第17話 報告と圧力

 任務を終えて学園に戻った俺たちは、教師の前で整列した。制服には泥と血が付いていて、みんな疲れ切っていた。でも、その顔には達成感が滲んでいる。西地区の人々を守り、結界の穴を閉じ、妖異を退けた。その重みが、誇りとなって胸に宿っていた。


 報告を終えると、長い沈黙の後で皆月先生が深く頷いた。眼鏡の奥で、確かな評価の光が宿っている。先生の表情には、驚きと満足が入り混じっていた。


「よくやった。小等部で実地任務を果たしたのは、近年稀に見る大きな成果だ」


 先生が俺たち一人一人の顔を見回す。その瞳に、教師としての誇りが滲んでいた。


「特に、長谷部の指揮は的確だった。混乱を未然に防ぎ、全員を生還させた。これは並大抵のことじゃない」


 隼人は悔しげに拳を握りしめながらも、深く息を吐いて口を開いた。プライドと現実の狭間で葛藤しているのが、その表情から読み取れる。額には汗が滲み、唇を噛みしめている。


「……長谷部の指示がなければ、俺はやられていた」


 そして、俺をまっすぐ見て続ける。その瞳には、もう侮蔑はなかった。


「認めざるを得ない。お前は、本物の指揮官だ」


 その言葉に教室がざわつく。家系派筆頭の如月家の長男が、「無才」を認めた。これは小さな事件じゃない。学園の歴史に残る転換点かもしれない。早乙女が目を丸くして、佐久間が信じられないという顔をしている。村井は眼鏡を何度も拭き直していた。


 月島沙耶は胸に手を当て、小さく微笑みながら呟いた。涙が頬を伝っている。それは悔し涙じゃない、嬉し涙だ。震える声で、でもはっきりと言葉を紡ぐ。


「やっぱり……派閥じゃなくて、仲間として戦ったから勝てたんだね」


 彼女の手が震えている。感動で。


「私、初めて自分が役に立てたって感じた。生まれて初めて、誰かを守れた」


 美琴が沙耶の肩を優しく抱く。紅葉も沙耶の足元に寄り添った。


「沙耶ちゃんの支援術、本当にすごく助かったよ! あれがなかったら、みんな倒れてた」


 天音も珍しく温かい表情で頷く。氷のような瞳に、確かな敬意が宿っていた。


「霊力の配分が的確だった。天性の才能があるわ。磨けば、学園史上最高の支援術師になれる」


 俺は静かに頷いた。仲間たちの成長が、何より嬉しかった。でも、心の中では警戒のアンテナが立っている。


(結果は出した。だが――派閥はこれで黙るはずがない。むしろ、俺を取り込もうと必死になるだろう。嵐の前の静けさだ)


***


 放課後。昇降口を出たところで、数人の影が俺の行く手を塞いだ。夕日を背に、まるで黒い壁のように立ちはだかる。圧倒的な威圧感。家系派の中等部の先輩たちだ。学園紋章を肩に縫い込んだ特別な羽織を誇らしげに揺らしながら、リーダー格の男が一歩前に出る。


