギターアンプが4〜5台。ベースアンプが2台。ドラムセットが1セット。卓と呼ばれる全ての楽器のイコライザー的なのをやるやつが1つ。誰かのキーボードが1つスタンドごとあった。狭いからあとは椅子1つをおくスペースもなかった。使用ルールは夜20時以降は音を出さない(何年か前に近隣の住宅から苦情が出たらしい)、予約したバンドがいたら、その時間は部室を出る、フリーの時間は好きに演奏しても、ジャムっても、それを聴いていても自由、ぐらいだ。
それで、ちょうど空いてたので、少しやるか、となった。曲はモノクロームセットのジェットセットジュンタだった。俺とBはメンバーが決まったらこの曲をやろうと言ってたので、お互い少し覚えてきていた。VoとDrは聴いた事も無かった。まずギターのイントロから始まって、ここでドラム入って、こんなドラムパターンで叩いて、ぐらいの指示をした。で、とりあえずBがベース弾きながら歌った。Drは簡単だったので、あっという間に出来るようになってた。で、ワンコーラス終わり、ツーコーラス目はVoに適当に歌ってみて、と言ってみた。いやーやっぱりVoはカッコ良かった。適当な日本語をいれて、メロディも適当なんだけど、ちゃんとコードには合っていた。ラップのような歌ってるようなポエトリーリーディングのような感じだった。トーキョーナンバーワンソールセットとはっぴいえんどの中間のような感じ。何回か合わせたら、俺はVoのボーカルが入れやすいようにアレンジしたくなってきて、ここを伸ばして、で、ここはブレイク入れて、で、ここにこのコード進行を足してみない?とかやり始めた。でもBは、まだそういうのはやらずに、もう何曲か違う曲を練習して、もっとバンドとして固めていく方が良いと言っていた。
まあ、そんな感じで俺たちのバンドは始まった。俺は、そしておそらくみんなも、手応えを感じていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます