第2話

「立てるか?」

「は、はいっ!!」

 ハルくんが差し出した手を取って、わたしは立ち上がる。

 大きくて力強い手のひらがしっかりと引っ張ってくれた。

 わたし、ハルくんと手繋いじゃったよ!?

 もう、この手、一生洗いません!!!

「あ、あの、ぶいしゅご!の陽斬ハルくんですよね!? わたし立花琴葉——ハンドルネームはリーフっていうんですけど、ハルくん推しで……!!」

「リーフ!? もしかして、いつもコメントしてくれてるリーフか?」

「はいっ!!!」

 わたしは泣きそうになりながらうなずいた。

 最推しに覚えててもらえてたなんて、わたしは世界一の幸せ者だよ……!!

「配信見てくれてるなら分かるよな? ここはバーチャルワールドで、さっきの黒いのはディスログ。これからみんなと合流するんだけど、ついて来てくれるか?」

「みんなって、ぶいしゅご!のみんなですか!? 会いたいですっ!!」

 わたしは思わず、前のめりになる。

 最推しのハルくんだけじゃなくて、ぶいしゅご!全員に会えるチャンス!?

「それじゃ、ちょっとつかまってて」

 ハルくんは片手でスマホを取り出して、もう片方の手でわたしの手をぎゅっと握った。

 次の瞬間——

 画面をスワイプしたみたいに、周りの景色が一瞬で切り替わった。

「えっ……?」

「ほいっ、到着!」

 バーチャルワールドはデータの世界だから、ゲームみたいにワープできる。

 配信で話してくれてたのを聞いたことはあるけど、自分で体験すると本当に不思議。

 だけど、もっと驚いたのは、目の前にある建物。

「ここって、奏月そうげつ中学校ですよね!?」

「知ってるのか?」

「はい。わたし、ここの一年生なので…」

 入学してまだ一ヶ月だけど、それでも十分、見慣れた校舎だ。

「それは偶然だな。オレ——」

 ハルくんが言いかけた瞬間。

 ズドーン!

 大きな音が響いて、地面がグラグラと揺れる。

「な、なにっ!? 地震!?」

 よろけたわたしをハルくんが支えてくれて、やっとのことで校舎を見上げる。

「あっ! あそこ!」

 わたしは屋上を指差した。巨大な黒いドロドロ——ディスログがくっついてる!

 ディスログは体から黒いドロドロを出し続けていた。それはみるみるうちに校舎全体に広がって、壁や天井を包んでいく。

 わたしのクラス、一年A組の教室もあっという間に見えなくなってしまった。

「ディスログはああやってバーチャルワールドを壊すんだ。放っておくと現実世界にも影響が出る」

「そんな……」

「大丈夫。オレたちがいる」

 立ち尽くしているわたしの肩を叩いて、ハルくんがニコッと笑う。

 太陽みたいに眩しい笑顔に、わたしは勇気づけられた。

 そうだよね。大丈夫に決まってる。

 だって、ここにはぶいしゅご!のみんながいるんだから!


「♪ぽちっと押した再生ボタン ココロ揺さぶるメロディ」

 澄み切った歌声が、グラウンド全体に響き渡る。

「来たっ!!」

 わたしは思わず、ガッツポーズをした。

「♪頑張り屋さんも泣き虫さんも ドキドキしちゃう笑顔の魔法」 

 校舎の屋上で、オレンジ色の髪をツインテールにした女の子が歌っている。

 ぶいしゅご!の歌姫、ここねちゃん。

 歌っているのは、オリジナルソングの『ここねスマイル♪』。

 アイドル衣装みたいなワンピースがふわふわ揺れて、両手で握ったマイクから天使の歌声が響き渡る。

「♪ここねスマイル♪ しあわせリズム キミのココロに届けに行くよ」

 ここねちゃんの歌は、人もディスログもポジティブな気持ちにしてくれる。

 誹謗中傷から生まれたディスログはネガティブな気持ちの塊だから、心が浄化されると消えていくんだ。

 屋上のディスログはここねちゃんの歌から逃げようとして、ぼてっと地面に落ちた。

 そこには、水色の髪でメガネをかけた男の子が待ち構えている。


「逃げられませんよ」

 男の子はノートパソコンのキーを高速タイピングしながら、冷静に宣告した。

 ぶいしゅご!の頭脳担当、コード=ゼロ。

 プログラミングの天才で、バーチャルワールドのことにも詳しい。

 近未来風でシルバー素材のパーカーが、クールなゼロのイメージにピッタリ合ってる。

「エラー消去。さようなら」

 ぱちんっとエンターキーを叩いて、メガネをクイッと指で押し上げる。

 ゼロの手でバーチャルワールドから消去されたディスログは、跡形もなく、パッと消えた。

「やった!!」

 わたしは思わず叫ぶ。

 だけど、ドロドロに汚染された校舎はまだ直っていない。

 真っ黒になった壁の前には、背の高い緑髪の女の子が立っていた。


「ディスログって本当、センスないわよね」

 女の子が絵筆を大きく振ると、虹色の絵の具が校舎を包み込む。

 ぶいしゅご!のアーティスト、ジェイド・グラフィカ。

 ジェイドは校舎全体をキャンバスに見立てて、優雅な動きで筆を振る。

 長い緑髪と羽織ったジャケットがひるがえって、ジェイドの動きそのものが一つのアートみたいだった。

「美しい姿に戻りなさい!」

 ジェイドに描き直された校舎は、ドロドロの悲惨な状態から、一瞬で元通りになった。

「ほら、大丈夫だったろ?」

 ハルくんはわたしと目線を合わせるために少しかがんで、にかっと笑う。

「みんなすごい、かっこいい……!」

 わたしは感動して、思わず泣きそうになる。

 ハルくんはそんなわたしを元気づけるように、頭をぽんぽんと撫でてくれた。

 その瞬間だった。

 校舎の影に隠れていたディスログが、ハルくんの背中に飛びかかってきて——


「ハルくんっ!!」

 わたしはとっさに、ハルくんの前に飛び出した。

 みんなみたいに戦えるわけじゃない。だけど大好きなハルくんがピンチなのに、見て見ぬふりなんてできない……!

 まっすぐ襲いかかってくるディスログ。わたしはギュッと目をつぶった——

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