第10話 初陣の噂

 鍛冶場の火が灯ってから、村の空気は一変した。

 朝になれば「カンッ、カンッ」と鉄槌の音が響き、夜になれば炉の赤々とした火が闇を追い払う。

 その光景は村人の心を奮い立たせ、若者たちの槍の突きも日ごとに鋭さを増していった。


 だが、俺の心は落ち着かなかった。

 噂は必ず広がる。

 堀と柵を備え、鍛冶場を持つ村――それは周囲の目に、ただの百姓の集まりとは映らなくなる。


 実際、変化はすぐに訪れた。


◆ ◆ ◆


 ある夕暮れ。

 村の見張り役が、息を切らせて駆け込んできた。


「宗一郎様! 隣村からの使いが来ております!」


 村人たちがざわめき、俺は落ち着いた素振りで迎えの場に出た。

 そこには粗末な旅装の若者が立ち、やや警戒した目でこちらを見ていた。


「私は隣村の者にございます。……噂を聞きつけまして」


「噂?」


「はい。――お宅の村が柵を築き、武器を整え、戦の備えをしていると」


 俺は内心で苦く笑った。

 やはり広がったか。


 若者は恐る恐る続ける。


「我が村は盗賊に苦しんでおります。武具もなく、守る術もありません。もしや……力を貸していただけぬかと」


 その場は一度持ち帰らせたが、使者が去った後も俺の胸には思案が渦巻いていた。


(他村に手を伸ばすべきか……?)


 助ければ恩を売れるが、同時に戦に巻き込まれる。

 今の俺たちに、それだけの余力はあるのか。


◆ ◆ ◆


 夜、囲炉裏端に幹部格――古老と勘兵衛、それに若者代表の源太を呼び寄せた。

 話題は当然、隣村の件である。


「助けを求めてきたか……ふむ、これは悪くない話だ」

 最初に口を開いたのは古老だった。

 皺深い顔に、しかし若い頃の鋭さを思わせる光が宿っていた。


「恩を売れば、人は従う。やがて一つの力となろう」


 一方、勘兵衛は腕を組んだまま首を振った。


「だが、鉄も槍もまだ足りねぇ。よその村を助けりゃ、こっちの手勢が薄くなる」


 源太は眉をしかめ、口を結んでいたが、やがて意を決したように言った。


「……宗一郎様。俺は行くべきだと思います」


「理由を聞こう」


「隣村は女や子供が多い。盗賊に荒らされれば、次は俺たちの村だ。助ければ、きっと心から感謝してくれるはずです」


 若者らしい正義感だった。だが、理にも適っている。


 俺はしばし黙し、皆の顔を見渡した。


「……わかった。すぐに大軍を出すことはできん。だが精鋭を少数、貸し出そう。俺も同行する」


 そう言った瞬間、源太の顔が輝き、勘兵衛は苦笑混じりに「やれやれ」と呟いた。


◆ ◆ ◆


 翌朝、十人の若者が槍を手に集められた。

 鍛冶場で打たれた新しい穂先が、朝日を受けてきらめいている。


「これが……俺たちの初陣か」

 誰かが呟いた。


 その声に、緊張が走る。

 これまでの訓練とは違う。今日から先は、生きるか死ぬかの戦場だ。


 俺は皆の前に立ち、声を張った。


「忘れるな! 俺たちは村を守るために槍を持った! 決して奪うためではない! ……だが、敵が襲うなら容赦はするな!」


「おおっ!」


 十人の声が一つになって響いた。

 その瞬間、俺は確かに感じた――。

 この小さな村が、ひとつの軍となり始めていることを。


◆ ◆ ◆


 出立の直前。

 勘兵衛が俺の肩を叩いた。


「宗一郎殿。気をつけろよ。……あんたが倒れりゃ、この村は終わりだ」


「わかっている」


 鍛冶屋の目は真剣そのものだった。

 俺は頷き、槍の柄を握り直す。


 これは試練だ。

 村を守るため、未来を切り拓くための――最初の一歩。


 そしてこの一歩が、やがて歴史を揺るがす足跡となる。

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