「長谷部尚」


 低く、威圧的な声が俺の名を呼ぶ。まるで獲物を品定めするような視線。


「お前は長谷部家の名を忘れるな。たとえ分家の出でも、血は血だ」


 別の先輩が鼻で笑い、人差し指を突きつける。その指先が、まるで刃物のように俺を指している。嘲笑が、毒のように空気を汚していく。


「無才と言われたお前が力を示せたのは、ただの偶然だ。まぐれ当たりに過ぎない」


 三人目の先輩が、脅すように一歩踏み出す。体格は俺より二回りは大きい。


「生徒会に入るなら、家系派の旗の下で動け。それがお前の血筋の責任だ。背後に我々がいなければ、次は確実に潰されるぞ」


 その言葉が終わるか終わらないかのタイミングで、今度は反対側から一般派の上級生が現れる。まるで示し合わせたみたいな登場。両方から挟み撃ちだ。逃げ場がない。


「家系派の脅しなんか聞くな!」


 一般派のリーダーが声を張り上げる。その瞳には、希望と期待が燃えていた。


「君は俺たちの象徴だ、尚! 無才と呼ばれながら実力で道を切り開いた、新時代の英雄だ!」


 彼が熱く語りかける。汗を飛ばしながら、必死に。


「派閥を超えて皆を導く存在になれる! 家系の古い慣習なんて捨てて、新しい時代を作ろう! 君ならできる!」


 甘言と脅しが入り混じり、俺を取り囲む。まるで獲物を狙う狼の群れみたいだ。息が詰まりそうになる。空気が重く、粘つく。逃げたい衝動を必死で抑える。


 美琴が一歩踏み出した。狐式神の紅葉も毛を逆立てて威嚇の姿勢を取る。炎のような怒りが、彼女の全身から立ち上っている。


「尚は誰の駒にもならない!」


 美琴の声が、夕暮れの空に響く。


「自分の意志で道を選ぶ人なの!」


 天音も冷ややかに言葉を重ねる。でも、その瞳には静かな怒りが宿っている。氷炎術の使い手らしい、冷たい炎のような感情。


「声を荒げても、あなたたちが弱く見えるだけよ」


 一歩前に出て、上級生たちを見据える。


「群れなければ何もできない臆病者たち」


 痛烈な一言に、先輩たちの顔が怒りで歪む。今にも掴みかかってきそうな雰囲気。空気が、一触即発の緊張感で満ちていく。


 俺は深く息を吸い、そして吐いた。震えそうになる声を抑えて、真っ直ぐに答える。拳を握りしめて、爪が手のひらに食い込むほど強く。


「……俺は、派閥に従うつもりはありません」


 一瞬、世界が止まったような静寂。そして次の瞬間、怒号が飛び交う。


「何だと……?」

「思い上がるな、小等部の分際で!」

「身の程を知れ!」


 上級生たちの殺気が、物理的な圧力となって俺に襲いかかる。今にも暴力沙汰になりそうな雰囲気。美琴が俺を守るように前に出て、天音も術式の構えを取る。隼人と沙耶も、俺の両脇に立った。


***


 そのとき、背後から澄んだ声が響いた。


「その言葉を、私の前でもう一度言える?」


 全員が振り返る。そこには――白銀透華。高等部生徒会会長が、ゆっくりと歩み出てきた。黒いケープが風に揺れ、銀髪が夕日を受けて黄金色に輝く。瑠璃色の瞳が冷ややかに光り、まるで氷の女王のような圧倒的な存在感。歩くたびに、空気が変わる。温度が下がる。


 上級生たちが、蜘蛛の子を散らすように道を開ける。透華の前では、中等部の先輩も小さな子供のように見えた。まるで巨人の前の小人。


「生徒会に入るのは私が認めたこと」


 透華の声は静かだけど、絶対的な力を持っていた。


「横槍を入れるのは、許さない」


 その一言で、場の空気が完全に凍りついた。家系派の上級生が恐る恐る、震え声で口を開く。


「し、しかし会長、長谷部は家系の血筋で――」


「黙りなさい」


 透華の一言で、先輩は口をつぐむ。まるで魔法をかけられたみたいに、声が出なくなった。


「派閥争いで学園を弱体化させる愚か者たちに、私の判断を疑う資格はないわ」


 透華がゆっくりと俺に近づく。一歩、また一歩。彼女が近づくたびに、俺の心臓が早鐘を打つ。そして、俺の肩に白い手を置き、耳元で囁くように告げた。甘い香水の香りが鼻をくすぐり、吐息が耳に触れて、全身に電流が走る。


「よく言ったわ、長谷部」


 瑠璃色の瞳が、まっすぐに俺を見つめる。その深さに、吸い込まれそうになる。


「でも覚えておいて。政治の舞台は、力と同じく"秩序"を扱う場所よ」


 彼女の指先が、俺の頬をかすめる。


「時には妥協も、駆け引きも必要。敵を作りすぎれば、潰される」


 そして、微かに微笑む。その笑みは、姉のような温かさと、女王のような冷徹さを併せ持っていた。


「でも――自分の芯を曲げない者だけが、最後に勝つ。あなたには、その資格がある」


 俺は小さく頷いた。胸が熱くなる。喉が詰まって、言葉が出ない。認められた。本当の意味で、俺という人間を認めてくれた。


 透華は優雅に振り返り、上級生たちを見渡す。その視線は、まるで氷の刃。


「この件は私が預かる」


 そして、最後通牒を告げる。


「彼に手を出す者は、私を敵に回すと思いなさい」


 凍てつくような宣告。上級生たちは顔を青ざめさせ、まるで逃げるようにそそくさと立ち去っていく。一般派も家系派も、透華の前では等しく無力だった。


 透華は最後に、意味深な笑みを浮かべた。俺だけに向けられた、特別な笑み。


「期待してるわよ、"弟候補"」


 また顔が熱くなる。耳まで真っ赤になっているのが分かる。この人は本当に、俺をからかうのが好きみたいだ。でも、嫌じゃない。むしろ――


***


 みんなが去った後、美琴が心配そうに俺に駆け寄る。紅葉も俺の足元をくるくると回った。


「尚、大丈夫? すごい圧力だったよね。手、震えてる」


 言われて気づく。確かに手が震えていた。緊張の反動だ。


「ああ、でも透華先輩のおかげで助かった」


 天音が冷静に分析する。でも、その声には安堵も混じっていた。


「白銀透華の後ろ盾を得た。これは計り知れないほど大きいわ」


 彼女が俺を見る。


「でも、同時に敵も増える。嫉妬と恐れが、新たな敵を生む」


「分かってる。でも――」


 俺は夕日を見上げる。オレンジ色の空が、希望の色に見えた。


「もう後戻りはできない。前に進むだけだ」


 隼人が近づいてきて、俺の肩を叩く。その手は、力強かった。


「長谷部……いや、尚」


 真剣な顔で俺を見る。


「俺も、派閥とか関係なく、お前についていく。今日の任務で分かった。お前は本物だ。人を導く力がある」


 沙耶も小さく頷く。夕日が彼女の栗色の髪を、金色に染めている。


「私も。みんなで力を合わせれば、きっと何でも乗り越えられる。今日、それを証明できたもん」


 五人で肩を並べて、夕暮れの学園を歩く。新しい仲間と共に。影が長く伸びて、まるで一つに繋がっているみたいだった。


***


 夜。自室で札を広げ、式の修正に没頭する。ランプの灯りが揺れて、影が踊る。今日の戦闘データを元に、新しいパターンを構築していく。ペンが紙の上を走る音だけが、静寂を破る。派閥の圧力が来ても、拒絶する。仲間と連携して、自分の道を続ける。そのための術式を組み立てる。


 窓の外、結界塔が低く唸るような音を立てて、不穏な光を放っていた。赤と青が混じり合った警戒色。まるで嵐の前触れみたいに、不規則に明滅している。何かが、近づいている。


(次の試練が来る――派閥も、妖異も、もっと大きな何かも。でも俺は逃げない。仲間と一緒に、全部乗り越えてみせる)


 胸の奥で炎が燃え上がる。決意の炎が。筆先が札の上で止まらない。新しい術式が、次々と生まれていく。仲間を守るための、新たな力。明日もまた、戦いは続く。でも今日、確かな一歩を踏み出した。派閥の圧力に屈せず、自分の道を選んだ。そして、本当の仲間を得た。透華先輩という、強力な味方も。それが、俺の選んだ道だ。誰にも譲れない、俺だけの道。


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